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2006年10月10日

「秋の核武装祭」実行委員会

[ 0-日々のFLAG ]

 叩き潰すための前夜祭のシナリオは、叩きつぶされる側も交じえて、事前に練られていたように思える。前夜祭の日程詳細はかなり以前から確定していて、そのための棒読みアナウンスも最初から用意されていたのではないだろうか。この祭りを仕切る 「秋の核武装祭」実行委員会が存在するかはわからないけれど。

 安倍首相の訪中・訪韓のタイミングやそれを受けての米露の動きすべて、なんらかの同期がとられているように思える。このタイミングの良さはなんであろうか。中間選挙前に、煮詰まって進展しない中東とは別の「テロとの戦い」を演出しようというアメリカが実行委員長役として祭りをリードしているようにも思える。祭りのオープニング・セレモニーを仕掛けた将軍は、実行委員長とは表向き直接対話はないのだが、裏では綿密な連絡をとっているようにさえ思える。ちなみに、核実験の知らせを聞いたのが12時だったという久間防衛庁長官が、知らないふりをする名優なのか、それとも、実行委員メンバーでなかったのかは、よくわからない。国内でも国外でも曖昧戦略に磨きをかける安倍首相は、今回の「秋の核武装祭」実行委員にふさわしい活躍ぶりだ。現行憲法下の解釈のもとで自衛戦争と先制攻撃を仕掛けるオプション、アメリカの先制攻撃論を支援するオプション、拉致被害者救出には北朝鮮金正日独裁政権を武力でもって倒すしかない、という論立ての準備が整ってきた。とはいえ国内の求心力を高めることに成功したとはいえず、どちらかというと、不安を増長させただけという気もする。テロと戦争プロパガンダの劇薬に慣れているアメリカ国民と違って、ホントウの戦争に関しては、日本はナイーブなのだ。

 インド、パキスタン、北朝鮮。冷戦崩壊後、アジアでの核武装の流れは止まらない。イランもしずしずと進めるだろう。核は拡散し続ける。アフガニスタンの攻撃に参画しなければパキスタンを石器時代に戻してやると宣ったアメリカによれば、アメリカ企業を参画させているインドの核は善で、カーン博士のいるパキスタンの核は悪であり、もちろんイランも北朝鮮の核も悪だ。ロシアや中国の核について話題にもならないのは、その核が表向き条約等で使用されないよう管理されているからだけど、実際はそんなわけはなく、あちこちに流出している、だから北朝鮮でも核武装ができたともいえる。

 北朝鮮含め核武装は当然だなどと擁護するつもりはなくその反対なのだが、それが実現されるためには、世界全体が同期して核武装を解いていかなければならない。
 米、英、仏、露、中の五カ国のみが核兵器を保有するというNPT(核不拡散条約)が効力を発揮するのは、五カ国の核軍縮の義務という前提があるからだ。軍縮がまともに行われず前提条件が崩れたら既存の核保有国が圧倒的有利となり、「そんな横暴な話しがあるか、それなら自衛のため核武装する」となるのは当然だろう。あらゆる核兵器の実験的爆発(大気圏内、宇宙空間、水中及び地下での核爆発実験含む)及びその他の核爆発を禁止したCTBT(包括的核実験禁止条約、Comprehensive Nuclear Test Ban Treaty)に署名はしたが批准を拒むアメリカは、臨界前核実験はCTBTには違反していないという自己都合解釈で実験を繰り返す。結局、「オレらは核を絶対に手放さないけど、おまえらの核は禁止な」などというジャイアンみたいな姿勢で他国の核武装抑止、核拡散が防止できるかってーの、というわけだ。しかも、大国に逆らえば無条件にイラクのようにボコボコにされるとしたら、なおさら核武装を急ぐ国もあるだろう。
 核がないのでナイフ一本でテロを起こした「追い詰められた人たち」もいれば、核武装で世界を脅して生き延びようという「追い詰められた国家」もある(正確に言えば、そのような立場にいる人を利用する悪しき人間がいる)。追い詰められれば自らの命と引き替えに世界を災禍に陥れようとする「追い詰められた人や国家」に対してどう対処するか。アフガンでも使われたバンカーバスターに限定核をつけて、B2爆撃機で空爆、朝鮮半島北部を石器時代に戻してやれば、その脅威に負けて、テロ国家なりテロネットワークは恐怖して、テロを止めるのか。トライデント級潜水艦からミサイルでも撃てばテロは沈黙するのか。沈黙するわけがない。逆だ。テロは拡散し、核も拡散する。世界最強の軍事力を持ちながら核によるテロに脅えるアメリカがモグラ叩きのようにあちこち叩けば叩くほどテロも核も広がり恐怖が膨れ上がっている。またテロを利用することで政治的求心力を高めていくことが常態化すれば、テロを常に生みだし支援することさえ行うだろう。北朝鮮やイランという国は、非難はされるが、結局は温存されるワイルドカードの役目をしていて、北朝鮮自身がその役どころを理解して振る舞っている。今回の核実験がまるで、「秋の核武装祭」実行委員会の出し物に思えるのは、そうした同期がうまく行きすぎているからだ。

