2006年08月29日
南アルプス・甲斐駒-仙丈トレイルラン(JR日野春駅-黒戸尾根-甲斐駒-北沢峠-仙丈ヶ岳)
自主企画トレイルラン。
深夜、日野春駅から走って黒戸尾根に取り付く。甲斐駒ヶ岳からどこまで行けるか??
結果、仙丈ヶ岳まで行って北沢峠に戻ってちょうど15時。15時半のバスで広河原経由で甲府駅へ。
[山行名]南アルプス・甲斐駒-仙丈トレイルラン
[日 程]2006年8月26日前夜発日帰り
[山 域]南アルプス北部
[ルート・行 程]
[→JR中央線日野春駅](0:50)-横手駒ヶ岳神社黒戸尾根取付(02:20)-刃渡り(5:25)-五合目小屋前(6:10)-七丈第一小屋前(6:50)-八合目付近(7:20)-甲斐駒ヶ岳(8:25)-駒津峰(09:30)-双児山(9:50)-北沢峠(10:55)-仙丈ヶ岳四合目(11:45)-小仙丈ヶ岳(12:40)-仙丈ヶ岳(13:20)-北沢峠(15:00)[バス(15:30)→広河原(16:00)→JR中央線甲府駅(18:00)]
[参加者]ゴント単独
[天 候]
曇り時々晴。朝から積乱雲が沸き上がり不穏な感じ。ときどき雷鳴が轟く。3000m付近の稜線は寒かった。前日夕方に集中豪雨があった模様。それでも山道には影響がなかったようだ。
[計画について]
- 登山ではなく、トレイルラン(山岳走)。
- 計画では、仙丈ヶ岳を越えて伊那側の市野瀬まで下りる予定でいたが未遂に終わった。下降したことのない尾根の途中で陽が暮れて雨でも降ったら、疲れ切った身体では危険だと判断。もっと走力がなければ、自分の計画は完遂できないということだった。
- 通過タイムの計算は、標準コースタイムに係数0.5。しかし、岩場があるような場所では登り下りとも0.5では無理だし、後半になるにつれて、係数は大きくなってくる。また、休憩時間も必要。後半は1時間に5-10分ぐらいの回復時間が必要になってくる。
[装 備]
□帽子
□ランニング用半袖(ロード部分)
□ランニング用長袖(山岳部分・寒ければ半袖を上に重ね着)
□ランニング用タイツ
□ラン用靴下
□ショートスパッツ
□ウルトラ用のランニングシューズ
□ポンチョタイプ雨具
□雨具の下
□ランニング用ザック
□ヘッドランプ
□手持ちの小型ライト
□予備電球
□予備電池
□地図
□高度計付時計+コンパス
□バンダナ
□ハンドタオル
□石鹸付きハンカチ
□ティッシュ
□ガムテープ(50cm分)
□レスキューシート
□笛
□小型ナイフ
□記録用デジタルカメラ
□計画書(+予想コースタイム/列車時刻表)
□ペン
□若干の医薬品(バンドエイド、止血ガーゼテープ、キネシオテープ、バンテリンなど)
□着替え一式(できるだけ軽く)
□お金
□保険証コピー
*なお、この装備はランニングをするにはかなり重いと思います。トレイルランをするならば、同じ装備でも、可能な限り軽量なものをお薦めしますし、削れるものは削ったほうがいいでしょう。
*装備を削りすぎれば、トラブルがあった時に命に関わります。ですので、装備や食料については、ご自身の責任において、考えて揃えてください。
[食糧]
□おにぎり2個(走り出す前に食べる)
□ミニピーナッツパン 1連
□菓子パン 1
□アミノバイタルゼリー 小2
□ウィダーインゼリー 1
□飴 15個
□スポーツドリンク用粉末 2リットル分
□予備食(カロリーメイト×2)
[水]
□ポリタン 1L
□ボトル 500mL×2
*途中の水場で適宜、水を補給する
[アクセス]
JR中央線日野春駅下りホームに0時過ぎに着く普通列車。
[季節について]
9月も中旬すぎると日が落ちるのが早くなるし稜線では雪が降ることもある。その前、8月下旬から9月上旬がベストか。
[山行メモ]
- 夕方、仕事も片づいた。助かった、終わらないと行けない。JR中央線普通電車で日野春へ。寝不足、大丈夫かなぁ、と思う。眠れないのならば、喰うだけだ。いろいろと車中で食べる。
- 日野春駅に降りたのは数人、みなさんタクシーに乗ってご帰宅の様子。山に行く奴はオレだけか。駅舎で着替えて出発の準備。ほんとは列車内で着替えるつもりだったけど、まだ通勤時間なわけで……すぐに出発、といっても、準備に20分ぐらいはかかった。今回は時間的余裕がないぞ。
