2006年05月30日
レース・登山予定
2006年、2007年のレース・登山予定
- ここしばらくの目標
・富士登山競走完走
・フル3時間20分切り
・自主企画トレイルラン(長距離山岳マラニック、トレイルラン)→すでに2回実施
- 7月27日(木)-28日(金)
第59回富士登山競走−
今年で3回目の挑戦。今年は頂上まで行きたいです……毎年8合目まで登って降りてどうすんねん(^^ゞ - 8月6日 第13回奥武蔵ウルトラマラソン
昨年に引き続きエントリー。 - 8月
自主企画で北アルプスのスカイマラニック計画(仕事の都合のため未定) - 10月
日本山岳耐久レース−
素敵な?夜のピクニック。今年も出るしかないでしょう。一度でいいから、星を見たい、晴れてください(^^ゞ - 11月
河口湖フルマラソン(未定)−
友人もエントリ予定だったのだけど、練習してますかね?(^^ゞ
2007年
- 2月
東京マラソン(抽選待)−
どうせなら出ようか、と。
2006年のレース・レポート
2006年の登山・ランニングのレポート
- 2006年1月8日(日)
第7回谷川真理ハーフマラソン(ハーフ/東京都北区)1:37:22 - 2006年2月11-12日
第10回大村湾一周ウルトラマラニック160km(佐賀嬉野、長崎、佐世保)26時間27分 - 2006年2月19日
第40回青梅マラソン完走30km(東京青梅)02:31:29 - 2006年2月25日
東久留米ランナーズ[親父の会]ランニング(東京都東久留米)懇親RUN-20km - 2006年3月19日(日)
第7回谷川真理ハーフマラソン(フル/東京都)3:59:36 - 2006年4月8日(日)
第1回戸田・彩湖フル&ウルトラマラソン(80km・埼玉県戸田市)9時間10分
2006年05月29日
坂ダッシュは続く
気温が上がって暑いぞ。
気温や湿度を考えずに坂ダッシュを続けると熱中症になりそうだ。20℃を超えて湿度が高いと、あっという間に「熱バテ」状態になる。そうならないギリギリの速度に抑えて走り、体温が下がったら再び速度を上げる。向かい風が吹いていれば体温も上がらないので助かる。
太陽が出ている間は気温が高いしアスファルトも熱いので、陽が落ちてから走る。今年は「坂」にこだわる。暑熱順化は必要かもしれないが、直射日光を浴びて気温30℃のなかで走る効果より、夜に坂ダッシュの本数を増やしたほうが効果がある(はず)。さらに暑くなる前に、坂ダッシュ本数を増やしたいところだけど、負荷をかけすぎると故障しそうだ。
脚の筋力は少しついたみたいだけど、身体のバランスが崩れて、走るとガタガタしている。スムーズに連動できるように……
5月28日 20km 大和田通信所周辺+黒目川 堀之内坂2、市場坂4
5月29日 10km 黒目川 堀之内坂2、市場坂5(5本に増やした)
5月合計 214km(あと二日しかない)
・ガーミン欲しいなぁ(PC連動ではない廉価版)
2006年05月27日
動かない脚を動かすには
昨日の疲労が抜けないまま走る。
筋肉痛と乳酸で脚が上がらない、重いなぁ。5月は「登り坂に耐えられる基礎の脚をつくる」予定だったけど中旬に練習できなかったので、やるとするならば、今週・来週しかない。それに明日はきっと雨だ、雨の前に走っておく。6月の長距離登攀走に備えておこう。
今日は30km、と思って走りだす。ほどなくして筋肉や腱がピリピリするし、スネの上の骨が痛くなってきた。少しぐらいの疲労でも走れるような脚でなければ富士山なんて無理だ。実際のレースでは脚が痙攣する。限界近くまで動かすことになるのだから。
走りながら疲労をトルような方法を考える。疲労するのは仕方ない、その疲労を走りながらとればいいんだ、そのためには、いかに力を抜くか、筋肉の緊張を緩めるか。緊張を緩めれば、静脈の血流がよくなり、疲労物質の除去も早まる、はず。
これまでの「低空飛行」の走り方だと、安定性はあるけれど、常に脚が緊張しているため、疲労物質が溜まり続けてしまうのだ。なので、蹴り出した時に身体が一瞬、無重力になって、脚が力の抜けた状態になるように心掛ける。その目安は、上がっているほうの脚の、足首の返りの感覚で、力が入りすぎているときは、足首が返らない。そうはいっても、足首を無意識に返せるほどの「高さ」で走るには、それなりの速度が必要だったりする。速度が落ちてくれば、あっという間にバランスが崩れて、あちこちで故障のサインが出てくる、痛くなってくる。
坂道では脚が動かず、腕振りで無理矢理動かす。疲れてくると上半身と体軸の筋力が重要だと思う。
で、結局30kmなんて無理で、途中で止める。23kmぐらい。久しぶりに目眩がするぐらい疲れた。腹減った。
黒目川上流小金井街道まで→落合川上流→左折して南沢方面の道路の上まで走ってみる→戻って黒目川下流へ
・堀之内坂2本+市場坂4本
帰ったら膝のアイシング、シャワーの後はすぐに膝とアキレス腱にバンテリンを薄く塗る。これを怠ると、翌日、ひどい目に遭う。温度が高いまま放置すると炎症が止まらないで筋肉・腱が破壊されてしまう。
雑誌「ランナーズ」を読んだら、富士登山競走の話題で山岳走の記事が出ている。平地で練習するよりも週末毎に山岳走をやったほうが効果的だろう。自分としては、6月に2本、山岳走ができればいいと思う(追記:八ヶ岳と奥多摩-奥武蔵の2回、練習ができた)。
5月合計 184km
2006年05月25日
ようやく走れた
時間とれたので夕方から20km走る。そのまえに焼きそばを作っておいたので、「戻れば焼きそば」効果で、少し速かった。
仕事で寝不足が続いてまたしても身体がリセットされてしまった。
今週前半、雨が降ってきて1kmでとりやめ。というかフラフラ。
5月25日 拡張坂道ルート 20km
堀之内で2本、市場坂で5本、川越街道1本。さらに朝霞の市役所あたりまで走って戻る。最後まで、速度が落ち込むことなく走れたが、身体がギクシャクして、クッションがなくなっているみたいだ。かかとが少し痛くなってしまった。筋肉痛も少し。
5月合計 161km
今月300kmは不可能、せめて220kmぐらいは…無理か?
2006年05月15日
5月も坂道
山登りのおかげで少し強くなったか?
膝の調子は悪化せず。ほっとした。山で冷やしたのが悪かったらしい。様子見。
地元の黒目川沿いの15km坂道ルート、気合い入れて走ると、それなりに消耗する。一週間に2回が限度のようだ。毎日はとても無理、24時間以内に筋肉が修復できないので、ケガしそう。日曜は午後から30kmぐらい走ろうかと思ったけど、疲れが抜けないので、ゆっくりと武蔵野の台地の畑道を走る。畑の土が湿っていて黒々としていていいな、こういう風景を見ると気分が落ち着く。
山登りもランニングの距離に含めたい……、
上高地→涸沢 40km
涸沢→北穂 10km
涸沢→上高地 20km
合計 70km と換算
5月8日 黒目川坂道ルート15km 坂7本
5月11日 ひばりが丘周遊→落合川→小金井街道→黒目川 10km
5月12日 黒目川坂道ルート15km 坂7本
5月14日 黒目川下流、旧江戸往還道、大和田通信所近辺の畑道 20km
5月合計 140km
2006年05月07日
2006年5月春山-上高地・涸沢・北穂高
快晴に恵まれ、涸沢から北穂高に登りました。
レポートは以下をどうぞ。
[山行名]2006春山:上高地・涸沢・北穂高
[日 程]2006年5月2日夜発−6日夜着(露営2泊、小屋1泊)
[山 域]北アルプス南部穂高岳
[ルート]涸沢〜北穂高
[行 程]
5月2日 アルピコさわやか信州号 新宿発夜行バス→
5月3日 沢渡→上高地 →明神→横尾→涸沢BC設営
5月4日 北穂高ピストン
5月5日 上高地へ下山、旅館泊
5月6日 上高地散策、アルピコのバスで新宿へ
[参加者]ゴント含計2名
[天 候]全行程ほぼ快晴
[メ モ]
- 事故もなく快晴に恵まれ目的の北穂にも登頂できた。
- 自分の荷物は、どういうわけか65リットル+40リットルのザック二つ! 雪山フル装備・二人分の団体装備+食糧が一つのザックに収まらなかった。徹底的な軽量化と圧縮化、装備および食糧の軽量化・現代化が望まれる(^^ゞ
- 上高地でパッキングをやり直し、かつ、着替えや下界用の靴はザック一つ分にまとめてしまって、下山後に宿泊予定の旅館にデポした。普段は小梨平で露営だけど今回は宿を予約した。今回の山行は「奥さんと出会って20周年記念山行」なので。昔に上高地の旅館でバイトしてたこともあるので、舞台裏はよく知っている?
