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『山田洋次の〈世界〉』
(ちくま新書501)



出版社 筑摩書房
発売日 2004.10
価格  ¥ 777(¥ 740)
ISBN  4480062017

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著作紹介

『ポップカルチャー
    若者の世紀』

『特撮黙示録
    1995−2001』

『宮崎駿の〈世界〉』
『宮崎駿の〈世界〉』が第24回サントリー学芸賞(社会風俗部門)を受賞しました。 賞のお知らせ、選評、受賞のことばについては、Suntory News Release No.8300をご覧下さい。
『青い空、その下は廃虚−宮崎駿論』(『宮崎駿の〈世界〉』韓国版)   『ある朝、 セカイは死んでいた』
  「[増補改訂版/文庫]怪獣使いと少年〜ウルトラマンの作家たち』 」
  『日本風景論』
  『地球はウルトラマンの星』
  『お前がセカイを殺したいなら』
  『ぼくの命を救ってくれなかったエヴァへ』
  [単行本]『怪獣使いと少年〜ウルトラマンの作家たち』
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プロデュース本『セックスプレイヤー』好評発売中!
『特撮黙示録 1995−2001
オタク学叢書VOL.9

切通理作著/
太田出版/本体価格2380円+税/A5並製/
平成の仮面ライダー、ウルトラマン、ガメラ、ゴジラ
昭和ヒーローのカーテンコールは前世紀末、
何を意味していたのか?
太田出版HP http://www.ohtabooks.com/

90年代日本特撮の集大成評論!

 平成ガメラから平成ライダーまでを一つの流れとし、95年以降に活性化したリ・イマジネーションキャラによる特撮シーンの流れをたどる。
 時代的にも、70年代に『ノストラダムスの大予言』を読んで育ち、オカルトブームの洗礼を受けた世代が大人になった90年代、フィクションの中でそれぞれの世紀末をどう設定し、潜り抜けてきたかの記録でもある。
 これまで個々の作品の資料集はあっても90年代の活況を流れとして捉えたものはなかった。
 いわゆるマニア向けとしてだけではなく、「こんな刺激的な作品があったんだ」ということを示す本になればと書かれた。また「最近の特撮モノはあんまり見てないな」という人や「最近ファンになったけど昔ながらのファンに引け目を感じる」という人にこそ読んで欲しい。
 取材も「ウルトラマンとガメラ」といったように作品をまたがって担当されたキーパーソン的な人物に限ってお願いした。

目次

1 黙示録的情熱の萌芽−『ガメラ2 レギオン襲来』
2 “わざわいの影”目覚めん−『ガメラ 大怪獣空中決戦』
3 “気づき”の物語−伝説『ウルトラマンティガ』
4 未来はなくなった−『ウルトラマンダイナ』のフロンティア
5 怪獣というトラウマ−『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』
6 黙示録的共生感の具現―『ウルトラマンガイア』
7 超古代サーガをつなぐもの−『劇場版ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY』
8 「からっぽの星 時代をゼロから始めよう」−『仮面ライダークウガ』
9 思いはかたちになる!?−『鉄甲機ミカヅキ』 
10 「怪獣の時代」に幕を−『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』
11 すべてはUNKNOWN−『仮面ライダーアギト』

LONG INTERVIEW
・ そこはそれ、パワーバランス−金子修介(平成ガメラ/『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』監督)
・ 「ゴゴゴゴゴゴゴ」と「ズドオオオオオオン!」はよく書きますね、ええ。−長谷川圭一
(平成ガメラ/平成ウルトラマン/『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』スタッフ・脚本)
・ 『クウガ』は美しい作品、『アギト』は面白い作品だと思ってる−井上敏樹一
(平成仮面ライダー/『ミカヅキ』)脚本



