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[ 6-山とある日 ] |
1998年10月。今回の登攀は、新ルート開拓のためのトレーニングとボルト打ちに慣れるのが目的。ならば瑞牆山だ。
ルート概況/ルートは白水社の日本登山体系に出てくる記述通り。若干、取り付きのルンゼの様子が変わっているぐらいだ。当日晴れていても、長雨の後はルート全体が濡れて、下部は水苔と泥で悩まされる。フリー系の人はがっかり、アルパイン系の人は興奮? ピンはある。フレンズ必携。ナッツ各1セットと数本のピトンがあれば安心。同ルート下降は無理なので、頂上から石楠花の薄いヤブを伝って瑞牆頂上とは逆のコルめざしてへ下る。岩塔が入り組んでいてわかりにくい。3回の懸垂があり、1回は垂壁45mなので、ロープは50mがよい。
結果的に登ることになったカンマンボロンは、中央に7mのハングをもつ花崗岩の岩峰だ。「カンマンボロン」とは梵字読みで、大日如来を指すらしい。何百年も前に山岳密教の修験者が付けた名前という。歴史・宗教・民俗学の対象として研究されたことがあるのだろうか。登攀もおもしろそうだが、こうした研究の書があれば読んでみたいと思う。
リーダーの自宅に集まり、出発しようと外に出る。リーダーがなかなか出てこない。後でわかったが、お弁当の「サンマのソボロ飯」を作っていた。これが滅法うまいのだ。20号線を手加減なしにガンガン飛ばす。99年の宮内庁植樹祭準備のため工事で荒れた林道に着いたのは出発からわずか3時間。月が輝く林は冷え込みがきつい。車で寝るよりひとりマットを敷いてシュラフに潜り込む。そういえば、昔もこんなことをした覚えがある。
富士見平小屋の前で、9月だったと思う。北アルプスの山小屋で居候していて、大学受験手続きのために一時的に下山したときに瑞牆山に寄ってみた。韮崎駅前のバス停でゴロリ寝て、起きたらバスで増富まで、後は西日がおだやかに照らす金峰山南面の小さな岩塔を眺めながらブラブラ歩いて行った。日本離れした風景だと思った。ツェルトを張るが晴天なので適当に寝る。次の日は大ヤスリ岩のハイピークルートを単独で登ったりした。静かだった。そして、今日も静かだ。
「起きろ〜♪」の声で目が覚める。時計のアラームが聞こえないほど熟睡していた。寒い、車のなかで温かいお茶とコンビニのサンドイッチを食べてすぐに出発。カンマンボロン下まで歩きやすい道だ。5人のメンバーは、鎌形ハングルートと中央洞穴ルートに行くパーティに分かれてさっそく登攀準備。戻ったらボルト打ちの練習をする。
ルートはどこでもいいし、パーティもどちらでもいい。取り付いたら登るまでだ。今回はスカイフック含めてフル装備で来ている。おまけにザックも背負う。未知の壁でしかも新ルート開拓の練習なのだし。中央洞穴ルートに3人で行く、ゴントがリードする、らしい。白水社の登山体系のルート図をちらっと読むが、記憶しない。ルートは明瞭だ、後は、自分の眼で判断すればいい、そう思ったが甘かった。
洞穴下の泥のルンゼを登る、最初のチョックストンを突っ張りのフリーで越えるが、道具が重いのと、身体が慣れていないので少々怖い。快晴だというのに、これまでの長雨のせいか、どこも染み出して濡れている。ただ濡れているだけなら怖くないが、水苔と泥でフリクションが効かない。ぶつぶつ壁に文句を言いながら登るが、考えてみれば、日本の岩場は濡れているのが普通なのかもしれない。マルチピッチが初めてのKさんが滑るがリーダーのところで止まる。怪我はないようだ、案外ケロッとしている。ここからロープを出してコンティニュアスで行く。壁の悪さに身体がこわばる。腰が引けているのがよくわかる。ルートはどこだろう、ピンはどこだろう、そんなことばかり考えてしまう。予定とは違うじゃないか、自分の眼を信用するんだ。リーダーは「好きなところを登ればいいんだぁっ!」と檄をくれる、まったくその通りだ。