 テロや核武装の意志をいかに防ぐか。太陽政策は失敗だったとして、では、北風政策ではどうなるか。北風政策を現実にしたアフガンやイラクを見ればわかるだろう。混乱は治まらず、テロの温床が広がるだけだ。テロを止める最終的な決着方法は、その国家国民すべてを消し去る、虐殺するという方向に行くだろう。相手の存在を消し去るしか、テロを止めることはできないのだが、そんなことは不可能だ。不可能なことを敢えてやり続けるのには、別の意図があるからだろう。テロや核が拡散した場合に誰が得をするかといったら、それに対抗する手段を持つ五カ国ではないか、結局、大国の優位性を維持するための戦略でしかない、と思える。そうした大国の優位性保持に追随することが日本の戦略なのだろうが、それはおそらく最善の策ではない。
 それは極東に置かれた日本の特殊性にある。北朝鮮有事が起こったら日本はどうなるのか。北朝鮮へのアメリカの攻撃、北朝鮮軍部クーデター、南進と半島大混乱、ロシアや中国の介入、押し寄せる難民、日本国内でのテロの発生、アメリカの日本への介入、となる。経済に与える影響もはかりしれない。日本国内にあっても日本国民が主権を保持できないような巻き込まれ方をしていくだろう。日米同盟があったとしても、アメリカは、日本をタダでは助けない。日本の選んだ親米戦略は、有事にその真価が問われるが、対中戦略が変わりつつあるアメリカが果たして日本を助けるか。日本が戦後からやり直すことになっても、その責任は日本の国民が負わなければならない。現在勝ち組に見えるアメリカに追従していけばよいという相変わらずの日和見は、現在の最悪の事態は防げるかもしれないが、未来の有事には最善ではない。極東でホントウの戦争など起こるはずがない、と思っている想像力の欠如した日本の政治家がいる一方で、有事を利用して求心力を高めようという政治家、実際に有事を起こして国内問題(主に社会保障や経済の問題)を帳消しにしようという政治家もいる。アメリカ追従路線のかわりに中国に鞍替えしようとする政治家もいる。大国の物理的な力に頼り、ぶら下がって生きるというならば、ぶら下がる相手がアメリカであれ中国であれ、同じことだ。日本は日本独自の在り方を考えなければ冨の多くは刈り取られる。戦後の日本をアメリカが育て、収穫の秋が来たということ、すなわち「ハーベストタイム」であり、北朝鮮は日本の垂れた穂を刈り取る鎌として使われる。

 北朝鮮の核武装という現実をまえに、日本はどうするべきか。六カ国協議のテーブルに北朝鮮を再度引っ張り出す、という小手先の話しでは済まなくなっている。「核には核で対抗」と、日本もまた核武装をすべきなのか。憲法を変え、非核三原則を破棄すべきか。そうすれば、日本国の主権を保持し、尊厳を守れるのか。実際に国内で核武装の気運が高まったとして、現実にそれが可能なのか、を考えた場合、極めて難しい。日本独自路線での核武装など、米露中、東アジアの国の一部は反対する。「北朝鮮や中国が危ないんで、オレんところの核兵器を購入してくれ、ボタンはこっちが持つけどな」というアメリカからの一方的なビジネスのほうが可能性はある、がしかし、ミサイル迎撃システムや牛肉ならまだしも、核兵器となると中国は黙っていないだろう。日本で極秘裏に核兵器の基礎研究・開発が進められているかもしれないが(国策で原発をたくさん作っている理由はそこにあるだろう)、少しでも動きがあれば、盗聴好きなアメリカが嗅ぎつけて日本の勝手を許すはずもない。広島・長崎と二度も核攻撃をされた日本だけが、核の反撃を行う権利を持つ、というロジックもある。もちろん、その攻撃相手は北朝鮮とは限らない。アメリカが潜在的に恐れているのは、アメリカのコントロールが効かない日本の核武装だ。
 現実、北朝鮮の核武装の脅威に一定の効果があるならば、他のアジア各国、中東、アフリカ、南米各国も「核・始めました」戦略をとってくるだろうし、開発はしないけど「核お試しバリューセット一式購入」なんて話しにもなってきて、さらに核が拡散してしまう。イスラエルのように表向きには核保有を言わないけど、実は持っている、という曖昧戦略も出てくる。あっちこっちで緊張感が高まり、その緊張感で疲弊すれば、ミスも起こる。戦争でなくても、核で事故が起こりうる。

