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ファン・ランニング企画が生まれるまで

Edition.1.0_2004.09.21

*ランニングの記録を早く読みたい方はこちら

*第2回『鉄塔武蔵野線』ファン・ランも企画中。来夏予定。参加者募集?(いないか、さすがに)
 自転車での参加もOKってことで「目指せ、1号鉄塔!」。

『鉄塔武蔵野線』に出会う


 この小説に出会ったのは、単行本原作の映画化に合わせて、単行本が文庫になった時だと思う。単館ロードショーはすでに終わっていた。小説に描かれる鉄塔を追いかけてチャリンコで走る少年の姿は、都市郊外で雑木林や田畑を走り回っていた自分の子ども時代の記憶を呼び覚まし、心を揺さぶられた。その話しを元同僚の本好きのU氏にすると、彼は単行本からのファンで、鉄塔武蔵野線の見える土地で育った地元の少年だったとのこと。単行本と文庫の結末が違う点を説明してくれたり、単行本のカバーをはずした表紙には地図があると教えてくれたり、武蔵野送電鉄塔の写真画像をメールで送ってくれた。その後、見逃していた映画がビデオになって、何度も見直し、自分は映画のほうが好きになり、ネットで映画評を勝手に書いたりした。
 新潮文庫の表4解説文によると「――未知の世界を探検する子供(ママ)心のときめきを見事に描き出した新・冒険小説」とある。少年たちの冒険の舞台は、ジャングルでも山でも海でもない、鉄塔と送電線のある雑木林・畑・川、都市の郊外だ。日本ファンタジーノベル大賞では、既存のジャンルに当てはまらない「鉄塔文学」とされた。選評には評論家も困ったらしい。普通の少年冒険小説というより、鉄塔への愛情に満ちあふれた(?)奇妙な小説であり、その愛情の強さは理解できるものの、愛情の対象そのものへの理解はとてもできなかったのだ(それは自分にしてもそうだけど)。鉄塔・送電線好きの人たちは、この小説を聖典とし、日高の変電所・1号鉄塔を「聖地・ガンダーラ」などと呼んで記憶に留めている(「第1回世界鉄塔調査学会」開催される!!)。文庫本・単行本は古本屋にしか置いてないだろうし、この小説・映画は次第に人々の記憶から薄れていくのかもしれない。
 だが、この小説・映画を生涯、忘れない人もいるはずだ。かつての少年たち、郊外の野原を走り回っていた記憶がある人たちの中に。


ファン・ランの動機


 2004年、自分は引っ越しをする、偶然にも「鉄塔武蔵野線」が見える場所に。忘れていた記憶が甦ってきて、小説を読み直し、ビデオも中古を手に入れて見直した。そして、ある思いに駆られた。
 「〔鉄塔武蔵野線〕を実際に辿ってみよう」
 なんでそんな酔狂なことを、と思うかもしれないが、自分にとっては、いくつかの理由がある。
 一つは、単純に確かめてみたいと思ったこと。「ほんとうに鉄塔武蔵野線は存在するのか、ほんとうに鉄塔に沿って送電線を見ながらたどりつけるのか」と。著者が精緻な取材をして描いた小説を読めば、そして、実際に「鉄塔武蔵野線」沿いにロケハンをしていった映画を見れば、それが可能だということはわかるが、自分の足で確かめてみたかった。
 もう一つは、このルートが、挑戦しがいのある、登山のクラッシック・ルートと同じように思えた。「鉄塔武蔵野線」を登山の岩稜ルートと考え、埼玉県日高市の変電所にある「1号鉄塔」を山の頂上と見なしたらどうだろう? と。次々に現れる鉄塔を尾根上の小さなピークと考えればいい。あるいは、沢登りで頂上を目指すルートと考えたら、鉄塔の一つ一つは滝になる。自分にとっては、「鉄塔武蔵野線」は岩稜の登攀記と同じように読める。まずは新ルートの発見、一人での試登でイケルと踏み、今度は二人で試登して途中まで登りフィックスしてダウン、本番は万全の装備で挑み、最高到達地点までユマーリング、次々に現れる難所を越えていくが日が暮れてしまい、一人は下山、一人は頂上を目指しビバーグ、翌日は単独で最後の4ピッチまで迫るが、アクシデントが起こり下山……そんな登攀記。登攀記を読んで、自分もほんとうに登れるかどうか、行ってみたい、そんな気持ちだった。なぜ山になんか登るのですか、と言われたら答えられないのと同様に、主人公の少年も1号鉄塔を目指す理由について明確に答えられない、同じような不思議な情熱に包まれた世界がある。
 自分が現在の仕事、本の世界の仕事は、元をたどれば「山の本」を読むことから始まっている。行動が本を産み出し、本がまた行動を産み出していく運動の中に、ほんとうの本のおもしろさがあるはずだ。本から始まる旅、という点も後押ししたと思う。
 そしてもう一つの動機は、「山岳耐久マラソン」のトレーニング。70kmの山道を24時間以内に走り切るレースへの出場を決めたため、平地で70kmは走っておくべきだ、と思っていた。「鉄塔武蔵野線」を往復する距離を調べたら、ちょうど70kmぐらいになることがわかり、よい機会だと思って走ることにした。