1ピッチ目。ボルトラダーの大ハングルートを左に見送り、ルンゼ状をそのまま詰めていく。カンマンボロンは、大ハングを構成する上部大洞穴と、その下の小さなチムニー状洞穴の二段構えになっており、チムニー状洞穴の右上にあるテラスがルートの中間となる。チムニー状洞穴に至るには、正面のオフウィズスをダイレクトに突破するか、右壁から廻って入らなければいけない。右壁は濡れていて水苔がべっとり付いている。ここをレイバックで? 無理だ。右壁をフリーで? 数歩出て外傾した泥の足場に立つが目の前の怪しいピンがどうしても信用できない。悩む。時間ばかり過ぎる。戻って考える。フリーでは行けない、ええい、アブミを出すぞ。ピトンにフックを引っかけてワンポイントのアブミに乗って越えた。思えば、ここがいちばん往生際が悪かった。この右壁の上にはテラスがあるはずだ。ダイレクトに右壁を越えるルートもあるようだが、とても無理なので正面のチムニー状洞穴に入る。暗い。傾斜のある砂地にキックステップすると、下から水がジワジワ出てくる。悩みつつロープをズルズル引っ張る。ルートを間違えたか? と思ったが、よく見るとボルトが左右の壁に1本ずつあった。ワンピッチ。
2ピッチ目は15mぐらいで短い。チムニー状洞穴の上には穴が開いていて、ルートはそこしかない。フリーで3級、大ハング下の大きなテラスに出たときはホッとした。まったく不思議な岩の造形だ。テラスにはボルトが固め打ちしてある。かかっているスリングが腐っているのでナイフで切る。太陽が当たってほっとする。本来はチムニー状洞穴を通ってここまで1ピッチらしいが、ロープが屈曲するのでピッチを切ったのは正解だった。ガチャ類の扱いが下手で頭にくるし、時間もかかりすぎている。鎌形ハングのパーティはそろそろ終了点に着くようだ。
3ピッチ目、ここからが核心。テラスから正面の大洞穴基部までフリーで行く。詰まったところにヤバそうなチョックストンがひっかかっていて、この上をソロリと刃渡りして濡れた右壁に人工で取り付く。まったく不思議な壁だ。右壁上部は圧倒的なルーフとなって洞穴内部を形作っているが、上部右にはチムニー幅の大きな穴が開いていて、その出口まで右上して行けばいい。プロテクションを間引かないとガチャが足りなくなるぞ〜と言われる、確かに。ピンはよく見えるのでルートは明瞭だし、残置された比較的新しいスリングが残っている。ただし、初登者の心意気か、人工の間にフリーで数歩のトラバースがある。これが怖い。ルーフの下端に近くなったところで、ピンが消える。あと少しなのに。壁は濡れている。フリーでは怖い。乾いた岩なら楽勝ムードなのに。アブミにぶら下がりながら写真を撮って、タバコを1本吸って小休止、後は気合いを入れてフレンズを上部のクラック状に決めてアブミに乗る。すぐに傾斜が落ちてルーフ内に入れた。左右のステミングで安定させホッとする。右足はルーフの内側、左足は洞穴の壁にステミングしながらカエルのように前進、下は80mの空間だ。無茶苦茶なルートだ、笑ってしまう。ルーフと洞穴の壁がくっついて空間を遮る下壁が現れたところで、ナッツを一つ噛まして、光をめざして10メートル登れば出口に到着。陽の当たった壁にボルトが固め打ちしてある。気分は爽快だけど、風の通り抜ける道でもあって寒い。
