2006年02月28日
やわらか戦車に捧ぐ退却の詩
ね、眠い……ようやく終わった……もう寝ないと……お布団が呼んでくれないけど退却ーッ(まねっこ)。
敵から逃亡せよ、敵が存在しなくなる無限遠点まで。自らの影が存在しなくなる夜、自らの内なる敵から、無限遠点まで逃れよ。
・やわらか戦車キュージュー式のサイト
2006年02月27日
2006年02月23日
山と本と映画と、ゲド戦記
忙しくなってくると、山のことを考え始める。悪い癖なのだけど、自分にとって山というのはどうしても必要な自由な領域なのだった。それは、ヒマラヤ8000m峰、アンナプルナに初登頂した登山家モーリス・エルゾーグの言葉に表れている、「山はわれわれにとって大自然の活動舞台であり、生と死との境で山登りをしながら、人知れず求め、そして、われわれにとってはパンのように必要であった、われわれの自由を発見したのだ」
(『処女峰アンナプルナ』からの有名な一節。近藤等の、ブツ切りのたどたどしい訳が、8000mの高所の息切れのようで、クラクラするほどかっこいいのだ……「パンのように必要であった、われわれの自由を発見した」だけ暗唱できたのでネットで検索したら、ちゃんと全文を記してあるサイトがあった、えらい!>山岳小説・山岳漫画専門サイト「ヴァーチャル クライマー」)
ところで……先日、大学の時の山岳部顧問が亡くなった。根津の事務所で朝まで酒を飲んだことを思い出す。面倒見がよい反面、頑固な人で、対立することもあった。夏山合宿では単独でも尾根を登って合流してくるし、名前だけの「机上顧問」ではなかった。自分が卒業してからしばらくして山岳部は部員不足で廃部になり、OBが集まる機会も減っている。彼らとは最近、山にも行っていないし、山の話もしていない。
土曜の夜にNHKでやっているドラマ『氷壁』を観て山に行きたくなったOBはいるだろうか。あるいは、井上靖の原作小説をもう一度読んでみようと思った人はいるだろうか。
井上靖の『氷壁』を読んだことのある人の多くは、50歳代以上だと思う。自分だってリアルタイムではない、新聞の連載小説として発表されたのは昭和31年なのだし。現実の事故、北アルプスの前穂高岳で起こった実際のザイル切断事件と、その後の検証作業がモデルとなった小説だった。ザイル切断で墜死したクライマーの実兄は、条件によっては最新のナイロンザイルが安易に切断することを実証した。信州の観光地・奥上高地の徳沢園が「氷壁の宿」と呼ばれている意味を知っている人は、新田次郎の山岳小説『栄光の岩壁』主人公のモデル、マッターホルン北壁を日本人で初めて登った芳野満彦氏が、徳沢園の小屋番をやっていたことも知っているかもしれない。『氷壁』の宿の、冬の番人だ。
自分が高校生の時、徳沢園の前から奥又白池へと上がり、そして前穂北尾根を単独で登ったのも、そんなテクストが背景にあって影響を受けていたからだし、上高地近くの山小屋に居候したのも、山と、そして山の本に強い影響を受けていたからだ。
高校の時は山の本ばかり読んでいた。『氷壁』の井上靖よりも新田次郎の山岳小説であり、まずは文庫を全部読破、二見書房の『山靴の音』であり、ジャン・コストなどの翻訳もの、第二次RCCの青春群像と登攀記(文庫も単行本も全部だ)、「山と渓谷」「岳人」「アルプ」『岩と雪』のバックナンバー、メスナーの第7級、墜落の仕方教えます、白山書房の「クライミング・ジャーナル」……山に関係するならともかく読んだ。市立図書館で初版の『山!』(モルゲンターレル)を見つけた時は、全力でコピーした……(^^ゞ
山と、山の本、そして、同じように影響を受けた映画と、その映画監督が教えてくれた本がある。