- 駅前からすぐに下に続く歩道を降りて、左に曲がる車道を走ってグングン降りていく。闇なので、ヘッドランプがないと動けない。気温22℃、少し汗ばんでくる。荷物は走るにはちょっと重い。スポーツドリンクを2リットル担いでいる。釜無川を渡る橋で対岸へ、大武川沿いに続く道を緩やかに登っていくと、次第に汗が噴き出す。周囲は水田や畑、雑木林、民家がまばらにある。街灯はほとんどなく、暗い。たまに犬に吠えられる。空は一部分晴れているが、霧で覆われる時もある。上に行けばいくほど、霧が多くなってきた。地図がないと迷う。何度か分岐点で確かめる。「甲斐駒ヶ岳へ」などという道標はないのだから。横手から細い参道の道に入る。この道、ほんとに神社に着くのだろうか? と思うのだけど、道の周囲の手入れがされている感じがして、そのまま入っていく。間違いはなかった、横手駒ヶ岳神社に着いた。深夜に境内に行くのはちょっと不気味だったので止めて、神社の左手から裏の車道に出る。ここから、登山道に入る。約1時間半の走行だった。霧が深くなり、わずかに小雨も混じる。このまま雨降りだったらと思うと、ちょっと気が重い。
- 横手から登山道に入る。途中までとても歩きやすい登山道だったのに、登っていくと、ところどころ悪い箇所も出てくる。なんだか不安だ。不安な原因は道の問題より、心理的なものだ。深夜、一人で霧の樹林帯をガサガサと移動していることが怖い。熊が出るという話しを聞いていたので、存在を知らせるべく、柏手をバンバン撃ちながら登っていく。途中、カモシカや狸に出会って心臓がドキドキ。地図には出てこない沢を絡んで少し急登すれば、笹ノ平に出て、竹宇駒ヶ岳神社からの尾根と合流する。道が広くなった。
- 八丁登り。この距離、この傾斜ならまだへこたれないのだけど、一つ問題が起こった。ヘッドランプの調子が悪い。新しいアルカリ乾電池に替えたのに、フッと光が弱くなって消えてしまい、スイッチを入れ直すと元に戻るのだった。電圧が不安定なのだろうか。量販店の安売りの電池は信用できない、というか、このヘッドランプの電球自体にも問題があるのかもしれない。前に同様の症状が出ていたのを思い出した。ヘッドランプを買い換えようと思った。手持ちのハンドランプを出したり、電池を入れ替えたりして先を急ぐ。夜が次第に明けていく。
- 前屏風の頭の前だった思う。なにか白いものがぼぉおおっと登山道の前に佇んでいる。なんだなんだ、熊か? カモシカ? もっと小さい……な、なんだ……? ギョッとしてしまい、足がすくんで動けなくなってしまった。しばらく目を凝らす、空はすでに薄明るいのに、わからない。正体が分からない何物かが目の前に存在している! 叫びたいが叫べない、とっさに柏手を打った! そしたら、白いものが動いて、人の形になった。人間だ! 遭難者か? 近づくと、フォーストビバークしていた登山者のオジサンだった。銀色のレスキューシートを被っていて、それが薄明の空の光を反射して白く光っていたらしい。向こうも死ぬほど驚いたらしい、こんな時間に、荒い息づかいで登ってくる動物は、熊に思える。話しを聞くと、昨夕、ひどい雨に打たれて日が暮れて、途中まで降りたが疲れてしまい、夜明けを待ってから降りようと思って、待っていたとのこと。遭難寸前の状態なら、トレイルランを中止して、付き添って降りなければならないが、どこも具合は悪くない、自力で降りられる、眠いだけだというので、その場で別れる。ここまで降りているならば、がんばって麓まで降りたほうがいいのに、とその時は思ったのだけど、もしかしたらそのオジサン、ヘッドランプを持っていなかったのかもしれない、と思った。ヘッデンは重要な道具ですよ(自戒を込めて)! 集中豪雨の影響は登山道の所々に見られたけれど、花崗岩のザレが雨を完全に吸収してしまったようで、登山道が川になっている場所はなかった。
- ほどなくして刃渡り。完全に夜は明け、目指す甲斐駒の上には快晴の青い空が見えるけれど、振り向けば積乱雲がどんどん盛り上がって朝日を遮っている。たまに雷鳴ゴロゴロ。もしかして雷雲と競走か? と思って焦る。焦ったところで早くは登れないのだけど。