 核実験・核武装反対を相手に要求しても、相手が無視したらそれで話しはおしまいで、武力で阻止しても、それがさらに各国の核武装熱を高める悪循環が続く。打つ手があるとすれば、それは、「みんないっせいに核を放棄しましょう」という方法だけだが、それを無視している帝国がある。その帝国もまた平和の脅威であり、テロ国家同様に危険な国だろう。なぜなら、平和への同期を無視するということは、その帝国は「意図的に戦争を望んでいる」ことが明白だからだ。しかし、帝国の軍事力を上まわる軍事力が他国にない以上、帝国の望む限りにおいて戦争は起こり続ける。実際、自分では戦争はしたくないが、誰かに戦争をさせるのが好きな、倒錯した野蛮人はたくさんいる。
 本気で平和を望むならば、本気で平和のための同期をとらなければならないのだが、平和実現のために反平和的手法をとったら本末転倒になる。平和への同期をとる言論的な努力のみが使える道具なのだから、平和はあまりにも遠い。

 アメリカの核の傘の内側で平和憲法を護持するか、同じ場所で憲法の改正のみ行うか、それとも日本独自の核の傘をさすか。どちらであっても、日本のおかれた状況というのは非現実的であり、アメリカにとっては都合のよい現実となっている。「核を落として戦争を終わらせてやったから日本は民主的で平和になった、アメリカの傀儡政権のもとで刃向かわない国、戦争をさせない国にすることができた。すばらしい、これぞ軍事ファシズム国家の民主化モデルだ、イラクでうまくいってないのは、核を落とさなかったからだ」。他国の強大な軍事力を借りて平和憲法を掲げて60年も戦争をしないで済んだ国など、あまりに非現実すぎてあり得ない国家だ。もちろん、日本が戦争をしていないわけではなく、常に戦争の片棒を担いぎつつ、用心棒の給金をアメリカに支払ってきた。これは偽りの平和ともいえる。

 では、偽りの平和を捨てて、真の戦争をとるべきか。
 日本の傘である富士山のてっぺんで、丸腰で平和憲法の白い旗を思いっきり振り続ける、というのは、極めて戯画的で滑稽だし、非現実的な選択といえる。しかし、一方で日本が独自に核武装するのも不可能であり、テロに脅えて何をするか/されるかわからないアメリカ追従でこれからうまくいくとは思えない。結局、日本だけ平和、ということはありえないし、大国の内側だけの平和ゴッコなども続かない。平和はすべてが同期しなければ実現しない。世界平和などというのは超絶的な理想であり、いまだかつて存在しなかった夢なのだから、そのぐらいの気概と覚悟で挑まなければ実現しようもないものだ。武力に対して武力以外の力で戦争を起こすことであり、まさに命懸けであり、実際に血を流し命を落とす戦いになる。なんせ丸腰だし。たとえば『憲法九条を世界遺産に』するのならば、いっそのこと、憲法九条をすべての国の憲法にインストールするぐらいの荒唐無稽な平和同期戦略が必要だろう。戦争しないことを各国に誓わせるためには、力ある国の不当な扱いに抗議する手段としての戦争さえも止めるのだから、前提条件のハードルは限りなく高い。

 他国の軍事力に頼る偽りの平和も、自国の行う真の戦争も、どちらも捨てるという選択肢は、個人の考えとしては有りだろうが、これまでそのような平和国家は存在していないだろう。だが、あちこちでテロがはびこるなかで、戦争をしない国の価値は高まるに違いない。平和であることは、あらゆる価値のなかでもっとも尊く高いものであるからだ。
 現行の日米同盟のもとで憲法の解釈を変えて日本が戦争ができる国になったとしても、あるいは憲法を改正するにしても、あるいは日本が独自にまたはアメリカの戦術内で核武装をするにしても、憲法九条の信じられないような理想については放棄しないで進んでもらいたい、と思う。戦争を心底望んでいるのはごく僅かな国粋主義者と武器商人であり、圧倒的多数の人間はできることなら戦争などしたくないと思っている。いずれ日本人も、心底戦争をしたくなるのかもしれないが、それでもまだ理想は捨てて欲しくはない。理想を捨てた国家や人間は醜い、理想に向けて現実を変えようと努力する国家や人間だけが美しい。

Posted by gont at 2006年10月10日 15:29 | TrackBack