『特撮黙示録』刊行にあたって

切通理作

「特撮ニュータイプ」「東映ヒーローMAX」「電撃特撮通信」「ヒーローヴィジョン」……いま、特撮を扱った、字が読める年齢の読者向けの雑誌が競って出ている。そんな雑誌は老舗の「宇宙船」しかなかったちょっと前までは考えられなかったことだ。イケメンの男優たちの人気が主婦の間で広がっていることがその大きな原因だと言われている。

 でも、それだけだろうか?
 もっと本質的なところで、特撮の世界に変化が起こっているのだと僕は思う。今度私が太田出版から出させて頂いた『特撮黙示録1995‐2001』では特撮ものや実写のヒーローものの、ここ数年の新しい流れを辿っている。

 その兆しが見られたのは95年にさかのぼる。この年に公開された『ガメラ 大怪獣空中決戦』という映画が流れを変えた。それまで特撮映画や怪獣映画といえば、昔からある伝統工芸を形だけ蘇らせたようなものだった。どこかのどかな怪獣の縫いぐるみが動き回り、市街のミニチュアが壊れても誰一人死ぬわけでもない。
 ゴジラと並ぶ(?)昭和の人気怪獣だったガメラを復活させたこの映画だけれど、<人間を殺し得る存在>としての怪獣の捉え直しが当時新鮮だった。超古代の文明によってガメラとともに生み出された単為生殖(一匹から繁殖可能)であるギャオスは人間を捕食する。本能のままに行動していても増殖するだけで人類を破滅に追い込む。一匹の怪獣が建物を壊すだけではなく、地球の歴史に組み込まれた<破滅>のプログラミングとしてあらわれる。

 対する人類の反応……いま「人類」と書いたが、人間は「類」として行動しているのだろうか。不測の事態にどうしていいかわからず、出動命令が出なければ目の前の怪獣に攻撃することも出来ないという自衛隊の描写はこれまでにない現実味を持っていた。ちょうど公開直前に阪神大震災が起きた。リアルな怪獣映画はリアルな現実とどこかでつながったような印象を当時の私は持った。

 翌96年に公開された『ガメラ2 レギオン襲来』はそんな自衛隊描写により比重がかかった。宇宙から来た群体怪獣のレギオンは仙台市を丸ごと消滅させてしまう。東京への侵攻を阻むための作戦を前にして、各登場人物は、この世への別れのような思いを込めながら「今度おごらせてください」などと一見さりげなく挨拶を交わす。初老の自衛隊員はこう言う。自分は子どもの頃、戦火の中を逃げ惑った。誰も守ってはくれなかった。
「今度は守ろうや……」
 このセリフは共産党の新聞「赤旗」で批判されたという。そんな、わが国の自衛隊のあり方の不安定さが、怪獣映画というフィクションに刺激を与えた。

 同じ年に放映開始された『ウルトラマンティガ』は16年ぶりにテレビ地上波で蘇ったウルトラマンシリーズだったが、大幅な設定の変更があって、かつてM78星雲の宇宙人だったウルトラマンは、ここでは超古代から遺された石像に憑依して変身するという、新生ガメラと非常に似た設定となった。

 ウルトラマンの力はそれ自体善でも悪でもない。使う人間の心によって人類の脅威ともなれば希望の光ともなる。ウルトラマンティガの力を得た青年役はジャニーズのV6メンバー長野博が演じた。彼の持つ、戦闘的でない柔らかな魅力は以後の特撮ヒーローの流れを変えた。むしろここでは、正義に固執して大きな力にいつしか取り憑かれしまった人間が、従来の悪に変わる怖い存在として描かれた。

 ウルトラマンの世界ではおなじみの戦闘チームの隊長は女性となり、最終回近く、決死の戦いに赴く主人公に「必ず勝って。人として」と送り出す。この時点で彼女は主人公がウルトラマンだと知っている。知っていて送り出す過酷さの認識は、すべてを受け止めた上で言っているという母性的な柔らかさから出てきたものなので、それは従来の「父性」的なヒロイズムよりも力強さを持っていた。