- 夜行バスで徹夜のままの林道アプローチ、中年のオジサンにはキツイ。
- 明神までの間で林道に少しずつ雪が出てくる。今年は雪が多い。それでも横尾まではスパッツいらない。
- GW、快晴、人が多い。でも、どんどん抜かれる。遅いぞオレ。
- 荷が重すぎてスピード出ず。明神・徳沢・横尾まで各1時間で3時間なのに、休憩入れて4時間かかっている。うー、上半身は鍛えてない! ランニングのおかげで脚は強くなっているけど、上半身は筋肉も脂肪も落ちて細くなってしまった。肩に喰い込む背負紐に苦しむ。
- 横尾で大休止して歩きだしたら、左膝が痛い。かなり深刻な痛さ。休んでいる間に冷えてしまったようだ。雪道になって、後続者に路を空けようと踏み跡をはずしたら、膝をかばってしまってバランスを崩してハデに転ぶ。歩けないほどの痛みになったら、その時点で止まって、膝をテーピングで固めて、ザックをひきずって横尾まで戻ろう、と思いながらしばらく無理をして歩いていったら、膝が暖まって痛みが薄らいだ。ゆっくり行けば涸沢までダマせるか? そしてダマし切った。雪道のほうが膝に優しかった(膝がよくない状態だと思うので、帰ったら、整形外科に行こうと思った)。
- 涸沢までの雪道は歩きやすい雪の階段、登山者で数珠繋ぎ(夏路を通らず、沢筋)。ギラギラと輝く涸沢カールが近づき、モレーンのマウンドが見えてきてからが、長い、長いのだ。それでも横尾から3ピッチで上がる。下手に休むとさらに膝が痛くなりそうだった。
- 涸沢は思った以上に気温が高く、また、テント村がにぎやかなので、拍子抜けする。事前の情報から雪が多いことはわかっていたので、春山だからといって油断するな、厳しい冬山のつもりで準備していたのだけど、杞憂だったのか……
- 腐った雪に雪崩の気配を感じる。明日は予定通り早めに出発すべきだ。膝にバンテリン塗布。
- 陽が陰ると急に寒くなった。夕方から風も出てきた。寝不足もあって、すぐに飯にして寝る。
- 3時起床。バンテリン効果で膝に痛みはない。4時45分出発、明るいのでヘッデンを点灯せずに済む(4時には出発したかった、遅くなってしまった)。雪は固まってクラストしている。アタックの荷は風船のように軽いのでラクだけど、歩幅を大きくすると、まだ膝が痛む。慎重に脚を出して、膝が暖まるまで歩幅を短くする。
- 涸沢小屋の右、北穂沢の左の斜面をまっすぐ登る。アイゼンが効く。同様に出発する人多い。抜きつ抜かれつ、登行する。上部もほぼ同様に、沢筋の中心からはずれて、わずかな尾根状の部分を登る。ルートは明瞭。踏み跡は階段になっている。上部に行くほど急登になるが、雪山初心者でなければロープを出す必要はない。特に登りは、傾斜をあまり感じない。膝をかばって速度が出ないが、雪の階段なので歩きやすい。…鋸状の前穂北尾根がパノラマに見えてくる。北穂東稜へとトラバースするパーティもある(いつか登りたい)。
- ストック2本で登っていくパーティがいる。ピッケルのほうがよいと思いますが……下降時にスリップしたらどうする?
- コル状の稜線に出て、稜線をわずかに登れば北穂高岳北峰頂上。8時過ぎには着いていた。さらに北へ向けて少し下れば北穂小屋。ドピーカンにして360度の展望、槍の穂先が指呼に見える。贅沢にも小屋の珈琲を飲む。しばし、眺望を楽しむ。滝谷へと向かうガイドパーティさんたちが多数。今日なら問題ないですよね。いいなー。
- 涸沢カールをベースにして、いろんなルートを登ってみたいものですね。前穂高北尾根、涸沢岳〜奥穂の稜線、涸沢槍に続く左側の斜面、それに吊尾根にダイレクトに抜ける斜面などなど。といっても、単独ではちょっと怖い。
- 下り。アンザイレンする。相棒確保用。相棒を先行させ、こちらは猿回し状態のロープ確保でコンテで進む。早くも雪が腐ってきた。沢の上部の雪面には、横にクラックが走っているではないか。アブナイ。早く降りよう。右側、南稜との間の沢で小規模の雪崩が発生し、緩んだ岩が加速して雪面を転がり落ちていく。このままだとルートに交差する、ラァアーーク! と叫んで注意喚起。下からは、たくさんの登山者が来ている。落石に当たれば骨折では済まない。氷のブロックを含んだ雪崩に襲われても同様。
- 10時近く、さらに雪が腐る。ルートをはずして雪面で休憩していた目の前の登山者が、いきなり滑落する。あっという間に加速、頭を下にしたまま背面で滑っていく。途中の登山者たちから、ピッケル! 制動かけろ! 早く止めるんだっ! と殺気立った声が飛ぶ。運良く傾斜が緩くなる箇所で自然に止まった。滑落距離は200mぐらいか? 途中で岩が出ていなくてよかった。岩に当たれば終わっていたし、止まらなかったら、北穂沢下部の漏斗状斜面の下に出ている岩場に投げ出されて身体が分解していただろう。単純に滑るだけでもケガをする。滑り落ちる際にアイゼンが固い氷にひっかかって足首や膝を骨折するとか、撥ねたピッケルのピックが身体に刺さってしまったり、ピッケルバンドが手首に巻き付いて手首を骨折してしまったりと、さまざまな事故が起こるので、落ちた人が気懸かりだった。場合によっては、ロープでアンザイレンしてミッテルに入れて下山しなければならない。幸いにも、どこにもケガはなかった。ケロっとしていた。うーん、事故が起きなければ「背中で滑って楽しみました」で済むのだけど。
- ピッケルと身体はピッケルバンドやスリングで結んでおく、休憩中は確実に足場を作り、ピッケルを打ち込んで自己確保する。ザックも滑っていかないように、まずはピッケルにスリングで繋いでから肩からはずす…安全を確保したうえで、腰を下ろす…で、お願いします。ピッケルバンドも付けてない人がいるし……下りでアンザイレンしているパーティがいないのはどうしてなんだ? この時間、この斜面は、初心者にとって安全じゃない、頼むから危険だと感じてくれ。できるだけ早くこの斜面から逃れるつもりで、登下降してくれよ……と願いつつ、すばやく下っていく。
- 途中で尻セードで早く降りようかと思ったが、滑落を見てビビッた相棒が滑りを嫌がったので、歩きでボコボコと雪面を降りていき、最後のほうで尻セード。
- 11時前には帰幕。お疲れさんでした。この時間でも、まだまだ、登ろうという人が……自分なら避けて、雪上訓練でもやります。涸沢小屋前の短い急な斜面で雪上訓練ですよ、昨今は滑落停止訓練などはやらないのでしょうか? スタカットやコンティニアスでのビレイ訓練とか、雪洞掘とかイグルー作りとか……学生・社会人山岳会でもない限り、やらないのでしょうね……
- 午後、お茶を盛んに飲みながら涸沢のパノラマを楽しむ。奥穂のザイテングラートの登下降や尻セード、春スキーやボード、あちこちで人が動いている。
- 涸沢ヒュッテのトイレの便座が暖かいのには仰天した。もちろん、トイレは有料です、100円です。きれいにしてあります。そういう時代なのです。
- 雪を溶かして水を作る必要がなかった。水を引いてあって、蛇口から水が出た、驚いたなぁ。
- ビールにおでんもある、晩酌セットメニューもある屋台村……もう驚かない(^^ゞ
- 涸沢で数日過ごしていると思えるテントの周囲には雪のブロックが積んであるので、もしやと思い、自分もブロックを切り出して簡易風防壁を作っておく。案の定、夜間に風が強くなり、時に暴風に襲われてテントを直撃、雪壁がなかったら、夜はちょっと寝られなかったかも。
- マットが薄くて、背中が寒く、夜間は何度も寝返りをうつ。ランニングしているためか、脂肪が減ってしまい、断熱効果がなくなってしまったからだと思う。いつもなら、このマットで充分だったのに。それとも、歳かなぁ。
- 翌日、快晴、下山予定。さっさとパッキング。時間は充分にあるので、ヒュッテの珈琲を飲む。バームクーヘンまで買い食いしてしまう。それでも8時には出発。
- 数日で融雪が進み、本谷橋下からは夏路に変更。涸沢から横尾まで2時間弱で降りてきてしまった。雪道のほうが膝に負担がかからずに調子がよい。
- 徳沢でのんびり昼飯にして、残った食糧を食べて、上高地へ。
- いつものパターンでは、小梨平でテント+アルプル観光[アル観]で16時以降に風呂+18時前に飯、なのだけど、本日はいつもと違って旅館に泊まる。旅館の風呂で汗を流して着替えたら、もう、街の人と同じなのだが…未だに頭の中は山モードなので、どうも勝手が違う。重いザックとバッグ、上高地から宅急便で自宅に送ってしまった。これで帰りがラクになった。
- GWに上高地の宿に泊まるには一ヶ月前には予約する必要がある(登山者用の相部屋なら、GW当日でもたいてい、大丈夫のようですが)。
- 翌日、上高地を散策。昔バイトしていたので、どこも見ているのだけど、自然は何度見ても違って見えるもの。まだまだ、知らないことがたくさんある、無尽蔵にある。見ればみるほど、知れば知るほど、さらに興味が湧いてくる、そういう自然がここにはある。
- それに比べると、人間の世界は探検の広がりがない。たとえば、帝国ホテルのロビーでケーキセットを食べる(1500円)とか。10時からですよ。帝国ホテル、珈琲の味はどこも同じ(当然か)、長居するとさらに珈琲を注がれるのも同じ。
- 河童橋右岸、白樺荘のオープンテラスの喫茶はセルフサービス、パンやおにぎりもある。なんだかなー。でも、眺めは悪くない。
- 五千尺の二階の食堂、カツ丼なら1300円。高いけどおいしい。席は必ずNo.1の席にしましょう。岳沢のパノラマ展望の特等席です。
- 五千尺の一階の売店にはモンベルの出店がある。
- 少し下った西糸屋から見る六百山は美しい。六百山の泥のルンゼ、明神のS字ルンゼ…さまざまな記憶があるけど、小梨に長期で露営して(昔の信州大学山岳部のルンペンテントみたいに)、まだ行ったことのない藪ルートを登ってみたいなぁ、と今でも思う。
- 小梨平のアルプス観光の食堂、流行っていない地味な田舎の食堂みたいな場所ですが、岳沢のパノラマ展望があります。これに枝豆と冷奴と麦酒! があれば、言うことなし。
- 小梨平のビジターセンターの展示物を拝見。普段は素通りしてしまうのだけど、上高地の動植物、岩石、登山情報等、展示情報が充実しています。観て損はありません。
- 午後の高速バスで新宿まで戻る。思ったほど渋滞もなく、19時半には着。上高地でのんびりして充分に休んだつもりだったけど、やっぱり疲れてました。日焼けで顔が黒い……
2006年05月02日
5月スタート
今月は300km目標。坂道多めに。
5月だというのに真夏日、夜になっても暑い。それでも、直射日光を浴びるよりはマシ。スピードを抑えたので、坂道でもオーバーヒートせず、無難に10km。
5月1日 10km 坂道6本
坂道での速度を上げるのは難しいので、本数を増やすか…
春山・雪崩に注意
今年は雪が多い。穂高・涸沢は安全か?