失意の春、地元の映画館で『風の谷のナウシカ』というアニメをやっていた。フラリと入って観てしまったら、これがおもしろい。当時は入れ替え制なんてないし、客もガラガラだったので、朝から晩まで、何度も観ていた。次の日も、次の日も、次の日も……。この映画の監督は宮崎駿という人で、ル・グインの『ゲド戦記』と、サン=テグジュペリの『人間の土地』『南方郵便機』などから強い影響を受けている、と何かの本に書いていた。それで岩波の『ゲド戦記』を読んでみたところ、アニメ以上に強力な魔法がかかっていて、自分も強い影響を受けることになった。
今夏ロードショー予定で制作が進められているアニメーション映画『ゲド戦記』の監督、宮崎吾朗氏は、高校山岳部出身と知った。1967年生まれ、大学は信州大学農学部森林工学科。となると、春の伊那谷の試験会場でニアミスしていたかもしれない。
ゲド戦記監督日誌 2006年02月16日 第三十六回 「ヤマケイ」ときどき「岳人」高校生の頃は山岳小説を読みふけり、
『氷壁』も読んだのですが、
こちらは社会派ドラマの側面が強かったので、
当時は、山登りそのもののドラマを描いている
新田次郎の作品ほうが好きでした。
2006年02月21日
JP DNSの更新間隔短縮
JP DNSの更新間隔短縮の実施について@JP 日本レジストリサービス手続き後、15分程度で利用開始可能
これからは、独自の汎用JPドメイン名でのWebページ即時開設等をラインナップに加えるサービス提供者が出てきます。それにより、「思いついたら即実行。すぐに独自ドメイン名を申請、Webを公開」ということが可能になります。
新規だけね、新規の方だけ。。
2006年02月20日
カルースト・グルベンキアンの伝記が読みたいのだけど
ネットで探しても出てこない→つまり、日本語訳がない、そもそも伝記がない? 不思議な気がする……アンタッチャブル? なわけないですよね。
調べていくと、美術品関係でテレビ番組が作られていた。
NHK美術館紀行「石油王が愛したルネ・ラリック」ポルトガルの首都・リスボン。この町の中心に広大な敷地を誇るグルベンキアン美術館がある。世界屈指の石油王・カルースト・グルベンキアンが実業のかたわら集めた1000点以上に及ぶ作品が公開されている。
美術館はイスラム圏の陶器、織物をはじめとするオリエント美術コレクションと、ルーベンス、レンブラント、マネ、ドガ、ルノワールなどの西洋美術コレクション。なかでもルネ・ラリックのガラス工芸品は世界屈指のコレクションで、グルベンキアンとラリックの個人的友情と信頼を背景に集めたものだ。「最高のものだけを集めた」と豪語したグルベンキアンは、世界の石油利権の構造を変えたしたたかなビジネスマン。トルコ生まれのアルメニア人である彼は、第一次世界大戦中にアルメニア人虐殺があったトルコを離れ、ロンドン、パリ、そして第二次世界大戦勃発後は中立国のポルトガルを終の住み処とした。
アルメニア人石油王の心のやすらぎとなった美術品を彼の激動の人生を軸に紹介、ラリックとの終生の友情を描く。
こんな番組作れるのは受信料で成り立つNHKだけだな。で、番組が書籍になったそうで。どうしようかな。
NHK出版 番組から生まれた本 (またの名を、国民の受信料から作られた番組から生まれて我々国民に売られている奇妙な本)NHK世界美術館紀行 第4巻
カタルーニャ美術館 ロマネスク[ピレネー山中・祈りの美]
ミロ財団美術館 ミロ[友よ、夢よ、芸術よ]
カルースト・グルベンキアン美術館 ルネ・ラリック[石油王が愛したルネ・ラリック]
gontの知りたいのは、グルベンキアンの生い立ちと石油の利権(ミスター5パーセント)に関する突っ込んだ話。それが何かの役に立つかって? 単純に好奇心からです、アルメニア虐殺から逃れていく姿と、先日観た『オリバー・ツイスト』が重なっただけです。
映画『オリバー・ツイスト』
(ネタばれ注意)
字幕で70マイルが「10km」になってたと思うんですが…(見間違いかな?)…100kmの間違いでしょ?