ファン・ランの計画、1日で鉄塔調査を


 小説や映画で、子どもたちは自転車を使い、2日間かけて旅をする。既に踏まれているルートだし、大人が同じことをマネしてもおもしろくない。大人なら自転車を使わず、足で走り、1日で1号鉄塔まで至り、戻ってくるのはどうか。この程度の負荷をかけなければ、子どもが体験した状況は体感できないだろうと思った。
 鉄塔調査については、可能な範囲で、とした。実際のところ、畑や私有地のなかに鉄塔があり、そこに侵入することはできない。走ってみて、「子どもだからこそできる」「大人にはできない」ことがよく理解できた。そういえば……子どもは大人の引いた境界線など無用で、あらゆるところに自由に出入りできるのだった(昨今は違うのかもしれないが)。
 今回の『鉄塔武蔵野線』ファン・ランの目標は、基本的に送電線に沿って道路をランニングし、可能な範囲で鉄塔調査をし、「1号鉄塔=変電所」に至り、戻ってくるというものだ。小説や映画のごとく、できるだけ送電線の真下を直線で行こうとか、鉄塔をすべて確認しつつ、鉄塔の下にメダルを埋めるといったことはしていない。自分は事前に地図を用意し、ルートを確認、途中まで下見の試走も行った。小説や映画によって情報もインプットされているし、装備も食料・水も万全に準備、ランニングのトレーニングも事前にした。途中のコンビニで水や食料を補給しながらのランニングである。
 小説で少年たちは、地図もなく、行く先に何が待ちかまえているかわからず、ただ送電線を追いかけていった。食料や水は少ない。しかも、真夏の炎天下の旅。これがどのような旅であるのか……もちろん、子どもたちの旅はフィクションではあるんだけど……今回走ってみて、この旅の苛酷さがほんとうによくわかった。少年たちと同じ条件でファン・ランを行ったら、たとえば朝9時からのスタートだったら、一日で、入間川に架かる狭山大橋の手前まで行けなかったかもしれない。映画『鉄塔武蔵野線』の主人公・見晴少年が、どのような気持ちで、途中で引き返すことなく旅を続けようとしたのか、その気持ちの強さは尋常ではなく、その理由の大きさがわかる。

 もし、第2回のランニングを行うとしたら(やりたいと思っている)、8月のお盆過ぎ頃、ちょうど全国高校選抜野球の準決勝が行われているぐらいの真夏の日に走りたい。というのは、この小説・映画で少年たちが鉄塔の旅を行うのが、その頃だから。帰りには、ラーメン屋に寄ってワンタンメンも食べて帰りたいと思う。

←使用した地図の縮小画像

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