- 五合目小屋手前の登山道に水が流れていたのでポリタンに補給して通過、次第に梯子・階段が増えてくる。まだ2200m程度だ。あと800m近くあるのに……最初に黒戸尾根を登ったとき、この五合目あたりで、頂上間近と思って油断して、バテバテにバテたことを思い出す。ここからがホントの黒戸尾根だ。
- 七丈小屋を通過。テントからクライマーが出てきて、ザックにロープを詰めたりしている。いいなー、沢もいいし、奥壁も登ってみたいなー……ミニクリームパンを食べて水で流し込んで先を急ぐ、ちょっと遅れ気味だ。
- ぐんぐん高度を稼ぐ、眺望が開けてくる。背後からは霧が追いかけてきて、前方は晴れている。難所の岩には、石碑が置かれ、岩の上には剣が立ててある。駒ヶ岳講の信仰登山者が、石碑や剣を担いで登ったのだろう。駒ヶ岳講は江戸時代に茅野の行者によって開かれたそうだ(その前からすでに道はあったらしいけれど)。今は安定した梯子や階段があるけれど、当時、藪と草付きと苔と岩のミックスした道を登るのはたいへんだったに違いない。花崗岩の側稜が鋭く集まってきて、高山の雰囲気が濃くなってくる。息が少し苦しい。駒ヶ岳神社本社のある峰に登れば、コルの向こうの指呼の間に、甲斐駒ヶ岳頂上が見える。
- 甲斐駒ヶ岳頂上着、40分遅れている。遅れを取り戻すのはおそらく無理だろう。計画変更するか? このまま鳳凰三山へと転進するか。いや、今回の目的は西側にどこまで行けるか、だ。計画通りに北沢峠から仙丈ヶ岳までは行こう、と思う。疲れたので、充分に食糧と水を補給する。北沢峠方面からの登山者が多く、すれ違いに気を遣う。六方石、駒津峰と通過、こんなところはトレイルランどころではない、石がゴロゴロしすぎている。双児山から一気に急降下、北沢峠までもゴロゴロした石が多くて、下りでも速度が上がらない。ともあれ甲斐駒から1000mも降りてしまい、もったいないなぁ、と思う。かなり疲れてきて、先行きが不安になる。
- 北沢峠で11時10分のバスに乗れることがわかる。広河原でシャワーでも浴びて、仮眠してバスで帰ろうか? 心が揺らぐ。まだ時間があるはずだ、ともかく仙丈ヶ岳まで行ってから決めようと思って、再び登り出す。係数0.5、全力で行ってみよう、もしかしたら、タイムを挽回して市野瀬に降りられるかもしれない。仙丈ヶ岳の樹林帯の道は、甲斐駒からの道に比べて、とても歩きやすい、いや、部分的に走れる。
- 森林限界を超え、小仙丈ヶ岳まで上がって、仙丈ヶ岳をみたとき「えーっ、本峰ってあんなに遠いっけ?」と思う。そういえば、高校生の時もそう思ったじゃないか! だが、今は夏、そしてオレはオジサンで運動靴を履いている。走ればいいのだ。
- 小仙丈ヶ岳から稜線で走れるところは走る、今回の「まともなトレイルラン」は、この3000mの稜線走りに尽きる。ガスが湧いて陽も当たらず、北風で寒いこともあって、水平な部分は走っていく。それでも時間は過ぎていき、遅れは取り戻せなかった。走りながら、計画完遂は無理だと判断する。
- 仙丈ヶ岳の頂上には1分もいなかった、すぐに引き返す。計算し直すと、北沢峠15時半だって、このままいけば間に合わないかもしれない。バスに間に合わないと、広河原泊まりになってしまう。なんでこんな計算したんだろう、やっぱり徹夜で疲れているからか? 下降は今までになく真剣に真面目に走っていく。最後の力をここで使ってかまわない。峠までの30分は、学生時代の駆け下りと同じようなスピードだ。こんなことをやると「左膝爆弾が炸裂する」のだけど、今回は不発で助かる。15時ジャストに到着。今回のトレイルランはここまで。計画通りにはいかなかったけど、これ以上は無理なのだし、充分に走った。
- バスに乗り、広河原で乗り換えて甲府まで。このカッコのままで帰るのは嫌だ、銭湯に入りたい。甲府駅前の交番で銭湯の場所を教えてもらう。交番とは反対側の北口から北東方向に歩いて15分。城北の湯(城北温泉、山梨県甲府市北口3-8)。どこにでもある普通の銭湯だった。汗を流し、着替えて、駅前に戻ってマトモな飯。心地よいけど、なんだかどっと疲れが出てきた。