オリバー君が100kmに7日間かかった。軽くスルーされてしまうのだけど、それはとてもたいへんなことだと思う。
100kmを走ってみればわかる。
少年に残されたのは足だけだ。生き延びる道は100km先の都市・ロンドンだけ。喰いものなし、おまけに雨。子どもの足で100kmなら、大人の足で500kmぐらいの距離感だ、それがどれだけ遠いか……。
田園風景とロンドンへと続く道、そのシーンが印象に残っている。分かれ道で少年はロンドンへと続く道を選択する。「そっちじゃない、こっちだ、反対の方角だ」と、映画を観ている自分が思う方向へとカメラが動き、少年もそちらへと踵を返す。カメラが事前に映している方角とは逆の方角へと選択する、それは、これまで選ばされてきた道とは逆方向へ行こう、自分で道を選ぶという強烈な(近代的ともいえる)意思を感じさせるものだった。
彼は自分の選んだ道を信じた。ロンドンにさえ行けば!
少年の最後の希望をつなぐ、自由の衣装をまとう19世紀のロンドン……。キリスト教的な権威主義の腐敗、科学主義の到来、資本主義の勃興、工業化、近代化……そこには新しい自由と富がある、はずだった。
しかし、たどり着いたロンドンでは……階級闘争のまっただ中、名も無き乞食の少年は最下層であり、必然的に生き延びる世界は限られてくる。
窃盗と盗品売買と阿片と酒と売春と強盗殺人と絞首刑。
そうしたドン底から一転して富裕になった少年、その奇跡をもたらしたのが、神への信仰心であるというのは、かなり皮肉めいているのだけど、これもまた、辛酸を味わいつくした薄幸の少年にしかわからないことなのだし、何も持っていない当時の虐げられた子どもたちへの補償(救い)としての物語なのだろう。
ディケンズと19世紀の時代については……
ディケンズ・フェロウシップ日本支部電子アーカイヴ 身体/社会の断片化と想像力- Our Mutual Friend -@松岡光治
2006年02月15日
ジブリのゲド戦記、仁侠魔法映画「仁義なきアースシー死闘篇」に
V6岡田君が「ゲド戦記」でアニメ声優デビュー@eiga.com
V6岡田はどうでもえぇ。そんなことより、ゲドが菅原文太ですよ。ジブリのゲド戦記は、東映仁侠映画になりますな。広島からトラックで多島海へと突っ込んでくる仁義なき「アースシー死闘篇」じゃけんのぉ。そういや、亀井静香を応援しとったな、2005年の夏の選挙応援で、堀江と対決して。竜じゃなくて亀が出るのか、ガメラがヒルズを破壊する映画? ……ええと、以下の唐突とも思える菅原のコメントは、昨夏の選挙を含めた株式魔法錬金主義批判の視点から出ているんだな。制作中の作品は、制作途中の現実に起きている事件・事象に大きな影響を受ける。
「吾朗監督はこの作品で大風を巻き起こし、列島にうずたかく積もった金と欲望のちりとほこりを吹き払い、徳ある国の姿を見せてくれるに違いない」と、威厳あるコメントを寄せた(同上)
ジブリはどうなんよ、こんな短い期間でゲド戦記を作れるんですか? 電通+博報堂が宣伝するしさ……と、ツッコミたくなったので、ちょっと陣営探訪してみたところ、地味にやってるようで。
『ゲド戦記監督日誌第十三回 雲間からの光』帆に風をはらんで進んでくる船の背後から、
雲間から降る光と竜が迫るとき、
雲、光、竜、帆船はどのように配置されていればよいのか。
そしてそれが、つじつまが合いつつ、
絵としてもドラマチックな状態で進んでいくには、どうしたらいいのか。
オーソドックスに、かつ、細かいところまでを考え抜く地道な作業を積み上げて、仁侠魔法映画を完成させてほすい。『ルパン三世 カリオストロの城』で、ルパンは偽札製造を企む都市国家へと乗り込んで花嫁の心だけ盗んでいってしまうわけだけど、さて、息子さんは、株バブル国家に乗り込んで何を盗んでいってくれるのか、楽しみです。