GW中も奥穂のザイテン左の小豆沢で小規模雪崩は頻発しているし、秋には大きな雪崩事故も起こっている。春山で行った岳沢-前穂、西穂、奥穂(コブ尾根敗退)でも、晴天であればすでに10時ぐらいから小規模な雪崩が起こっていた。小さな表層雪崩でも水分を含んだ流れに足下をすくわれると、体が勝手に動きだしてしまう。まるで平地を動くエスカレーターに乗っているような、その不思議な感覚に最初は笑っているのだけど、それが止まらないことがわかって焦る。途中で止まればいいけれど、雪崩が加速度的に速く大きくなってしまえば巻き込まれて助からない。小さな雪崩もバカにできない。
頂上へ向けたアタック、朝のスタート時間を早くする。ヘッデン点けて暗いうちからスタート。昼前には降りてきたい。
一の倉沢本谷下部〜4ルンゼ(リアル一の倉)
10月。谷川の天気の話しは「うーん、わかりませんね」から始まった。今回は降水確率50%。
1998年10月5日(月)夜発→湯檜曽駅で寝る
6日(火)湯檜曽駅→一の倉出合車止6:00→幻の大滝7:10→本谷バンド9:40→
一の倉岳13:20→一の倉出合車止17:00
日曜日に幽の沢に入った人の話しでは小雨がパラつく程度だったという。先週の木曜からおおむね晴れの天気であり、うまくすれば渇水の登攀日和になって、リアル一の倉を登れそうだ、ということで水曜の登攀予定を急遽、火曜日に変更した。東京から車に乗っけてもらい、関越を飛ばす。
高校2年のとき、JR土合駅から白ヶ門に登り、峠を廻って湯檜曽の林道を歩いて一の倉の出合まで来たことがある。秋の一の倉は夕暮れの光を遮って不気味な青白い影になっていた、こんな恐ろしいところに登る人は心になにか悪いものがつかえているんじゃないか、そんなことを思ってガクガクになった膝をひきづりながら土合まで歩いていったのをよく覚えている。岩登りをやりたかった自分は望遠鏡の筒を持っていって衝立岩を覗いた。夕暮れだというのに誰かが壁に引っかかっていた。今思うと、「ハマッタ」人だったのかもしれない。谷川の登攀記を読んで興奮した自分が、その登攀記のリアルな舞台を前にしたとき、こんな場所に来たいと思った自分とそれを実際に見ている行為の間に、大きなギャップがあった。あんなところを登るのか。
電車が通るたびにゴォォと風の吹き抜ける上越線JR湯檜曽駅の広くて殺風景なホールに、シュラフを広げ、ビールを飲む。今回集まった山岳会のメンバー4人は、ウィークデーに休みをとって示し合わせて山に行く不良中年隊である。小雨でも本谷バンドまでは行きたいよな、と、山の話しでくつろいで01時半に寝たが、05時、晴れだ、となればてきぱきと朝飯を済ませ、一の倉出合へ車をまわす。
東から当たる太陽で一の倉は明るい。遭難者の墓碑に花が添えられていて妙に美しい。メンバーの足どりは軽く速い。ゴントは地下足袋にわらじという沢スタイル。一の倉は岩壁ではなく、美しい沢だ、岩をすべり溜まる水の色は人を誘惑する。魅せられた人は自然に吸い込いこまれてしまうだろう。ひょんぐりの滝を小さく巻いて沢芯に戻り、テールリッジ末端の先で右岸の草付き下を低くトラバースするとき、始めてロープを出す。Tさんは「やっちゃいけないんだけどなぁ、冬の八ヶ岳の中山尾根で懲りたんだけどなぁ」と笑いながら微妙なスタンスでハーネスを付ける。テールリッジに向かう二人組が懸垂しているのが見える。一の倉に入った我々含めてパーティは2組だけだ。下り気味にトラバースした先から、本谷バンドまで続く傾斜の緩いスラブが拡がっていた、歓声あがる。ロープを巻いて、沢足袋(ゴントはわらじ)をフラットソールに履きかえる。フリクションが効いて各自、好き勝手に登っていくと、幻の大滝。ロープを出してジャンケンしてトップを決める。滝の左側フェースは大まかな摂理を大胆なムーブでこなせば4級ぐらい。まんなかでキャメロットが決まる。その後は再びロープを巻いて、水流に沿いながらスラブを適当に登りつつ、岩畳の景色を楽しむ。戦前のクライマーたちも裸足で、わらじで登って、同じような気持ちだったはずだ。
本谷バンドに付くと、さきほどのパーティが南稜取付で準備している。赤いマーキングがケバケバしい。ガスも出てきたのでF滝をさっさと登り、4ルンゼF1途中でロープを出す。F3は滝芯左の濡れたフェースをピトンに沿って登る。ホールドがスポーンと抜けてバランスを崩し、セカンドなのに思わずA0する。滑って悪かった。みんなに「いろんな音がしてたねぇ」と笑われてしまう。F4はリード、水量が少なかったのであまり濡れずに済むけど雨だったら完全なシャワークライムになる。F5を越えると二俣に赤いマーキング。右の岩窪を詰めて一の倉尾根にあがる。寝不足でちょっとバテテしまったが、トレーニングのつもりで足を意識的に前に出す。笹原の踏跡をたどって国境稜線に出れば誰もいない一の倉岳。すぐにでも冬になりそうな、静まった晩秋の風が吹いていた。ロープを乾かして、しばしボンヤリする。
下りは中芝新道を降りる。アプローチ靴の靴底がすり減っていてペラペラだ、何度も滑ってスライディングしてしまう。沢底に近づくと左に大きくトラバースする箇所があるが、屈曲店を見落としやすい。間違って小沢の源頭付近の草付に降りてしまい、少し登り返す。あとは問題なく、林道に出て車止めに戻り、JR土合駅前でラーメンを食べて帰る。東京に戻ると小雨が降っていた。
昨年の6月以来、1年4カ月ぶりのルート完登だったと気が付いたのは自宅に帰ってからだ。自分から進んでこの計画を立てたわけではないし、リードへの気概も弱かったから、充実感のレベルは半分くらいかもしれない。でも、嫌な会社で毎日、遅くまで働いてゲンナリしていた時期に比べて、心身ともに健康になったと思う。それとも新しい悪が心に棲みついたんだろうか。
瑞牆山カンマンボロン中央洞穴ルート
1998年10月。今回の登攀は、新ルート開拓のためのトレーニングとボルト打ちに慣れるのが目的。ならば瑞牆山だ。
ルート概況/ルートは白水社の日本登山体系に出てくる記述通り。若干、取り付きのルンゼの様子が変わっているぐらいだ。当日晴れていても、長雨の後はルート全体が濡れて、下部は水苔と泥で悩まされる。フリー系の人はがっかり、アルパイン系の人は興奮? ピンはある。フレンズ必携。ナッツ各1セットと数本のピトンがあれば安心。同ルート下降は無理なので、頂上から石楠花の薄いヤブを伝って瑞牆頂上とは逆のコルめざしてへ下る。岩塔が入り組んでいてわかりにくい。3回の懸垂があり、1回は垂壁45mなので、ロープは50mがよい。
結果的に登ることになったカンマンボロンは、中央に7mのハングをもつ花崗岩の岩峰だ。「カンマンボロン」とは梵字読みで、大日如来を指すらしい。何百年も前に山岳密教の修験者が付けた名前という。歴史・宗教・民俗学の対象として研究されたことがあるのだろうか。登攀もおもしろそうだが、こうした研究の書があれば読んでみたいと思う。
リーダーの自宅に集まり、出発しようと外に出る。リーダーがなかなか出てこない。後でわかったが、お弁当の「サンマのソボロ飯」を作っていた。これが滅法うまいのだ。20号線を手加減なしにガンガン飛ばす。99年の宮内庁植樹祭準備のため工事で荒れた林道に着いたのは出発からわずか3時間。月が輝く林は冷え込みがきつい。車で寝るよりひとりマットを敷いてシュラフに潜り込む。そういえば、昔もこんなことをした覚えがある。
富士見平小屋の前で、9月だったと思う。北アルプスの山小屋で居候していて、大学受験手続きのために一時的に下山したときに瑞牆山に寄ってみた。韮崎駅前のバス停でゴロリ寝て、起きたらバスで増富まで、後は西日がおだやかに照らす金峰山南面の小さな岩塔を眺めながらブラブラ歩いて行った。日本離れした風景だと思った。ツェルトを張るが晴天なので適当に寝る。次の日は大ヤスリ岩のハイピークルートを単独で登ったりした。静かだった。そして、今日も静かだ。
「起きろ〜♪」の声で目が覚める。時計のアラームが聞こえないほど熟睡していた。寒い、車のなかで温かいお茶とコンビニのサンドイッチを食べてすぐに出発。カンマンボロン下まで歩きやすい道だ。5人のメンバーは、鎌形ハングルートと中央洞穴ルートに行くパーティに分かれてさっそく登攀準備。戻ったらボルト打ちの練習をする。