- 甲府駅から普通電車に乗る。足がダルイ。すぐにウトウトする。電車を乗り継いで、その日のうちには、自宅に戻る。
[そのほか]
- 山梨県甲府市の銭湯 一覧
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/4471/1010.html
(現在も銭湯が存続してるかわからないので注意) - 銭湯用の石鹸の持参方法。ハンカチに「ビオレU」を染み込ませてビニールに入れて持っていった。これは正解だった。男性限定だけど、これなら頭から足先まで洗えるのだった。
- *仙丈ヶ岳には、高校生のときに冬に戸台から入った。北沢峠にテントを張ったのだけど、夜がひどく寒かった(マイナス15℃)。夜はホエーブス3台で、鉄タライでカレーを作って食べた。翌日、頂上ピストン。樹林帯を黙々と登り、森林限界を越えると風が強かった。稜線の地形は緩やかで、クラストした雪面にアイゼンを効かせて登っていく…遠くて寒くて消耗した。
- 下山後しばらく疲労が抜けず、風邪気味になったので、葛根湯を飲む。
2006年08月25日
夏の20km
昼間、太陽の下で20km。1.5リットルの水分補給。
8月19日
朝霞水門まで黒目川を往復。先日20km走れず15kmでダウンしてしまったので、リベンジ。
片手に500ミリリットルのボトルを持って、持ち替えながら、ゆっくり走る。この程度のスピードでないと長いこと走っていられない。途中の公園まで行く間にボトルが空になり、自販でアクエリアス購入、飲み口だけ交換する(マイ・飲み口携行。片手の指で開けて、ボトルを押すと飲めるので)。朝霞水門ですぐに折り返し、帰りも同じ公園で水を足す。そのたびに頭から水をかぶり、脚にも水をかける。冷やさないと走れない。熱中症にはならなかったけど、ペースは遅く、2時間程度では帰って来れなかった。日焼けがひどくなってしまった。
8月20日
なんだか昨日の20kmで疲れたのか(正しくは、そのまえの15kmの悪影響)、6kmでおしまいにする。
8月合計 175km
8月最終は長距離自主企画トレイルラン予定。苛酷度最強? の「大横断シリーズ」。ハセツネ対策でもある。
2006年08月19日
長い距離を走れず
20kmをゆっくり走ろうとしたが、15kmで完全にバテル。
台風の影響がなくなって夏が戻ってきた。風があって走りやすかったので、20kmを設定。今月来月は超ロングで脚を作り直すのだ。山から戻ってきて基礎の脚はできてるはずだ、あとは距離を踏まなくては。
ところが10km過ぎてから熱中症の状態。かなりひどく、スポーツドリンクを飲むが回復せず、15kmで歩き。歩いているだけでも気持ち悪い。途中で何度も休みながら戻る。戻った後は飯もまともに食えずに倒れるように眠る。脳や臓器にダメージがあったらたいへんだな……気を付けなければ……夏の超ロングは、ほんとうにゆっくり走らないとダメなようだ。昨年もそうだったけど、山を歩いたからといって、走ることとは別なのだった、そのことを忘れていた。
8月18日 15km
8月
奥武蔵 44km
例会 15km
山(トレ効果換算) 15km×4=60km
8月合計 134km
2006年8月夏山-南アルプス白峰三山縦走(北岳-間ノ岳-農鳥岳)
標高3000m超の稜線に続くお花畑を堪能しました。
[写真レポート]
[山行名]2006夏山:南アルプス白峰三山縦走(北岳-間ノ岳-農鳥岳)
[日 程]2006年8月11日朝発−14日夜着(露営3泊)
[山 域]南アルプス白峰三山(北岳-間ノ岳-農鳥岳)
[ルート]涸沢〜北穂高
[行 程]
8月11日 中央線普通列車→JR甲府→(バス)→広河原Camp
8月12日 →大樺沢→右俣→北岳肩の小屋→北岳頂上→北岳山荘Camp
8月13日 →中白根山→間ノ岳→農鳥小屋→西農鳥岳→農鳥岳→大門沢小屋Camp
8月14日 →広河内→奈良田・奈良田の里温泉→(バス)→JR身延駅→JR甲府→(中央線普通列車で帰る)
[参加者]ゴント含計2名
[天 候]
8月11日 晴