2006年02月09日
帝国郊外偏圧変電所の臨界表現
どうも不穏だ。昨秋2005年パリ郊外暴動事件、2006年パレスチナでハマス勝利、2月ムハンマド風刺漫画掲載問題、イランの核問題。日本は今、あれやこれやの事件が起こって大変なのだけど……いや、それらの事象・ニュースも、必ず関係して起こっている。
パリ郊外の暴動の問題は、貧困と差別に置かれた移民の若者の不満と、薄れていく未来への希望の問題だろう。日本人にとっても他人事ではない。日本の国力を落とさないために、外資の導入と移民受け入れを積極的に進めると、内閣は(対外的には)アナウンスしているからだ。実際に外国人労働者を大量に受け入れるならば、10-20代の若年層の約半数は、外国人と職を争わなければならない。希望格差社会、下流社会、そんな程度では済まない、大きな問題を孕むことだろう。パリ郊外で起こったことは日本でも起こりうる。
外国人労働者は受け入れたほうがいいし、移民についても同様だと思う。日本はあまりにも「鎖国的」だと、世界からは批判されている国だ。しかし、経済的な国力維持のためだけに、安い労働力としての外国人を受け入れる、というのは間違っている。外国人を劣悪な労働環境で安い賃金で雇って使うことで日本を支えようという「付け焼き刃的な」「後ろ向きな」やり方ではフランスと同じことになる。日本の若年層は職業能力や賃金の問題から外国人と争う状況が生まれ、争いに疲れた人々が極端なナショナリストへ、リビジョニストへ、レイシストへと傾斜していく。憎しみは憎しみしか喚起せず、行き場を失った人々は、最終的には原理主義的な宗教意識にすがるしかなくなる。すでにその萌芽は見えている。
アフガニスタンの山奥・バーミアンの巨大な石仏がタリバンによって破壊された時、その破壊が何を意味しているのか、理解できた人はいなかった(自分も「偶像を破壊するにしても、なぜ今、こんなことをするのか」としか思えなかった)。マスード暗殺があり、そして、9.11が起こり、アフガン戦争へと向かった時、世界の人々は初めて、大仏が破壊された理由を理解しはじめた。だが、「帝国」は、粉砕された大仏を省みることなくイラク戦争へと突っ走っていき、日本は小泉が旗を持って戦争に追従した。
その後、兵器産業を潤すテロとの戦いが世界中を覆い、呑み込んだ。「帝国」の「郊外」での「民主化という名の強制と抑圧」はさらに大きくなっている。帝国から見た郊外としてのイスラムも、パリ都市近郊の郊外団地も、同じ構造の強制と抑圧が働いている。
原理主義者たちが誘う自爆テロも、郊外の暴動も、根は同じだ。それらは宗教的対立などではなく、文明の衝突なんてものでもなく、身近な貧困と飢餓、差別と偏見、それらへの「無関心による加担」によって生まれてくる憎悪の応酬だ。警官に追われた若者が変電所で感電死したという「表現」は、憎悪と不安と焦燥、社会に力を与える原理的地点への異議申し立ての電気的表現、「帝国郊外偏圧変電所の臨界」という表現なのだ。
パリ郊外で追われた若者が変電所に逃げ込んで感電死したことと、ムハマンドが自爆テロリストのように描かれたことは、同じ根を持っている。移民は社会の活力であるのに、若者が社会を支えていくはずなのに、生かされずに死んでいく。救いの徴たる聖者が自爆テロを行う悪として漫画に描かれ風刺される……それらが、単なる記号として(本質を伴わないものとして)表象され、ある種のプロパガンダとして流通するということ、偶像化されえないはずの存在が偶像化されるのは、ムハマンド自体が偶像化に抗する力を失っていることの証左であり、生かされずに死んでいるということだ。
