『「仮面ライダー響鬼」の事情』−−人は鬼になれるか?

『「仮面ライダー響鬼」の事情−ドキュメント ヒーローはどう〈設定〉されたのか』(片岡力著/五月書房刊)を読む。

ヒーロー像を造り出す、設定の制作ドキュメント。
何かを創り出そうと真摯にもがいている人たちは、ぜひ読んでみて欲しい。
ちょっと値段が高いかもしれないけれど、それだけの価値はある。


以下、個人的な、とりとめのない話。

テレビの特撮番組「仮面ライダー響鬼」は途中まで見ていたけど、途中から見ていなかった。
当時、自分は何をしていたか?

鍛え足りなきゃ、鍛えるだけだ?@旧GONT-PRESS

「鍛えたりなきゃ鍛えるだけだよ」の台詞が気に入ってた。

ヒビキ(細川茂樹)が明日夢に言う台詞だった。

ある話を思い出していた。

登山家が書いた登山記に描かれた、登山家と少年の会話。

(なんとなく、こんな話)
登山の前夜、山の麓で眠る登山家と少年。
少年は、明日の登山ルートが気になって仕方がなく、眠ることができない。
もし、途中の岩場で登れなかったらどうしよう、途中の氷河にシェルント(亀裂)があって渡れなかったらどうしよう? 迂回するしかないんだけど……
不安でどうしても眠れず、登山家に「どうしたらいいんでしょう?」と聞いてみた。
すると登山家は笑って
「道を迂回していけばいいさ」。

それで少年はぐっすりと眠ることができた。

(『若きアルピニストの魂』ジャン・コスト著、だったと思うけど、もしかしたら、違う本、違うシーンだったかもしれない)

直登して飛び越えるにしても、回り道するにしても、「鍛えたりなきゃ鍛えるだけだよ」。
練習する。それだけ。
それ以外に手がない。

そのようにひたむきにやっていても、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。また、一つのことに集中するため、他の作業が止まってしまうこともある。

止まってしまえば、それは、お金にはならない。
仕事にならないものは請求できない。
ビジネスは過程(プロセス)ではなく、結果だ。
だが、過程を支えた人間に報酬はないのか。

こういうことはどんな仕事にもある。怒りもある。

自分もそのような怒りに襲われた時期があるけど、2006年末に償却した。
償却する、ということはつまり、返し終わった、ということだ。
なぜ、債権を持っているはずの自分が返さなければならないのか。
おかしな話だけど、そういうこともある。

『「仮面ライダー響鬼」の事情』にも書いてあるじゃないか。

「感情の軛から解き放たれたとき、人は真の自由を得ることができる」。

軛という水平の牽引関係を垂直にすれば、ぶら下がっているということであり、相手に宙づりにされている、支配されている、ということだ。
期待は投資だけど、期待通りにいかない場合は、いつの間にか、自分が抱える感情の負債になる。
その負債はもう返した。
我が内なる道徳律には「怒りは恩赦されなければならない。一定期間をもって」とか「結果オーライ」が新たに加わった。
いや、all right ではないかもしれないが、怒りは恩赦される。一定期間をもって、自分のために。
特に、悦ばしき祭によって、それは為される。

2007年春、知り合いの多数の力の結集によって本が出た。
借りたものは別の形にして返す、しかも倍返し、というのが、彼の流儀だ。
いや、彼にとっては、それは悦ばしいという言葉では表せない、極めて複雑で複合的な感情があるのかもしれない。それでも彼は、ドキュメント本を出したことで、自らを鍛え、また先に行けるはずだ。

氷河の上で、長い長い迂回路を通って、怒りや失望のシェルントを飛び越え、前に進んでいく。
その暗い感情を飛び越えて、新しい仕事を自分でやれるようになり、そして、新たに創り出していく。

ところで、
響鬼はなぜ明日夢と共にいたのだろう?

文化批評家の切通理作氏と、片岡力氏がネットで対談している。


切宮〜キリミヤ・シネマラジオ
切通理作と宮川ひろみの映画

「闘い方を少年に伝授するといっても、現実に鬼になんてなれないんだからそこを描くなんて無理なんだ、それでも不可能な闘いをするとして、どういうふうにそこに迫っていくのか」
(要約GONT)

この切通氏の問いに、何かとても重要な点がある
(この質問の箇所で、偶然、地震が起こっているように)。
ピンポン球のように軽いようでいて、急所の眉間に、きわめて正確に、高速で当たっているように思える。

片岡氏は別の機会に、別の形で、この答えをきちんと返して(表して/著して)くれるものだと思う。
それが彼にとって「職業」としてそうなるのか「仕事」としてそうなるかはわからないけど。

なんかなー、いろいろ思うこともあるけど、やっぱ、鍛えるしかないんだ。

参考(孫引)

「「職業」が多くの人たちにとって,自己を実現する唯一の場——とまではいわなくとも,少なくとも基本的な場であると同時に,まさにそれゆえに,自己を喪失し,疎外されてゆく基本的な場であるという2面性」


真木悠介と見田宗介 – 筆名を使う意味

「職業におけるエロスとタナトス」『別冊経済評論』通号 4 [1971.02.00](NDL雑誌記事索引より)

こんなことを書いていていろいろと思い出してきた。

「いかりのにがさまた青さ
 四月の気層のひかりの底を
 唾し はぎしりゆききする
 おれはひとりの修羅なのだ」
(宮沢賢治「春と修羅」より)

人はなかなか鬼になれないけど、それでもヘッドランプを点けて、亀裂の走る氷河をガシガシと登っていく。

「仮面ライダー響鬼」の事情―ドキュメントヒーローはどう〈設定〉されたのか

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