ここでいくつか問題があった。3人パーティでダブルロープを使用し垂壁を長くトラバースする際、プロテクションにロープを交互にかけていかないと、セカンドまたはサードのどちらかが墜落した場合、大きく振られてしまうのだ。ロープの流れに気を取られていて、このことに気が付かなかった。セカンドがサードのロープをあらためてクリップし直せばいいのだが、できないことだってある。リーダーとKさんのロープを交換して、リーダーは怖いほうのロープを使うハメになった(すいません)。ロープの流れに気を使ったといっても、右上を始める部分で大きく屈曲しているし、壁自体に凹凸があった。スリングが少し短かったので、摩擦が大きくなり、セカンド・サードの確保でロープを手繰るのがたいへんだった。
4ピッチ目、洞穴の出口上もまたチムニーになっている。数メートルを正統派バックアンドフットで登り、チムニーの傾斜がなくなると、砂地のルンゼになる。これを歩いて少し登り、左の垂壁のボルトラダーを10mほど登る。快適。垂壁が倒れてチムニー状のグルーブに入るが、ここからピンが……ない!? まさかこれをフリーで行くって? ほぉ〜などと感心している余裕はなく、人工に頼ろうとする。フレンズを噛ませるクラックもない。ナッツもダメ。コロアイのいいリスもない。ラープなら打てるかな? スカイフック? またしても悩む。ないならフリーだ。ズリズリと身体を左右の壁に押しつけて行けば、不思議と登れてしまう。人工からフリーへ移るときのマジックだったのか。やばいな、と思いつつピンもないのでランナウトして上に抜けて、安定した広場で潅木にビレーをとる。
5ピッチ目、ロープを巻いて右の砂地の凹角を登っていき、チョックストーンの下を抜けると石楠花の稜線で終了。
左へと薄いヤブを行くと、カンマンボロン頂上に着いた。喬木に支えられた白い岩塔群に囲まれているのがわかる。喉が乾いたので水を飲む、ザックを上げておいてよかった。14時を廻った、八ヶ岳がシルエットになっている、早々に下降に移る。そのまま石楠花の稜線をバリバリと降りていく。途中で20mの懸垂、先に降りたリーダーが引くとロープが回収できないことがわかった。懸垂ポイントを換えてラストのゴントが降りてロープを引く。動かない、と思って焦ったが、少し動いた。ユマールを使って体重をかけて引いた。さらにヤブを下ると、大きな垂壁の上に出る。ここは45mの垂壁、最後は空中懸垂になる。さらに下って10mの懸垂で、コルに出る。後は左へ下降して涸れた小沢を渡ってなおも左へトラバースすれば登山道に出て、カンマンボロン下の取付に戻る。
鎌形ハングパーティは早々に降りると、フレンズでの人工をやってみたり、迷惑のかからない場所でジャンピング練習をしていたそうな。その中の一人は、昨日、奥秩父の東沢を遡行している。つ、強い。ゴントもアブミに乗ってジャンピングをあて、ハンマーを振る。約20分で穴があくという。でも時間切れ、あっという間に夕暮れだ。下山し始めたら暗くなってしまった。車に乗って林道を塩山方面に抜け、飯を食べる。20号線が渋滞、眠いが裏道を使って飛ばす。ありがたいことに、リーダーが自宅近くの駅まで送ってくれた。24時。
墜ちるのはいやだ。怪しいピンで墜ちるわけにはいかない。ランナウトできる場所も限られている。しかし、そんなことを言っていたら、判断に迷ったときに最適なアクションを起こすまでの時間がかかりすぎ、結局は体力を消耗し、危険にさらされる時間も長くなる。どんな形で登るにせよ、あるいは敗退するにせよ、覚悟を決める時間を短くしたい。「往生際が悪い」ようなら、最初から登らないほうがいい、と思った。
10日(土)車で夜発→グリーンロッジ先の林道で寝る
11日(日)車置き→カンマンボロン下7:20→カンマンボロン頂上14:00頃
→カンマンボロン下16:00頃→下山