8月12日 午前中は曇、晴れたり小雨が降ったりと忙しい。12時北岳頂上は曇り、甲斐駒・千丈方面に雷鳴が響くようになる。13時30分北岳小屋前テント場にて雷雨、16時頃には雨止み曇・霧
8月13日 ガス、小雨混じる。西風強く寒い。間ノ岳を越えるとガスが切れて曇りときどき晴れ、農鳥岳を越えると晴れ。大門沢小屋前テント場は晴れときどき曇り
8月14日 快晴→晴れ。
[計画について]
- 今夏も普通の縦走になった。毎年考えているのは同じで、沢登り+縦走、という「沢旅スタイル」。昨年は天候が悪く、道具など準備して持っていったけど、実際の沢に入れなかった。今夏は仕事が詰まっていてルート選定や山の準備が遅れてしまい、沢の計画が充分に練りこめなかったので、沢は止めることにした。実際に行くなら、5月末ぐらいから沢の練習をしておく必要があるだろう。気象条件も良くなかった。7月に集中豪雨があって梅雨明けが遅れたり、今年は沢の源頭に残雪が多いように思われた。単独なら行けると思える場所でも、相棒の技量を考えると難しくなる。
- 夜行で行って夜行で帰るといった弾丸ツアーではなく、睡眠が充分にとれた時間に余裕がある山行で、落ち着いた山旅ができた。ガツガツ山に登るより、こっちのほうがいいな、と思う(とはいえ時間に余裕がないのは毎度のことなので、今回は特別なのかもしれないが)。
- 今計画の目玉は、「山の花の稜線」「下山時に温泉があること」。今夏は冷夏なのか、山ではすでに秋が近いというのに山の花がたくさん咲いていた。特に3000m近い場所の高山植物の花は、ベストタイミングだったかもしれない。「奈良田の里温泉」(付・白籏写真館、奈良田民俗資料館)は夏山の下山地としてとてもよかった。この温泉には、今後も行きたいと思う。
- 奈良田に下るには、大門沢を下ることになるけれど、この谷の道は、2006年7月中旬の長野集中豪雨で丸木橋が流されるなどして通行止めになっていた。ほどなくして復旧したという情報がヤマケイのサイトに出ていて、下山コースに採用できた。ただし、広河原まで続く県道南アルプス公園線は土砂崩れで通行不能になっていて、広河原→夜叉神峠→甲府という帰路は採用できなかった。旅としては、奈良田→身延駅でよかったと思う。
- 南アルプスの縦走は奥深いなと思う。原始的で緑が濃い。人が少ないのも良い。滝の少ない沢をつめて源頭に出たら気持ちいいだろうなと思う……
[山行メモ]
- コースタイムは、ほぼ、『山と高原地図41 北岳・甲斐駒』通り(休憩時間含む)。下降は若干、早かった。
- 1日目。JR中央線の普通列車で甲府駅まで。駅ビル内の食堂で飯。バスは午後一の便。盆地の夏は暑い! バス停に並ぶと汗が吹き出る。入山者は15人程度か。朝のバスなら満員なのかもしれないが、北アに比べて登山者が圧倒的に少ない。甲府駅からバスで入る人より、芦安まで車で入って、相乗りタクシーで広河原まで行く人のほうが多かった。夜叉神峠のトンネルにあるゲート信号での待ち時間にわかった。
- 広河原山荘前のテント場は広いし平ら。展望はイマイチ。自動販売機がある(価格は山の価格だけど)。有料簡易シャワーがあったので、下山してきても汗を流してからバスに乗れるのだなー、これは使えると思った。
- 天気予報はラジオで。地元のAM民放ラジオの天気予報(これがいちばんアテになる)を聞くと明日は午後から崩れるようだ。寒気が入り込んで大気が不安定な状態にあるという。3000mの稜線を歩いている時に雷雨に遭遇する場合、雨や雷は横から来る、タダでは済まない。ともあれ、早め早めに出発、夜明けには……。
- 2日目。04時50分発。少し遅いか? ちょうどヘッドランプが不要になる時間だった。広河原→北岳(3192m)の標高差は1600mぐらい。普段のランニング効果で高度差は気にならない。重くないザックで気がラクだ。
- 大樺沢は思ったより登りにくい。左岸の崩壊で巻き道が増えたように思う。二股で右折れ、右俣コースに入る。バットレスのスカイラインを左手に見ながら主稜線に上がっていくと小雨。雨具を着るが暑い。森林限界を過ぎて、雨も止む。高地にやってきたという気分になる。疲労していても、すばらしい眺望で気分爽快で解消される。