ルートはどこでもいいし、パーティもどちらでもいい。取り付いたら登るまでだ。今回はスカイフック含めてフル装備で来ている。おまけにザックも背負う。未知の壁でしかも新ルート開拓の練習なのだし。中央洞穴ルートに3人で行く、ゴントがリードする、らしい。白水社の登山体系のルート図をちらっと読むが、記憶しない。ルートは明瞭だ、後は、自分の眼で判断すればいい、そう思ったが甘かった。
洞穴下の泥のルンゼを登る、最初のチョックストンを突っ張りのフリーで越えるが、道具が重いのと、身体が慣れていないので少々怖い。快晴だというのに、これまでの長雨のせいか、どこも染み出して濡れている。ただ濡れているだけなら怖くないが、水苔と泥でフリクションが効かない。ぶつぶつ壁に文句を言いながら登るが、考えてみれば、日本の岩場は濡れているのが普通なのかもしれない。マルチピッチが初めてのKさんが滑るがリーダーのところで止まる。怪我はないようだ、案外ケロッとしている。ここからロープを出してコンティニュアスで行く。壁の悪さに身体がこわばる。腰が引けているのがよくわかる。ルートはどこだろう、ピンはどこだろう、そんなことばかり考えてしまう。予定とは違うじゃないか、自分の眼を信用するんだ。リーダーは「好きなところを登ればいいんだぁっ!」と檄をくれる、まったくその通りだ。
1ピッチ目。ボルトラダーの大ハングルートを左に見送り、ルンゼ状をそのまま詰めていく。カンマンボロンは、大ハングを構成する上部大洞穴と、その下の小さなチムニー状洞穴の二段構えになっており、チムニー状洞穴の右上にあるテラスがルートの中間となる。チムニー状洞穴に至るには、正面のオフウィズスをダイレクトに突破するか、右壁から廻って入らなければいけない。右壁は濡れていて水苔がべっとり付いている。ここをレイバックで? 無理だ。右壁をフリーで? 数歩出て外傾した泥の足場に立つが目の前の怪しいピンがどうしても信用できない。悩む。時間ばかり過ぎる。戻って考える。フリーでは行けない、ええい、アブミを出すぞ。ピトンにフックを引っかけてワンポイントのアブミに乗って越えた。思えば、ここがいちばん往生際が悪かった。この右壁の上にはテラスがあるはずだ。ダイレクトに右壁を越えるルートもあるようだが、とても無理なので正面のチムニー状洞穴に入る。暗い。傾斜のある砂地にキックステップすると、下から水がジワジワ出てくる。悩みつつロープをズルズル引っ張る。ルートを間違えたか? と思ったが、よく見るとボルトが左右の壁に1本ずつあった。ワンピッチ。
2ピッチ目は15mぐらいで短い。チムニー状洞穴の上には穴が開いていて、ルートはそこしかない。フリーで3級、大ハング下の大きなテラスに出たときはホッとした。まったく不思議な岩の造形だ。テラスにはボルトが固め打ちしてある。かかっているスリングが腐っているのでナイフで切る。太陽が当たってほっとする。本来はチムニー状洞穴を通ってここまで1ピッチらしいが、ロープが屈曲するのでピッチを切ったのは正解だった。ガチャ類の扱いが下手で頭にくるし、時間もかかりすぎている。鎌形ハングのパーティはそろそろ終了点に着くようだ。
3ピッチ目、ここからが核心。テラスから正面の大洞穴基部までフリーで行く。詰まったところにヤバそうなチョックストンがひっかかっていて、この上をソロリと刃渡りして濡れた右壁に人工で取り付く。まったく不思議な壁だ。右壁上部は圧倒的なルーフとなって洞穴内部を形作っているが、上部右にはチムニー幅の大きな穴が開いていて、その出口まで右上して行けばいい。プロテクションを間引かないとガチャが足りなくなるぞ〜と言われる、確かに。ピンはよく見えるのでルートは明瞭だし、残置された比較的新しいスリングが残っている。ただし、初登者の心意気か、人工の間にフリーで数歩のトラバースがある。これが怖い。ルーフの下端に近くなったところで、ピンが消える。あと少しなのに。壁は濡れている。フリーでは怖い。乾いた岩なら楽勝ムードなのに。アブミにぶら下がりながら写真を撮って、タバコを1本吸って小休止、後は気合いを入れてフレンズを上部のクラック状に決めてアブミに乗る。すぐに傾斜が落ちてルーフ内に入れた。左右のステミングで安定させホッとする。右足はルーフの内側、左足は洞穴の壁にステミングしながらカエルのように前進、下は80mの空間だ。無茶苦茶なルートだ、笑ってしまう。ルーフと洞穴の壁がくっついて空間を遮る下壁が現れたところで、ナッツを一つ噛まして、光をめざして10メートル登れば出口に到着。陽の当たった壁にボルトが固め打ちしてある。気分は爽快だけど、風の通り抜ける道でもあって寒い。
ここでいくつか問題があった。3人パーティでダブルロープを使用し垂壁を長くトラバースする際、プロテクションにロープを交互にかけていかないと、セカンドまたはサードのどちらかが墜落した場合、大きく振られてしまうのだ。ロープの流れに気を取られていて、このことに気が付かなかった。セカンドがサードのロープをあらためてクリップし直せばいいのだが、できないことだってある。リーダーとKさんのロープを交換して、リーダーは怖いほうのロープを使うハメになった(すいません)。ロープの流れに気を使ったといっても、右上を始める部分で大きく屈曲しているし、壁自体に凹凸があった。スリングが少し短かったので、摩擦が大きくなり、セカンド・サードの確保でロープを手繰るのがたいへんだった。
4ピッチ目、洞穴の出口上もまたチムニーになっている。数メートルを正統派バックアンドフットで登り、チムニーの傾斜がなくなると、砂地のルンゼになる。これを歩いて少し登り、左の垂壁のボルトラダーを10mほど登る。快適。垂壁が倒れてチムニー状のグルーブに入るが、ここからピンが……ない!? まさかこれをフリーで行くって? ほぉ〜などと感心している余裕はなく、人工に頼ろうとする。フレンズを噛ませるクラックもない。ナッツもダメ。コロアイのいいリスもない。ラープなら打てるかな? スカイフック? またしても悩む。ないならフリーだ。ズリズリと身体を左右の壁に押しつけて行けば、不思議と登れてしまう。人工からフリーへ移るときのマジックだったのか。やばいな、と思いつつピンもないのでランナウトして上に抜けて、安定した広場で潅木にビレーをとる。
5ピッチ目、ロープを巻いて右の砂地の凹角を登っていき、チョックストーンの下を抜けると石楠花の稜線で終了。
左へと薄いヤブを行くと、カンマンボロン頂上に着いた。喬木に支えられた白い岩塔群に囲まれているのがわかる。喉が乾いたので水を飲む、ザックを上げておいてよかった。14時を廻った、八ヶ岳がシルエットになっている、早々に下降に移る。そのまま石楠花の稜線をバリバリと降りていく。途中で20mの懸垂、先に降りたリーダーが引くとロープが回収できないことがわかった。懸垂ポイントを換えてラストのゴントが降りてロープを引く。動かない、と思って焦ったが、少し動いた。ユマールを使って体重をかけて引いた。さらにヤブを下ると、大きな垂壁の上に出る。ここは45mの垂壁、最後は空中懸垂になる。さらに下って10mの懸垂で、コルに出る。後は左へ下降して涸れた小沢を渡ってなおも左へトラバースすれば登山道に出て、カンマンボロン下の取付に戻る。
鎌形ハングパーティは早々に降りると、フレンズでの人工をやってみたり、迷惑のかからない場所でジャンピング練習をしていたそうな。その中の一人は、昨日、奥秩父の東沢を遡行している。つ、強い。ゴントもアブミに乗ってジャンピングをあて、ハンマーを振る。約20分で穴があくという。でも時間切れ、あっという間に夕暮れだ。下山し始めたら暗くなってしまった。車に乗って林道を塩山方面に抜け、飯を食べる。20号線が渋滞、眠いが裏道を使って飛ばす。ありがたいことに、リーダーが自宅近くの駅まで送ってくれた。24時。
墜ちるのはいやだ。怪しいピンで墜ちるわけにはいかない。ランナウトできる場所も限られている。しかし、そんなことを言っていたら、判断に迷ったときに最適なアクションを起こすまでの時間がかかりすぎ、結局は体力を消耗し、危険にさらされる時間も長くなる。どんな形で登るにせよ、あるいは敗退するにせよ、覚悟を決める時間を短くしたい。「往生際が悪い」ようなら、最初から登らないほうがいい、と思った。
10日(土)車で夜発→グリーンロッジ先の林道で寝る
11日(日)車置き→カンマンボロン下7:20→カンマンボロン頂上14:00頃
→カンマンボロン下16:00頃→下山
一の倉沢烏帽子沢奥壁南稜・中央カンテ
1996年5月18日、ゴントを含む4人は、この壁のクラッシック・ルートを登りにやってきた。まっとうな(?)クライミングを始めたばかりのゴントにとっては、本のなかでしか知らない魅惑の壁だ。沢の入口には豊富な残雪。今年は雪が多いという。ガスが出ていて、壁は見えない。不安だ。
