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[ 2-ランニング日誌 ] |
今週は筋トレのみ。外に走りに行く時間もないし、寝不足で眠くて仕方がない。富士登山競走が近いのに走れないとは……ならば……ザックに備蓄米20kgを入れて歩荷用ザックを作ったので、これを担いで浅めのスクワットをすばやく行う。略して「歩荷スクワット」。
金曜夜になって、ようやく、ひとつ仕事が片づいた。納品のために5kmほど走る。
ひばりヶ丘方面往復 5km
7月合計 5km
ここ一週間の筋トレメニューは
これで30分ぐらい。暑いと大汗をかく。
ザックを担いでスクワットなんてやってると、高校山岳部のトレーニングを思い出す。
放課後トレーニングの中心は、校内の非常階段を登り降りすることだった。コンクリート階段の床面に落ちる、汗の黒い点々ばかり見ているような地味なトレーニング。なんで下ばかり見ているかというと、ザックを背負うから。背負うザック(当時は背負子かキスリング)にコンクリート塊や砂を入れて35〜40kgの重量にする。この重さで足腰に負荷をかける。なんの面白みもないトレーニングだ(^^ゞ
10往復もすると顔が真っ赤になるぐらい心臓バクバク、汗ダラダラ、足の筋肉はパンパンになる。最後の一往復はダッシュで行う。登りはいいけど、疲れた足には下りが怖い。荷物ごと階段を転げ落ちる時があるからだ。
夏合宿前の最終仕上げの練習では、100回超の階段往復をやったと思う。土曜日だったか、午後にずっと担いで登り降りしていて、終了後は歩いて帰れないぐらい疲れ果てていた。このトレーニングは筋力アップというよりも、心理的な自信に繋がっていた、これだけやったんだから、という……。
あとのトレーニングといえば普通に腹筋背筋、鉄棒懸垂やったり、坂道ダッシュ、そして校外に3kmぐらいのランニングに出かけるとか、体育館の外壁をよじ登っているとか、マイナー体育会系ならではの珍メニューをこなしていた。いや、体育館内もグラウンドも貸してくれなかったので、他の部の邪魔にならないところで練習をやっていた。小さい部室が一つ、部費もほとんどなし、部員も少なく、自主トレ中心。
学校の外にある石垣を登っている時は、近所のガキどもも混じって忍者みたいに遊んでいたし、いつぞやは校舎一階から二階テラスに外壁からよじ登ろうとして、山岳部部長は成功、後輩の自分はテラスに手は掛かったものの、腕力と腹筋が足りず、身体がのけぞった状態で懸垂が保持できず、そのまま墜落して保健室行き、ということもあった(単に馬鹿としか言いようがない)。
山岳部(正確に言えば「山嶽部」)は国体に敢えて参加しなかったし、その一方で危険な沢登りや冬期登山をやっていたので、学校側にとってはヤッカイな部活動だった。国体に出て優勝でもすれば学校の名声が高まるので良いが、そういうこともせず、山で遭難死亡事故でも起こしたら学校は責任問題で大変なことになる。国体不参加の理由は、登山は人と人が競争する場所ではない、自然と共に在れ、個人として自然と対峙しろ、それが人間の本来の姿だ、という部の方針があったからだ。今でもその方針は正しいと思っている。高校山嶽部には、古き良き時代の探険・冒険精神の伝統(極地探検や日本的アルピニズムと、そのスポーツ・ナショナリズムの反省と超克)が残っていた。
独りで走ったり筋トレをやっていると、そういう時代のこと、夏山に湧き上がる積乱雲を目指した時代のことを思い出す。言戸堂陸上部・山岳部員として、いつでも初心に戻って、夏山に湧き上がる積乱雲を目指していこうと思う。