- 天気がよければ、少し欲張って、農鳥小屋まで足を伸ばしてもいいやと思っていたけれど、とんでもない、12時北岳頂上は曇り、甲斐駒・千丈方面からドーンドーンと雷鳴が響くようになる。周囲の山には雲がまとわりつき、大気が一斉にざわめいて雲が乱れて伸び上がっている。長居せずにすぐに頂上を降りて北岳山荘に急行する。
- 13時にはテント場に着いた。全力でテントを張り、荷物をテントに放り込む。こんなに焦ってやることもないとは思うけれど、昨年の夏山でも、雷雨と強風にやられて痛い目に遭っているわけで、降り出したらあっという間に周囲が川になったりするのだ。テントの張綱はガッチリ緊張させて張るべきだし、時間があれば、フライシートの下の地面に溝を掘っておくべきだ……溝を掘っているときに、いきなり降ってきた。間に合った……ひどい雷雨になったが、まったく濡れずに退避できてよかった。北岳山荘によれば、あまりにひどい雷雨の時は早めに小屋に避難してくれ、とのことだった。テントのなかでラジオを聴くが、空電で雑音だらけになり、放送が聞こえない状態だった。天気が気になるなら、その時点でラジオをつけてみれば、雷がどれだけ発生しているかわかると思う。放送が聞こえないぐらいだったら、一刻も早く、避難したほうがいい。
- 北岳山荘のトイレはバイオトイレ、大樺沢の二股にも自家発電式無人バイオトイレが置いてあって驚いた。
- 3日目。04時40分出発。霧。西からの風が強く寒い。道はおおむね稜線の西側につけられているので避けられない。雨具を着てフードを被る。間ノ岳までそんな調子で展望もなく歩く。間ノ岳を越えるとようやく風もおさまって、晴れ間が見えてくる。下に見える農鳥小屋と間ノ岳の二重山稜と氷河地形の斜面が幻想的で日本離れしている。この景観を見られただけでも今回の山行には意味がある。山好きなら、一度はこの山稜を通ってみてください。
- 農鳥小屋前でコンロで珈琲を湧かして飲む。天候は確実によくなっているようだけど、午後はどうなるかわからない。先を急ぐ。小屋から西農鳥、農鳥岳までノンストップ。このあたりは高山植物が多く花畑が続く。雷鳥にも至近で2回遭遇する。
- 農鳥岳から大門沢分岐へ。遭難のあった箇所に鐘櫓が建てられている。左折して斜面を急降下。ジグザグに降りて大門沢小屋前のサイトへ。結局、雨は降らず、入道雲を見ながら夕食の準備。某RK大学の山岳部の夕食がおもしろかった。小型コンロしかないようで、一人分の麺を茹でては一人ずつ食べるという奇妙な光景を目にする。普通、コンロを下に三つぐらい並べて大鍋で煮炊きするだろう? 鉄タライ持ってきなよ……山でも「個食」なのかよ、と思う。そのうち、全員、一人用テントでそれぞれが分散して寝るのだろうか? その部の朝飯は各自らしく、それぞれが食パンを食べていた……そういう時代なのだった。
- 4日目。今日は奈良田に下って帰宅する。大門沢小屋を下っていくと沢を渡る丸木橋がある。高さはほとんどないが、飛び石をするようにさっさと渡らないとバランスを崩す。荒天時は丸木橋が流されて渡れないこともあるようだし、バランスを崩して橋から落ちた高齢者もいるようだ。
- 途中に、沢を下っているとは思えないような平らな地形があった。不思議な地形。これはかつて、野呂川が湖のようになっていて、周囲の沢の傾斜がなくなって、堆積した時期があり、その後、野呂川の湖が決壊し、浸食が進んだのでは、と思ったりした。
- 食糧が減った分だけ荷物が軽くなっているので、下山の林道もつらくない。奈良田まではほどなく着いた。10時前のバスにも間にあってしまったが、「奈良田の里温泉」に入るので14時前のバスにする。
- 「奈良田の里温泉」はすばらしい。道路から少し入った、奥まった集落の斜面にある。温泉に入った後は日本家屋のような施設で食事もできる(有料)。縁側に荷物を置いて座ることもできる。冷房などなくても、奈良田の夏は、日陰であれば涼しい。また、奈良田の歴史民俗を紹介する施設もあって、バスが来るまでの時間を有意義に過ごせる。かつてこの里が焼き畑を行っていたことがわかる(縄文農耕……藤森栄一……縄文の里かもしれないと思う、きちんと調査すれば出るものが出るはずだ)。叙情詩、散文詩の田中冬二が詩に取り上げた里でもある。のんびりしすぎて、飯をまともに喰うのを忘れてしまった。