ガスっているが、ともかく雪渓をどんどん登っていく。 次第にガスが晴れて、すさまじい角度で一の倉沢の壁が見えてきた。左の「滝沢」からは大きな滝が懸かっている。今回は、一番右の壁を登る。一日で2本のルートを継続する予定だったが、ゴントが下手で時間を喰い、2日間に分けて登った。初日は南稜、二日目が中央カンテ。
右の壁の上には帽子のような岩(烏帽子岩)が乗っている。で、その下に到達する沢を烏帽子沢と呼び、どんづまりの壁を「烏帽子沢奥壁」という。今回登るのは、烏帽子沢奥壁南稜(南の岩稜線、写真では左下へ落ちるスカイライン)と烏帽子沢奥壁中央カンテ(ちょっと張り出した岩の稜角)。
壁が見えるとココロが騒ぐ、はやる気持ちのまま、雪渓の途中から岩壁の下に続く緩傾斜の岩場に移る。
岩壁の下について、ちょっと一服。ゴントの先輩は余裕〜。足を引っ張りそうなゴントは、なにか忘れ物をしたんじゃないかと気が気ではない。ちょっとしたミスが事故を引き起こすからだ。
沢をはさんだ対岸には、滑り台のような岩場(滝沢スラブ)が見える。登攀距離1000mのルートがあって、登るのはとても難しい。冬には氷壁になり、上越のドカ雪でいつも雪崩が起きる。冬に初めて登った人は、氷壁を突破するのに三日間もかかった(1967年)。その後、7年間も続登者が現れなかったのは、あまりに危険なため。写真で見る通り、春の終わり頃には上部に氷のブロックが残るので登れない。
登ってきた緩傾斜の岩場を見る。けっこう高いなぁ。沢の入口あたりは雲海に隠れてみえない。これから登る岩場は、180m(南稜)と420m(中央カンテ)。
右を見ると、すっぱり切れ落ちた岩の稜線が見える。烏帽子岩の隣の岩場、衝立岩だ。ここを最初に登った人は、鉄でできた薄刃の楔(ハーケン)を岩のひび割れに次々に打ち込んで、これに背丈ほどの縄梯子(アブミ)をかけて登っていった。縄梯子の最上段に登ったところで、背丈分だけの高度を獲得して、手を伸ばしたところにまた楔を打ち込む、その楔にもうひとつの縄梯子をひっかけて、それに乗り移り……そうした一連の動作を繰り返して、壁の上まで登りつめたわけだ。
他のパーティが別のルートを登り始めた。さぁ、こちらも急がなくては。登攀道具を身に付けて、パートナーとロープを結びあう。互いに装備の不具合がないかどうか確認して、ひとりが確保者として岩場の取り付きでロープを繰り出し、もうひとりは登っていく。
トップは勇気がいる。セカンドは上からロープが降りてきているので安心して思い切った動作ができるが、トップはなにもないところを登 るのだから。途中に生えている潅木の根元や、岩に打ち込んだ人工支点にカラビナという金属製の輪(開閉できる)を次々取り付けて、これにロープを通していく。もし墜ちても、カラビナを支点にして、ロープでぶらさがるというわけだ。しかし、最後に通したカラビナから5mのところで墜落すれば、墜落距離は10mになる。支点だって抜けるかもしれない。ロープでつながった確保者にはトップの墜落のショック(ロープが思いっきり引かれる)がくる。これを確保器という道具で、摩擦を利用しながらゆっくり吸収しつつ止める。基本はともかく墜ちないことだ。
すでに誰かが壁の真ん中にいる……? なんと独りではないか! わずかなミスも許されない単独登攀。厳密なトレーニングと経験、緻密な計算、強力で柔軟性に富む精神……宇宙飛行士と管制塔を独りでやっているのとおなじ。人間という「存在」の極限のひとつの形、だと思うのはゴントだけだろうか?
登るとしよう。登っている最中は、ロープワークがあるので撮影していられない。できないこともないが、初心者のゴントがカメラなんて、パートナーを危険にさらすし、岩に対して失礼だ。
今回は継続登攀の予定で時間がない。南稜を登って同ルートをロープで下降した後、すぐに隣の中央カンテ(写真中央左の出っ張ったところ)を登る予定だった。が、ヘタクソなゴントが時間を浪費、南稜だけになった。下のキャンプに戻って、翌日、中央カンテを登ることができた。
トップを交代しながら、尺とり虫のように登っていく。途中まで南稜を登って、先輩、ルート図を見ながら「ううむ、今日中に継続登攀は無理だなぁ」。もちろん、安全のため、セルフビレーをとってます。天気はサイコー、順番待ちもない(有名なルートなので普通だったら渋滞する)、条件は申し分なし。けれど無理をすれば、壁の真ん中で夜になってしまう。
南稜最後の難関、20mの垂直に近い岩場。けっこう傾斜がきついなぁ……ここは先輩にトップをやってもらう。安定した動作でサクッと登りきった。次はゴントの番。あと数mというところで、次の一手が出ない……ビビッてはいけない、冷静になって手と足の置場所をすばやく見つけだせば登れる!
終了! ちょっと怖いところだった。小さな手がかりを使って細かく刻みながら身体を押し上げていったら、大きな手がかりに手が届いた。安全なテラスについて、ほっと一息。
行動中は食べていられない。ともかく腹が減ったので、パンをかじってガブガブ水を飲む。
岩登りの道具は、腰の周りにぶら下げている。いつでも取り出せるようにしておかないと危ない。だから、普段は不精なゴントも整理整頓(いつのまにかチンドン屋になってしまうので、とても気を使う)。靴やロープも、岩登り専用のものだ。靴はふたまわりぐらい小さいサイズのものを無理矢理履く。ロープは45m〜50mぐらいの長さ。
さあ、下降開始だ。登るときと違って、ロープに体重を預ける。支点は絶対チェック!
対岸のスカイラインには3月に登った「一の沢・二の沢中間稜」が見える。ゲゲ、けっこう傾斜があるじゃないか……真ん中の小さくて鋭い岩峰から降りるときもロープを使った。支点は小指ぐらいの潅木。自然の木はなかなか強い。
ここ、南稜は、たくさんの人が登りに来るので、人工支点がたくさん打ち込んである。ただ、春になって氷が溶けた最初の頃は、支点がゆるんでいるかもしれない。
ロープを二本つなぎ合わせて、支点に通して、二重になったロープに下降器という道具をセットする。下降器は自分の身体のハーネス(腰のあたりに巻いた安全ベルト)に結ぶ。これで、ロープと下降器の摩擦を調整しながら、ロープにぶらさがる状態で降りていく。下降器は摩擦熱で無茶苦茶熱くなる。隣の壁はほとんど垂直、こんなところもスイスイ登ってしまう人がいるという。人間、不思議なもんです。
だいぶ下まで降りてきた。ロープの末端まで降りて、安全を確保(セルフビレー)したら、二重になったロープの一本を引いて支点から引き抜く。つなぎ合わせたロープだから、一方を引き下げれば、片方は支点に向かって引き上げられて、最後には支点を通り抜ける。そしてまた支点にロープをセットして、下降していくといった動作を繰り返す。雪渓もはっきり見えるなぁ、と思ったら、少し右に寄りすぎて、わけわからんところにきてしまった。先輩のすばやい技でピンチを切り抜ける。
岩壁の下まで降りてきた! 別働隊と合流、岩壁下の緩傾斜の岩場を下り、雪渓の上に出る。振り返れば、午後の陽射しの影に、登った岩場が見える。ほんとうに登ったのだろうか? なんだか信じられない。いや、登ったんだ。なんどもなんども振り返りながら、雪渓をころがるように降りていく。沢の入口でほんとうの安全圏だ。堅い握手をかわして、登攀は終了。山と先輩たちと妻に感謝。
翌日、中央カンテを登った(引っ張り上げられた?)。チムニーのリードもできたし、爽快のひとことにつきる! 自分がこんなところを登れたなんて夢みたいだ。中央カンテの初登攀記録が収録された『垂直の上と下』(小森康行著、1981年、中央公論社)を高校生のときに読んで15年も経っていた……? え? 考え方が旧いって? いいじゃないですか、そういう登り方する人がいても……。
谷川岳一の倉沢一の沢・二の沢中間稜〜東尾根〜西黒尾根下降
3月。雨がZA-ZA-降っている。どうする? と電話。ともかく出発することにする。行かなければわからない。水上を過ぎると雪、チェーン付ける。JR土合駅付近で本降り。これでは明日は無理か? ドライブインの駐車場に車を停めて、雪のなかテントを張る。地面の雪は水っぽい。男3人、飲んで早々に寝る。1996年3月16日朝、起きると快晴! すぐさま車を出して、天神平スキー場の駐車場に向かう。スキー客に混じって、大急ぎでパッキング。このチャンスを逃すな!