そして欧州の病。人々を救うはずの大仏を爆破するという同じ現象が、アフガニスタンのムスリムだけでなく、欧州デンマークで起こっていた、しかも言論人の中で起こっていた、ということだ。聖者のイコンを嘲ることと国旗を焼いたりする行為は同じだということ、他者の象徴を踏みにじることは、踏みにじる本人の大切な象徴がすでに破壊されている証拠なのだ、つまり、欧州の悲惨な状況の表明が、風刺漫画問題にはある。
世の中に力を供給し平安を与えるはずの聖なる存在(宗教的な存在)が、世界中で、ことごとく死んでいる。それらについて、圧倒的に無関心である「帝国」……焼かれるデンマークの国旗の十字、デンマークを支持するという十字軍的表明を行う「帝国」の大統領。彼らはいったい何をしているのか、何者なのか。
風刺漫画の問題は、表現の自由の問題ではない。自由そのものが、多様に存在しうる自由が奪われている。自爆テロという究極の表現にさえ無関心な世の中で、救いの表現さえも破壊されたら、残された道は、この世界全体の破壊へと向かうに違いない。なぜなら、一切の救いがない世界ならば、世界など存在しないほうがましだからだ。
憎悪が生みだす小さな、気がつかないような小さなニュースを、ニュースが指し示す思いもよらない事実と現実を、忘れないでおこう。「戦争」という、憎悪の偽りの消失点へ向けて、世界を傾斜させようという「帝国」の動きを忘れないでおこう。次はアフガンやイラクのようにはいかないのだ。
イランは現況で核開発は行っているが核兵器開発を行っているわけではない。しかし、「大量破壊兵器は存在する」と言いがかりをつけられ、追い込まれていったら、大量破壊兵器を作るしかなくなる。欺瞞に満ちた大義なき戦争の姿を見たイランが、イラクと同じ轍を踏むとは思えない。徹底的な衝突……物理的な、あまりに物理的な存在の衝突は、双方に破壊と消滅しかもたらさない。
*参考1
誰がバーミャン大仏を壊したのか?ムハンマド風刺漫画掲載問題@Wikipedia
「イスラム教徒移民が多く住むデンマークにおいて、異宗教間の相互理解を深める為にムハンマドを扱った児童向けの絵本を制作しようとする動きがあった。これに対して執筆を呼びかけられた作家たちは、偶像崇拝が禁じられているイスラム教徒からの反発を恐れ皆が誘いを断った。この経緯を聞いたユランズ・ポステンの編集者はイスラム教社会における言論の自由を巡る問題を提起しようと考え、問題の風刺漫画の執筆を依頼、紙面に掲載されることになった」
*参考2
『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(モフセン マフマルバフ著、武井みゆき+渡部良子訳、現代企画室)「仏陀の清貧と安寧の哲学は、パンを求める国民の前に恥じ入り、力尽き、砕け散った。仏陀は世界に、この全ての貧困、無知、抑圧、大量死を伝える為に崩れ落ちた。しかし、怠惰な人類は、仏像が崩れたということしか耳に入らない。」
*参考3
人類をエネルギー源とした巨大発電所への抵抗の物語『マトリックス レボリューションズ』(今さらですが「マトリックス」について・レボリューションズ)郊外の変電所を目指す少年の冒険物語『鉄塔武蔵野線』(父の夏が終わる……映画『鉄塔武蔵野線』を観る)
2006年02月08日
RSSベースのアンテナ
深夜、MTのRSSFeedをいじる。昨秋から改造したくて仕方なかったのだけど、先延ばしにしていた。なんでこんな夜にやっているかというと、忙しいからだ。忙しいと、ついつい、逃げたくなるのだった(^^ゞ 目途は立ってます、大丈夫です……>関係各位
テンプレなどを書き換えつつ、ウェブの更新は一発でサクサクできないとダメだなぁ、もっと便利に、いろんな情報を編集できないだろうか、なんて思ったりする。Perlで動く、RSSを取得するアンテナ・プログラムないかな、と思って探してみると、ありました。便利なものだな。。