山梨県南巨摩郡早川町奈良田地区の焼畑について
http://archaeoring.ld.infoseek.co.jp/orbit/explorer/kouchi/narada.htm早川町をフィールドワークしている「日本上流文化研究所」
http://www.town.hayakawa.yamanashi.jp/JORYU/
(町民2000人へのインタビュー、現在800人まできている、興味深い試みだなーと思う)奈良田の里温泉
http://www.town.hayakawa.yamanashi.jp/H-KANKO/NARADA/naradayu.html山梨県南巨摩郡早川町 〜南アルプス邑はやかわ〜 のサイト
http://www.town.hayakawa.yamanashi.jp/
(現地登山情報も詳細に報告されているのでチェック)
- 奈良田からバスで身延駅へ。満員で立ちっぱなしで1時間ちょっとかかったが、さして疲れない。電車待ちで1時間ほど時間もあるが、いざ飯を喰おうと思うと1時間は短い。結局、身延駅の駅そばを食べたのだけど、これがうまい! 全国の駅そばベスト50に入るそうだ。
- 甲府の駅前で、夕飯のトンカツ。うまい。南口の公園前のビルの地下一階にある。甲府から中央線普通列車で高尾へ。帰省帰りで混むかと思ったら空いていて、のんびりできた。
[下山後]
- 疲れていないかと思ったが、下山後の週は疲労が出てきて調子が悪かった。富士登山競走、奥武蔵ウルトラマラソン(リタイヤ)と続けての週で山に行って、身体が休まっていなかったようだ。山のほうが涼しくてよく眠れたけれど、下界は暑すぎて睡眠不足になってしまう。
- 帰ってきてからほどなくして、かつての山の知り合いが亡くなったことを知る。そんな馬鹿な、と思ったが間違いなかった。今頃どこかに登っているだろうか、と相棒と話しをしていた、まさにその日の出来事だった。山はどんなベテランでも呑み込んでしまう……
奥武蔵ウルトラマラソン・リタイア
44.7km、折り返し点でリタイアです。調子が悪くて走れず、残念。
熱中症のような症状で、走ることができなくなり、折り返し点でリタイア。歩くことはできたが、それでも、気持ちが悪くて速度が出ず、途中のエイドで回収車に乗せられていたと思う。
途中までは問題なく走れていた。前半の鎌北湖に入る周回10kmも抑え気味に通過。そこから坂道を走って登っていくうちに変調が少しずつ出て、刈場峠付近で急に走れなくなった。3kmごとのエイドでは毎回、頭から水を被り、水分もエイド食も充分に摂っていたのに、急速に調子がおかしくなって、異常な発汗、体温の調整ができない、暑いのか寒いのかわからない、胃が張ってムカムカして気持ちが悪くなる……という全身の症状。塩が足りなかったのか、それとも摂り過ぎか、もっとご飯類を食べておけばよかったのか? 補給に関しては何が悪かったのかよくわからない。
走れなくなった後、ともかく折り返し点までは歩いていって、調子が回復したら走ろうかと思ったが、回復せず。かき氷を食べて、リタイア宣言。回収車が来るまで、1時間ほど道端の日陰でノビていた。筋肉痛はないけれど、ともかく座っているだけで眠くて仕方がない。14時には回収車に乗って、15時半にはゴール地点まで運ばれる。この回収車に乗ったのは20人程度。車中、ゴールを目指して走っていく人たちを見て、この暑さとアップダウンのある道を最後までがんばれるのはスゴいことだな、と思う…。
敗因分析:
1 登り坂で無理に走って登ったこと。
最初の300m程度の登りは乗り切れましたが、さらに400mの登りで、温度が上がり過ぎた。そうした体調の状態を正確に把握できなかった。
2 寝不足。
前日の夜、あれこれと忙しく、3時間ほど横にはなったが、まったく眠れず。徹夜での出場で、身体の状態をうまくコントロールできなくなっていた。これがいちばんの原因だろう。