ロープウェイに乗って楽しいスキー!……ではない。目の前のロープウェイ駅を左手にやりすごし、指導センターに寄って、雪道を一の倉沢出合に向かって突き進む。
山腹を廻り込んで行くと、最初に現れるのがマチガ沢。蒼空に雪煙が映える。稜線はかなり強い風が吹いているようだ。
ラッセルもなくボコボコと歩いていくと、突如、一の倉沢が全貌を現した。圧倒される雪と岩と空のコントラスト。今回はいちばん左側の潅木のある稜線を登る。上部の大きな尾根(東尾根)に出たら右折して尾根を直上、谷川岳本峰に至る。そこから西黒尾根を下降して、車のあるところまで下降してくる予定だ。
稜線からはひっきりなしに小さな雪崩が起こっている。滝沢(左)に起こった雪崩は、大滝を飛び越えて落ちてくるが、途中で強風に煽られて渦を巻きながら上昇する。
強烈な光景を眼にして、しばし唖然とする三人。「いつ天候が崩れるかわからない。さぁ、出発しよう」と先輩。
装備一式を背負って沢に入る。ラッセルはほとんどないが、沢の上から強い風が吹き下ろしてくる。一面、ギラギラしている。
すでに先行者がいるらしい。目的の稜に向かって雪面を行く。ココロが踊る。
稜の取り付き付近は、一の沢と本谷からの風が合流して正面を向けないほどの飛雪。雪崩も怖いので全力で到達する。しばらく緩い斜面を登っていくと、右手に衝立岩の黒々とした壁が見える。雪がついていないのは、当然ながら垂直に近いからだ。登れそうなので、うれしいゴント。
右手には二の沢の上部と滝沢リッジが大きく見える。長大な尾根だ。
次第に傾斜が増してきて、アイゼン(登山靴にはめるスパイクのような滑り止め)が効果を発揮する。右手後ろにまわった衝立岩に続き、烏帽子沢奥壁(左)が姿を現した。潅木混じりの急な草付斜面、思ったより悪いが、ロープを使わないでどんどん行く。
潅木につかまりながら強引に急傾斜の稜を登り詰めると緩やかな雪原の手前に出る。ここで一息。ときどき突風が吹くので太い針葉樹にセルフビレーをとる。気温はそれほど低くはないが、このまま進めるだろうか。先行パーティもここでストップして様子を見ている。先輩はどうやら行けると踏んだようだ。装備の再点検をしている。
喉がカラカラだ。テルモスの茶を飲んでタバコを一服……にしてもSさん〜そのサングラス、やけにハデだぞぉ。
最初は緊張していたゴントも、身体がほぐれてきた。が、この休息地から登り出したとき、突風に身体をもっていかれそうになった。油断禁物。
傾斜はますます急になる。雪面が割れて、その段差が越えられない。なんども切り崩しながら上の雪面にはいあがる。時間は容赦なく過ぎていく。なんだかんだいってもゴントのような初心者では速度が出ないのだ。替わって先輩がトップに立つ。急な潅木草付斜面も強引に越えていく。街でみる優しい雰囲気など微塵も感じさせない、驚くべきパワー。すっ、スゲェ。
上部稜線に出た。陽がすっかり傾いている。とんがった小さなピークが続く。雪面が不安定でほとんど垂直、下降にはロープを使うことにする。降りたら、すぐにまた登る。再び小さなピーク、ロープの支点となる潅木を探して雪面を掘り下げる。なかなか見つからない。ようやく掘り出した小さな潅木(石楠花)の根本に輪になった紐を結び付け、これにロープを通して懸垂下降する。
そのまま岩峰をアイゼンでガリガリと音を立てながら登り、さらに左右がすっぱりと切れ落ちた雪稜(ナイフリッジ)を渡れば、あとは東尾根に向けた急斜面が待っている。ゴントはもはやスピードが出ない。明日のことを考えれば、こんなところでモタモタしているわけにはいかないのだが。
夕暮れになり、そして暗くなり始めたころ、ようやく東尾根に達した。しかし稜線は雪の状態が不安定(雪庇)で簡易テントなどおいそれと張れない。登ってきた斜面を少し下って戻り、雪面にできた大きな段差状の穴のなかを今夜の寝床とする。スコップで整地する。なんだか上から雪面が滑り落ちてきそうで怖いが、吹きさらしの雪面に座っているよりはマシだ。どうも雲行きが怪しい。
03時から降雪、上部の雪面に降った雪が風に運ばれて雪穴に滑り込んでくる。あっと言う間に簡易テントの片側が埋まりだす。このままでは生き埋めだと気づいた先輩が外に出て除雪するが、そのたびに真っ白になってしまう。すぐ脇からまた雪が滑り込む。ゴントとS氏も交替で除雪する。
朝飯を食べ、明るくなってきたので出発する。雪は小降りになり、次第に止んできた。視界は効かないが、ともかく高いところへ向けて登っていく。地図上では大した距離ではないはずなのに長く感じる。一箇所、ロープを出す。第一岩峰は一の倉側を巻く。ゴントは遅れ気味だ。
ようやく、待望の国境稜線に出る。いきなり突風に叩かれる。痛い。ヨロヨロしながら肩の小屋にたどり着き、ほっとしてテルモスのお茶を飲む。今度は西黒尾根の下降。ガスが巻いて下降点がよくわからず、ゴントは間違えそうになったが、先輩が修正してくれた。風は止んだが、完全にホワイトアウト、なんでもないところなのに緊張する。
厳剛新道分岐あたりで急に視界が開け、天神平のスキー場の喧噪が右手から聞こえてくる。スキーヤーがアリンコのように見える。まったく春の世界だ。尻滑りでどんどん下り、あっと言う間に駐車場まで戻ってきた。
今回、やばそうなところは先輩にリードしてもらっている。スピードも足りなかった。冬の本格的岩を登るエキスパートがいかに強いか……あらためて驚いた。問題は多々あったけど、冬の谷川を登れたということだけで、ともかくうれしかった
◆場所/谷川岳一の倉沢一の沢・二の沢中間稜〜東尾根〜西黒尾根下降
◆メンバー/ゴント含め計3人
◆日程/前夜発一泊二日 1996年3月16日〜17日
◆時間とコース/東京・府中 3月15日22:00--(車)--
3月16日 快晴強風〜曇り
駐車場手前の適当なところでテントを張って寝る(降雪)--駐車7時半--一の倉沢出合い
-- 一の沢・二の沢中間稜--東尾根下30mビバーク19:00
3月17日 夜半から降雪〜曇り強風〜ガス〜晴れ
ビバーク地7:15--東尾根--オキノ耳--西黒尾根--駐車場13:00
大血川西谷支流遡行〜長沢山稜線〜長沢谷桂谷下降
遡行記録
【日 程】 95年7月1日〜2日(1泊2日)
【山 域】 関東・雲取山周辺
【ルート】 大血川西谷支流遡行〜長沢山稜線〜長沢谷桂谷下降
【メンバー】 ゴント(単独)
【行 程】
7/01 太陽寺入口(bus stop)発9:30- 西谷遡行開始(林道屈曲点先の堰堤)11:50-
長沢山と桂谷の頭のコル15:40- 長沢谷1300m付近camp17:30
7/02 camp発5:30- 林道下8:30- (下山→奥多摩)
【天候】7/01 雨のち曇り 7/02 曇り
【詳細記録】
北岳バットレス行きがパートナーの都合で順延となった。そこで急遽、四日前に決めたのがこの沢登り山行である。2万5千分の1地図をながめて、遡行し、下降するルートを引いてみた。わざと遡行図のない沢を狙う。
前日、仕事関係で飲みすぎて帰宅が12時、朝、予定より1時間遅れで三峰まで電車。雨が強い。無理かと思うが、次第にやんできた。まだいくぶん酔いが抜けていない。バスに乗り、太陽寺入り口降車。そばを食べて出立。遅れを取り戻し酔いをさます運動ということで、ぶっとばす。開けた静かな谷ぞいの林道、石灰採石の音だけ違和感がある。おもったほど時間がかからず、太陽寺下を通過、そのまま林道が右へ屈曲する西谷入口まで入る。