RSSベースのアンテナ「RNA」RNA は、Webサーバ上で動作する、RSSアグリゲータの一種です。 Perl/CGI で実装されています。 Web上のいろいろなサイトの更新情報を収集するアンテナとしての機能が主ですが、FOAF技術を用いた、コミュニティ(もしくは知人)ベースの連携機能も有しています。 セマンティックウェブ 関連の技術を用いてWeb空間を再編集するというコンセプトのもとに、semblogプロジェクトにより開発されています。
ところで、アンテナが作られたのが2004年ぐらいで、技術的な「熱い丘」は昨年2005年の夏には通過したように思える。
上記のアンテナを作った中心は早稲田の理工にいる学生と研究者で、この技術をもって、会社を立ち上げているのだから。
Semantic High! グルコースの中の人のブログ
おもしろいなぁ……これを見てかなり焦った。しまった、遅れすぎだ>オレ CMSを使った新たなサイトとサイト連携(Web空間)、最近言われるWeb2.0に触らないといけない。個人的にはブログ・SNS・ソーシャルウェアの閉鎖的なトライアングルは好きではないのだけれど、閉鎖的にみえるのは、そこには資本:広告が投入された空間としての縛りがある、ということだから、仕方ないと考えるべきなのだろう。そうした小さな母集団での実験を経て、外部へ外部へと出てくる技術、そして、技術を支える思想があるはずで、それを自分なりに再構想してみたいと思う。2006年春、全力で学べ、追いつけ、技術的にも表現的にも思考的にも、新たな領域を確保しろ>オレ
文明と氷河期
地球は「ミニ氷河期」に=太陽活動が停滞−ロシア天文学者@時事通信
ロシアは今冬、すさまじい寒気に襲われているから、氷河期だというアナウンスを国内向けに出しているのかもしれない(アブドサマトフ天体観測研究所って名称がすごいな)。でも、日本もこれだけの豪雪が続くと、氷河期かな、という気もする。
氷河期といっても単に寒いというのではなく、砂漠気候に近づく、暑い時はとても暑く、しかも予測をしにくい気候になるということだ。
太陽黒点の活動周期と氷河期、そして文明の有りようというのは、常にリンクしていて、そういう関連について調べた本も出ていたと思うが……なんだっけ。あとで調べてみるか。
CO2削減の問題、ブッシュ@アメリカが急に石油主義から脱却するなどというアヤシゲなメッセージを流したり、日本は日本でプルサーマル稼働へとシフト、原発復活に乗り出し、イランは核を準備、その裏にロシアが絡み、風車で有名なデンマークは風刺漫画でムスリムを激怒させ……なんとなく、エネルギー問題にかかわる文明の氷河期が来るような予感もしつつ、杞憂であって欲しい、グスコーブドリ的なラストは嫌だな、という今日この頃なのでありました。
2006年02月06日
昼夜逆転をリセット
2月に入り、タイトな日程の仕事にとりかかる。パッと見ただけではいつ完了できるのかわからない量なので、目途が立つまで突貫で作業した。
(黒目川下流、荒川との合流点、朝霞水門付近)
仕事の質が維持できなくなる手前で作業を止めて眠り、起きたらすぐに仕事を続ける。これで次第に時間がズレてしまい、木曜あたりは昼夜逆転気味になってしまった。これはいけないと思い、金曜は眠らず作業を続け、金曜夜になって来週の終わりまでには間に合うように段取りをつけることができたので、ともかく眠って朝に起きて、さらに作業を続行。
この間、まったく走れず。逆転を直すために土曜の夕方はともかく走る。つ、疲れた……けれど、身体を動かすと、突貫リズムがリセットされる。日曜も仕事。午前はテレビのサンプロの音だけ聞いて、午後はTBSラジオの伊集院光の馬鹿番組などを聞きながら(土曜もそうだが、なんだか、毎週聴きながら仕事している気がするが……)。夕方は走る。風が強かった。帰ってシャワーを浴びて、再び仕事。