3 富士登山競走の疲労。
まだ抜けてなかったのか? 筋肉痛はまったくなかったが、身体全体をコントロールする機能が弱っていたのかもしれない。
4 夏のウルトラに特化したトレーニングをしていなかった。
富士登山の距離は、水平で約20kmだし、登り一辺倒で、暑いロードも前半の10kmだけだった。夏のウルトラマラソンをやるなら、アップダウンのある40kmぐらいのコースを水分を摂りながらじっくり走る練習をしておかなければならない。今回、それをやる時間がなかった。月間の走行距離も足りなかった。昨年は富士には登れなかったけど、奥武蔵には通用する練習はできていたのだと思う。
メモ:
- ロングタイツは暑かった。ハーフタイツにすべきだった。なお、ユニクロのタイツは、水に濡れると肌との摩擦が大きくなって擦れてしまい、ウルトラ向きではないようだ。
- 水に濡れると肌にくっついてしまうTシャツはダメ、熱を放散できない。前回の奥武蔵の完走T
シャツがダメでした (^^ゞ - ウルトラ用に、ソールが厚めの靴を履くべきだったかもしれない。下りのダメージを考えての対策。
- 参加にあたり、Fuさんの車に同乗させていただきました。ありがとうございました。
2006年08月07日
夏山登山注意!台風7号マリア接近中
NHK等、気象情報ではあまり強く言われていないけど、台風が中部山岳めがけて急に接近してきている。非常に危険だと思うし、報道機関は、注意・警告を積極的に出すべきだ。
台風が中部山岳の西寄りのコースをとれば、それだけ湿度の高い空気を東側に巻き込んで、山岳の東南斜面にブチ当てる。そこに大雨が降る。この台風はまだまだ成長途中で、これからもっと発達するかもしれないのだ。
この時期はたくさんの人が山に入っているし、これからお盆休みになるので入山者が増える。少し大げさでもかまわないので、注意・警告を出しておくべきだと思う。危険に対するアンテナが鈍すぎるし、対応も遅い。
3つの台風が突然生まれ、その一つが北寄りに進路を変えてくるのは予測できないことだったかもしれないが、予測できない事態だからこそ、危険なのだ。想定できないことは存在しない、みたいなお役所対応では困る。コトが起こってからでは遅い。悪い予報を出すことで生じる経済的損失の責任を負いたくないから、甘い予報しか出せないのだろうが、人命を優先して情報をどんどん出すべきだ。
今年は梅雨が長引き、山の土壌は大量の水を含んでいるから、山崩れが起きやすい。崩れたら登山道が通れなくなったり、林道も通行できなくなって、孤立することもありうる。中部山岳で沢に入ろうなんて思っている人は、今日明日入るのは止めておくべきだ……
……海もアブナイよ……山より海に遊びに行く人多そうだよね、暑いし……テレビやラジオで言わないなら、オレが言ってみた。
2006年08月05日
猛暑予想の奥武蔵ウルトラマラソン
猛暑のレースになりそうだぁ、第13回奥武蔵ウルトラマラソン(NPO法人スポーツエイド・ジャパン主催)。
富士でヒドイ日焼けをしてしまって、身体の内も外も、まだ完全修復できていないのだけど、完走したいところです。折り返しまではぜったいに無理な脚の運びはしない、これが今回の作戦です。昨年よりもさらに、往路は抑える。昨年のことを思い出すと、最後の20kmぐらいが完璧にヘロヘロ、脚が痛くて、つらくて仕方なかったのでした。初ウルトラ、でしたね、考えてみれば。。少しは強くなっているのでしょうか。
2006年夏山計画、南アルプス?
「沢旅スタイル」で少し山深い白峰三山はどうだろう。滝らしい滝のない、谷と沢をゆるりと登って、稜線に立つというのは……
南アルプスで行ったことのある山は、甲斐駒・仙丈・北岳、鳳凰三山。今年ももう少し奥に。それにしても、南アは学生のときに行っておくべき山なんだぁ、と思います、深いなぁ、なかなか行けないですよ。
さて、野呂川荒川北沢本谷で北沢山荘か、亡魂沢で北岳踏んでから行くか、それとも熊ノ平から間ノ岳・農鳥岳方面に出るか。雪渓はどうだろうか。下山はどっちに? 2006年7月の大雨のため、8月5日現在、広河原→奈良田間は土砂崩れで通行止めになっている。