大血川林道の西谷へ入るあたりは釣人が多い。つまり「巻道がしっかりとある」という意味だった。堰堤までの20分ほどは鉄の橋まで架けてあり、登山道と変わらない。少し拍子抜けする。もしや、このまま稜線まで、と思うが、堰堤から先はないようだ。ここで地下足袋、わらじになり、ハーネスもつけて遡行開始。水量はちょうどいい。
白岩谷(右俣)を過ぎるまでは問題なく、小滝を登ったり、心地よく進んでいく。もう誰もいないが、人がたくさん入っている感じはいなめない。しばらく左俣を進むと急に両岸が立ち上がり、暗くなる。
本流はゴルジュの連瀑4段15m。右から傾斜のゆるい7m滝が落ちている。右の沢へ入るのが予定だったが、本流にも滝があるとは思わなかった。ふさがれた、という久しぶりの感覚で驚いたが、右の滝は案外すんなりと登れた。気をよくする。その上からゴルジュの連瀑帯。地図でも等高線が詰まっているところだ。イメージを上回っていた。ナメ滝を左からソロリ越えると直瀑5m。ザックが重いので登れない。空身で右壁を登りザックを引き上げるが、ハングした落ち口にひっかかり、独りで大騒ぎ。なんとか上げる。このあたりは暗くて圧迫感がある。慎重さに欠いていた、と反省。「これはヤバイかな」と思いつつ進むと、奥に20m垂直の滝。側壁はコケている。直登無理と判断、左のルンゼから大きく巻く。ヤブには踏跡らしきものがあるが、ケモノ道かもしれない。しばらく降りられず、大滝上の状態はわからない。
降りてからも小滝は連続して緊張する。左岸は岩盤が露出して手が付けられない。巻きはおおむね、左から。しばらく行くとcs滝6mがあらわれる。流水左から取り付いてCSの下まで入ると洞穴だとわかる。狭くて入れないようだ。右に出ようとするが、スベスベにナメており、立ち上がれない。CSとナメ床のクラックにスリングのコブをボトミングして左手でつかみ、右に踊りでる。上のホールドものっぺりしていて、あやうく滑るところだった。ここもザックを引き上げる。スリングは残置したが、あとで考えるとあの部分にはピトンもなかったし、打って抜いたあともみえなかった。先達は洞穴からあがったのか、フリーで越えたのか、たいしたものだ。
この上あたりから次第に沢床があがり空が広くなる。源頭部の雰囲気。薄日も射して、新緑が美しい。小滝が出てくるが問題なし。トヨ状滝8mはシャワーで楽しかった。上部二股は左へ入る。ガレていてしばらく伏流となる。ツメは右から大きなガレが落ち込んでいる。左側で進むが、浮いている。早めに小潅木帯に入ればよかったが、ヤブを嫌ってガレ伝いに行くと、上部ではコケむした斜面になってしまった。ヤブはなかったのだ。あわてて左へ、左へと転進するが、潅木は腐っていてすぐ折れる。しまいには四つん這いになってしまい怖かった。コケ斜面と格闘すること30分、稜線に出た。風があるのでちょっと寒い。かなり早い到着、読図はぴったりだった。
疲れたので次の行動に迷いが出てきた。最初の予定では長沢山南東斜面から長沢谷右谷へ降りるつもりだったが、目の前の斜面はササヤブでどこからでも下れそうだ。傾斜もそれほどではない。なら、下ってしまおう、と思い、5分ほど長沢山へ登り、そこから下降。薄いと思ったヤブは降りるにしたがって猛烈になり、急傾斜なのに身体が進退窮まる。ハーネスをつけていたのはバカだった。強引に下り、水のある沢へ。疲れてフラフラしだすが、小滝で助かる。バランスが極端に悪い。16時30分ごろからビバーク地を探し始める。17時30分、確認。ツェルトを張る。ラジオが入るのがありがたい。谷の向きに関係があるのか。天気はあまりよくないらしい。明日の行動が決まらない。結局、明日になって、日影谷出合まで行ってみなければわからない、となり焚き火をして寝る。
翌日、天気曇。下りは小滝状で問題なし、と思ったが、水量が増して沢が大きくなってきた。あまり不安感はない、というのも釣人の跡が、つまりゴミが多いからだ。日影谷出合の上は大きな屈曲があり、「ここにはなにかある」と思っていた。案の上、滝である。イメージではもっと開けた谷だと思っていたがハズレた。3回ほど高巻き、時間を浪費するが踏み跡はしっかりしている。日影谷出合に到着。このあたりは平坦でビバークに最適、日影谷入り口は平凡なかんじだ。もし、ここにおもしろそうな滝が懸かっていたら、時間のことも関係なくなって行ってみたかもしれない。とりあえず探検気分でザックを置いて、10分ほど入ってみる。小滝のきれいな谷だ。なにか「これで充分だな」という気がして引き返す。長沢谷下降に決定。あとは楽だ、と思ったが、渡渉や小高巻き、へつりが多くなり、けっこう時間がかかる。地図上ではたいした距離ではないのに、なかなか進まない。途中、釣人二人に出会う。やはりいた、という感じを双方もったようだ。
長沢谷自体はコケむしたよい谷だ。浅いトロ状のところもあるし、夏のカンカン照りの頃は楽しくて仕方がないのではないか? 林道へあがる場所まできて、休む。二人組も降りてきた、早い。おそらく高巻き道を通ったのだろう。こちらは水線沿いに下降してきたのだ。そこで二人と、このあたりの谷についていろいろ話込む。4人パーティが上がってきて日影谷へ入る。案外、人が入っているのかもしれない、そう思うと、ちょっと興さめの感。釣人によれば、大きな滝はないとのこと。彼らは別の沢へ入るといって先に林道へ。着替えたあと、まっ黒になったザックを洗い、林道へあがる。釣人の車ばかりだ。
日原へ1時間ばかり林道を下ると、釣人の車。「乗っていくかー」お言葉に甘え、JR奥多摩駅まで送ってもらった。その間、釣りの話をえんえんと聞く。釣りが好きで好きでたまらない、そんな話でおもしろかった。
海谷山塊駒ヶ岳南西壁右ルンゼ
◆場所/海谷山塊駒ヶ岳南西壁右ルンゼ(敗退)
◆日程/96年2月23日(金)夜行出〜2月26日(月)朝帰り
◆記録と感想
東京から金曜夜行出、帰宅したのが月曜早朝でした。
メンバーは唯一の20代・前橋勤労者山岳会のIさんを含め、所属はバラバラの6人。
2月24日(土)朝、大雪降る高速を上越〜富山〜糸魚川と進む。コブ尾根下で車を置く。ヤッケに付くと水滴になる、湿った大きな雪が降っている。尾根のラッセルはワカンで膝から股下程度の雪、重い。コブ尾根のコル(仮称)でベース二張り、ホワイトアウト。
翌朝は快晴、昨日の疲れか、飲みすぎか? 寝坊してしまう。
正面の南西壁には、垂直の氷柱「十一面のカネコロン」が一筋。
シーサイドテラス上の氷が15mぐらいつながっていない……そそくさとパッキングして出発(カネコロンが目標じゃない!)。
コル上の雪稜は闘志みなぎるラッセルで快適だが、昨日湿った雪が大量に降ったこと、気温が高いこと、南面にあること、すでに陽があたっていること……これは来るな、と思っていたら
そこここの壁でやはりアワが出始める……アワ頻発……デカイの小さいの……ルンゼに入り込んで2ピッチ目、後続パーティのトップが登って来て、スクリューにセルフビレーをとった瞬間だった。
「ズバンッ」という音とともに左上の氷柱を飛び越えてデカイのが来た!
