春一番、火星の台地

坂東の台地に春一番が渡れば、その風景は火星のそれだ。

畑の土が舞い上がり、砂塵となり、空を覆う。地平線は赤く染まる。

火星よ 我が故郷よ −

とさえ言いたくなる風景だ。

その風景の中を歩き、砂塵がレントゲン色の脳内を貫通するときに生まれるのが言葉だ。

「小さな足跡が数分で埋もれてしまう風に向かって
どこに続いているのかわからない畑は
火星の干涸びた運河の堤防」
「黒い意識は集まり 風が人を人の終わりへと
吹き流そうとする まえに
足を交互に前に置き 自分の影をたなびかせて
関節を凍らせてもなお立ち止まり
ここにはないはずの石を拾っては捨て
人は夕暮れがきたのに気がつかない」

砂塵の中を歩くとき、この言葉を思い出す。
「私はさらにひそかに思うが、そのとき、そこで起こることは、恐らく、そこにしか起こり得ないものに違いない」

砂塵の中にしか顕れない山について今は語るべきか。

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