 平成のウルトラマンはシリーズ化された。『ウルトラマンガイア』ではガイアとアグルという二人のウルトラマンが描かれ、前者は純粋無垢、後者は陰りのあるヒーローとなったが、シリーズ後半はこの二人が補い合う存在として捉えられ、変身前の二人の男優が女性たちの人気を集めた。

 こうした平成ウルトラマンの成功に続いて、00年に仮面ライダーが復活した。その『仮面ライダークウガ』もまた、従来の仮面ライダーの設定にある「悪の組織に改造されたヒーロー」という出自が変更され、超古代から遺されたベルトで変身するという設定になった。そして実は怪人側も同じようにベルトで変身していた人間であったことが明かされる。

 そして『クウガ』の怪人は文字通りの<人を殺し得る存在>であり、通りすがりの人間たちを殺戮する。組織だったものは見られず目的もわからない。だが次第に殺人ゲームそのものが彼らの目的だったことがわかる。神戸の酒鬼薔薇聖斗など、現実にも起きていた理由なき不条理殺人と同じようなものとして視聴者に突きつけられたのだ。

 クウガに変身する五代雄介を演じたオダギリジョーは、現在のヒーロー役者に浴びせられる女性人気を決定的なものとしたが、彼もまた、もともと戦いを好まない自然体の男として描かれた。最終回に至る展開では、ベルトの能力が解除され、生身の姿のままで、これもまた人間の姿となった敵と泣きながら血まみれになって殴り合う。

 この番組で人気者となった葛山信吾の演じる一条刑事は、オダギリジョーの五代雄介とコンビ的存在になるが、雄介は一条に、もし自分が制御できないほどの悪の戦士になったら、ベルトを狙って撃ってくれと言い残して最後の変身をする。
 ここでも、人間を超えた大いなる力はそれを使う者によって試されるという展開になっていた。

『仮面ライダークウガ』は平成仮面ライダーをシリーズ化させた。
『仮面ライダー龍騎』では、ミラーワールドと呼ばれたバトルフィールドで13人のライダーが生き残りを賭けて戦うという内容になっている。
 どのライダーも人間時は美形だ。もはや正義はひとつではなく、ルールだけが設定された世界で、それぞれの「戦う理由」を秘めたライダーたちが描かれる。仮面の姿になる前の「人間」がクローズ・アップされているのだ。
 女性ファンがこのような物語に惹かれる理由として、「宇宙船」誌の編集者でもあった脚本家・古怒田健志氏は『新撰組』に惹かれる女性たちと共通するものを見出している。生死を分けた状況の中で、自分の存在を賭けた愛し方や主張を持つ。男同士の友情が確認される。

 女性ファンばかりではない。恋争いのことばかり考えている「大人」ばかりが登場するトレンディドラマでは飽き足りない視聴者にとって、ヒーロー番組は意外な鉱脈になっているのではないだろうか。

『仮面ライダークウガ』『アギト』『龍騎』と新しいライダーシリーズで脚本を担当してきた井上敏樹氏は、昔の仮面ライダーでメインとなって脚本を書いていた伊上勝氏の息子でもある。彼は『特撮黙示録』巻末のインタビューで現代のヒーローものについてこう語っている。
「やっぱり一個のヒーローにヒーロー性を集約しようとすると絶対に受けない。世界自体がヒーローっていうか、個人じゃなくて世界観がヒーローになればいいと思う。その世界に行きたい。その世界が面白い。そういう方がいい」
 特撮ヒーローものの愛好者は、主役のイケメンだけを見ているわけではない。彼の居る世界観を愛しているのだ。そこには、自分たちの日常を極端に突き詰めた緊張感がある。自分が生きているということを肯定し、苦難を乗り越える姿そのものが「ヒーロー」なのであり、もう昔のように<一人のヒーローが世界を救う>ことは一番の目的ではなくなっている。それが、新しい世紀を迎えたヒーローものの示す方向性なのだと思う。
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