後続が巻き込まれてロープで止まった、バイル一本が流されてしまったし、ますます危険になってきたのでスタコラ降りる。安全なコブ尾根に戻り、雪崩のオンパレードをしばし見物。快晴の白馬岳を見ていたら、背後の右ルンゼを轟音とともに雪煙が下っていった。その日のうちに車まで降り、宴会して、深夜モードで帰る。冬の海谷……時期的には2月下旬がいいらしいけど、それでもチャンスは少ないみたいだ……
北ア明神岳5峰南西稜
年末年始の北ア明神岳5峰南西稜の記録(敗退)。
◇登攀者 ゴント(単独)
◇日程 95年12月31日 晴れ 明神岳南西稜〜5峰手前の台地
96年 1月 1日 飛雪/晴れ 4峰ピストン〜上高地
◇記録 12月29日には入山。
入山時の中ノ湯ではラッセル泥棒の単独無謀登山(?)と思われたのか、盛んにお茶を飲まされる(うまかった)。
12月31日03時40分、星空の下ヘッデン点けて出発。30日に確認したトレールは新雪で消え、ワカンでのラッセル股下。南西稜に出る急な樹林帯の手前でワカンをはずし、ひたすら高度を稼ぐ。
ヘッデン消す頃には西穂の稜線が真っ白に輝いていた。途中でエスパース見るが寝ているもよう。南西稜自体は急傾斜の樹林の中の尾根。上部では風成雪のラッセルとギャップへのフリー下降で時間がかかる。標識が要所要所にあり持参分は付けなくて済む。雪壁状のところを抜け、よれよれになって強風吹き荒れる5峰台地へ。別の尾根(奥南西稜?)からの2パーティを追いかける形で二重山稜状の窪地でサイトと決める。14時30分。
北アルプスの冬の稜線は初めて。風の洗礼は強烈だった。テントの中に入ったはいいが激しい揺れ。小物が踊っている。他のテントは位置がよいのか、あまり揺れていないのに! 現在位置より風の弱いところは見あたらないので動かせない。夜間も風は止まず、シュラフのなかで縮こまる。ポールがはずれて直す。降雪あり。またポールがはずれるが、折れるといけないのでそのままテントを傾けてバタバタさせておく。1時間おきに時計を見てウトウトしていたら朝になった。
1月1日、天気・飛雪。太陽がときどきパッと現れる。緊張のため疲れは感じないが、下降時のラッセルもばかにできないし、このまま主峰まで行って下降できるか気になる。他のパーティは停滞らしい。行けるところまで、と決めて、出発07時15分。強風止まず、5峰を巻きぎみに進む。十数年ぶりに(?)耐風姿勢をとらされる。ヨロヨロとしか進めないしゴーグルに雪が入ってきて困る。主峰までは時間がかかりすぎるとみて、4峰頂上で引き返す。
下降は昨夜の降雪と風でトレール消え再びラッセル。尾根の分岐を確かめながら降りていくと風がほとんどなくなる。下から3人パーティが上がってくるし、案外すんなりと岳沢入口まで降りてきてしまった。13時30分。主峰登ってくるんだった、と思ってもすでに遅し……蒼空に映える明神を振り返りつつやわらかな陽射しの上高地へ。
北岳バットレスピラミッドフェース〜第4尾根
◇登攀者 GONT&K氏(山岳会)
◇95年10月7日 晴れのち曇り
広河原5:30〜二俣デポ〜取付8:30〜
ピラミッドフェース〜第4尾根〜北岳頂上16:40/17:00〜二俣19:00
◇10月8日 小雨 下山
◆今回は同会の先輩、I氏とN氏と共に車で広河原へ。
夜間、夜叉神トンネルを抜けて飛ばしていると、ビシッと音がして急停車。
ヒエー、フロントガラスのはじにラク命中! クモの巣になったガラスにテーピングする。
仮眠後、気合いを入れて、今日中に終わらせるつもりで取り付きへ。
紅葉の黄色が鮮やか。すでに先行パーティがいて、とっついていないDガリーの滝から登る。ピラミッドフェースの斜上バンドあたりに人がいてラク多し。プロペラ音でk氏恐怖を味わう。やばいので第5尾根支稜へ逃げて、さっさとあがり、最初のクラックへ。
大事なところでピンが下向きで半分しか入ってなくフェイダー5番(秘密の岩道具?)で補強して抜ける。ゴントのリード続く。
「ともかくセオリー通り」で、ときにピンを打ったりして、最後のクラック。ここも一箇所ナッツをセットしたけど、緊張した。
4尾根は壮快つるべ。Dガリー奥壁でソロをやっている人がいた。
気がつくともう夕暮れ。はるかに広河原が見える。終了点だ! 握手。
K氏よありがとう。ほんと、半年もゴントの悪あがきにつき合わせてしまった。
頂上は寒くてすぐ降りる。途中でヘッデン。満月で大丈夫。二俣につくとI氏が「遅かったですね」と(N氏はもう寝ておった)。うーん、確かにあまりに遅い。
彼らは下部・上部フランケ、D奥壁で14時過ぎには頂上だったとか。
技術・体力・集中力・経験……まだまだ山ほど課題があるし、今回はI氏とN氏の「強力精神的バックアップ」もあった(感謝)。
ともあれ、ようやく登れたので単純にうれしかった。
八ヶ岳阿弥陀岳南稜〜赤岳西壁南峰リッジルンゼルート
(今から思うと滑稽な記述ですが、当時は真剣でした)
八ヶ岳阿弥陀岳南稜〜赤岳西壁南峰リッジルンゼルート
GONT(単独)
1995年3月18日〜19日
予定はこうだった。八ヶ岳阿弥陀岳南稜〜立場川奥壁右ルンゼ〜赤岳西壁南峰リッジルンゼルート。が、プレッシャーに耐えきれず、11月に体調を崩し、ついに翌年3月になってしまった。
これまで独りでやってきて、限界なのではないか、と思うが、約束したのは自分だ、そう決めたからには、完全に冬が終わるまえに決行しなくてはいけない。
会社勤務の金曜、前日は久しぶりによく眠れた。恐ろしいほどに静かな気持ちだ。
準備はできた、ということか。
一昨年1月、広河原沢右ルンゼ右俣は登ったものの、
ツメの大ラッセル大会で半日かかったうえ、氷化した南稜P3の巻きルンゼで敗退した。
今回は登りだしたら、登るまでだ。そして継続する。
1日目
前回と同じく満月の舟山十字路03時40分、立場山へひたすら急ぐ。月が導く。
天気快晴、ダルイし寒いがP3の下まで問題なし、全装備装着。
今回は堅雪、これならイケル。アンカーのピンが消えているので2本打ち、
タイオフしたが効いていないだろう、落ちなきゃいいんだ、とそう思うことにする。
ロボットで自己確保して急なルンゼ内の雪を登る。ロープの流れが悪いし、
途中でランニングもとれない、雪の下は岩だ。ともかく登るしかない。
何度も雪カキするが、アイスピトンの打てる泥壁もないし、
ピンを打てそうな岩も出てこない。右に左に行きながら、
ついにはロープが伸びきってしまった。ロープを切るか?
(今から考えると、こんなところで登り返しをやるぐらいなら、
登らないほうがましな力量だったのだ)
上の草付きを越えると潅木がある、あそこまで登ればいいんだ。
スリング長4本+アブミ2台+ピッケルバンド……すべてつないでみる(笑)。
ダブルアックスでいやらしい数歩、あとはやさしくなった。よし、潅木につく。
ゴボウがらみをまじえて下降、ザックを背負いプルージックを付けて登り返す。
装備はグチャグチャになってしまい、チンドン屋状態になる。
なんてヘタクソなんだ! いいかげん、頭にくる。整理整頓!
ハーネスと僅かな装備を付けて、トラバースしてP3の頭に出るころには、
雪が降り出した。
P4と頂上の段差が間近、疲れて気持ちが無機的になる。
トボトボ頂上をめざす、立場川奥壁は立っている、あれは登れそうもないな……
アブミからなにから、無意味な重い金属を担いでいるわけだ。
怖いところもほとんどなく阿弥陀頂上に達する、風が強い、しばらくボォッとする。
ここでビバーク? イヤだな、時間もあるし、行者に降りる
(これで立場川への継続はキャンセルになった)。
どういうわけか、どっと疲れてしまい、行者のツェルトで
雑炊を食べながら眠ってしまう始末。はっと気づき、悲しい気分になる。
あぁ? 明日はどうしよう? 明日は明日だということで、
ペタペタのダブルシュラフ(羽毛+綿(笑))のなかで眠りに落ちた。
2日目
快晴。すっかり寝坊した。どうするか。
昨日の失態で自信がない、予定はキャンセルだ。
だが快晴、赤岳を一般道から登って帰るか、
ツェルトもハーネスもロープもヘルメットも、ガチャも置いて出掛ける。
7時。登っていくうちにどういうわけか元気が出て気が変わる(まったくいいかげん)。
どこか登ろうと思う。中岳のルンゼ? 見送る。立場の取り付きまで行くか?
文三郎を登っていくと、南峰リッジが近づいてくる、これだ、この傾斜……なら!
もう、これに決めた! いろいろと見物して、可能性を窺う。トレースなし。
30分ほど、下で観察し、ルンゼルート末端から絡んで堅雪の斜面に足を踏み出す。
これで登れなかったら? なんて考えない。グングン行く。
最下端のルンゼに入り、背丈ほどの凍った小滝を越える。
前歯が効くがちょっと怖い。
だいたい、まともなアイスクライミングをやったのは数回、無謀なのだろうが、
どういうわけか、絶対に登れるという自信とファイトが身体を持ち上げる。
クラストした表面の下はモナカ、ときどき氷が出る。
モナカを探しながら、キック&ピオレカン。「これならいける」となんども口に出す。
ときどきステップを切って休むが、傾斜が増して氷が多くなってダブルアックス。
リッジ末端壁を右手に見送り、左の小岩峰との境にある3mの小滝にぶつかる。
落口にピックが決まったが、二手目がモナカ雪、身体が上がらない。
前歯で刻んで登るがおっかなビックリだ。その上は傾斜がさらに増している。
これ以上登るなら、覚悟を決めなければならない。
ルンゼ通しに行き、途中で左のリッジに移ろうとする。無理な姿勢で移ってから、
困った、雪が薄くて足場にならない、怖すぎる!
クラストした雪も氷もない、グズグズの八ヶ岳の岩だ、もう、戻れない。
前歯で探りながらチャキチャキ、目測で10mぐらい一気に登るしかない。
ピックなんて刺さらないが、ヤミクモに打ちまくる、ピック曲がる、
どこでもいいから引っかかりゃーい〜んだ!
一気に行けっ、行くんだ! 上にしか可能性はない!
わずかに休んで、さらに10m、さらに行く、ふくらはぎがもたないし、
バランスが保てないので、右手のリッジに近づき、強引なトラバース。
リッジは安定していた。
数歩登ると、南峰が待っていた。快晴、無風、春の八ヶ岳、佐久の裾野が眼下に拡がっていた。
終了9時半。
こうして、勝手に決め込んだ弔い合戦は引き分け? に終わった。
いや、まだ終わってはいない、そう思い、山を下る。
(後記/この後、パソコン通信経由で社会人山岳会に入会した。
装備を含め、あまりにも時代錯誤なことをやっていたことに気が付いた。
ううむ、オレは化石だったことに気が付いた(笑))