2004年10月28日
地震に関するノート-1
前から気になっていたこと。一つの地震が、他の地域の地震と、どのような関係があるのか、を考えるためのヒントを探してみる。あるいは、将来的に起こると言われている大地震、これに先行して発生する長期的な地殻活動(地震含む)から、大地震に対する備えを考える、そのためのヒントを集めてみた。
内陸直下型地震を起こす歪みの蓄積は数千年単位で長いと言われ、また、大地震が起こった場合、近隣ですぐに同様な大地震が起こることは少ない、と言われている。ほんとうだろうか。今後、別の場所で大きな地震が起こる可能性はないのか。他の地域で起こりうる地震活動になんらかの影響を与えることはないのか。
そんなことを考えるためのヒント。
5-15. 地震活動及びGPSデータに基づく,日本列島下の広域応力場の形成メカニズムの研究
(東京大学地震研究所・広報)
「GPS観測網によって明らかにされた様に,歪速度が最も大きいのは,新潟神戸歪集中帯である」
……地殻の歪みが大きい「新潟-神戸の帯」の両端で、二つの内陸直下型地震が起こったという事実をどう考えるか。日本列島にどのような力が働いていて、その力の集中と解放がどのように行われているのか。今、現在の状況、将来は?
公開講義(1)プレートテクトニクスと日本列島付近の地震
瀬野 徹三
(東京大学地震研究所・広報)
「昨年の兵庫県南部地震は,南海トラフ巨大地震が近づいてきたということを意味しているとともに,最近の一連の日本海東縁の大地震が起きたために,オホーツクプレートが相対的に西へ押し出されて,東北日本と西南日本の押しあいが強まったことにもよるのでしょう.不思議なことに,フォッサマグナでの衝突は,西南日本に大きな影響を及ぼしているのですが,関東にはさほど影響を及ぼしていないようです.それは関東地方の活断層の少なさから推定されます(図18).なぜそうなるのかよくわかっていませんが,興味深い事実であることは間違いありません」
……まず最初に、日本列島が乗ってるプレートについての知見が、ここ10年ぐらいで大きく変わっていた、ということ。関東-東北-北海道が乗っているプレートは、北米プレートではなく、オホーツクプレート。プレート境界型の大地震が近づいてくると、プレート内部の内陸の直下型地震も増えてくるという考え方は賛同できる。
2000 年度地震研究所公開講義(1)元禄16年(1703年)の関東震災
地震火山災害部門 都司嘉宣
(東京大学地震研究所・広報)
「大正関東震災の8年後,1931年に西埼玉地震が起き,さらに本震後15年を経過した1938年には福島 県沖に数度の小津波を伴ったやや規模の大きな地震 が群発しました.器械観測による中規模の地震の推 移を調べても,大正関東震災ののち,地震活動の盛 んな場所は,関東地方南部から埼玉・茨城・福島県 沖と次第に北上していったようすが読みとれます. 元禄地震の場合も,元禄地震のあと数年して水戸 で震度4から5とみられる地震が頻発し,さらに27 年を経た享保15年10月1日(1730年11月10日)に 那珂湊港に小津波をもたらした茨城県沖の地震が発 生しているのも同じような経過と考えることができ るでしょう.」
……地震活動の活発な地域の移動(この場合は関東大震災後の地震)についての興味深い知見。
参考:新潟県周辺の断層帯
(地震調査研究推進本部@文部科学省)2004年10月23日新潟県中越地震*の評価
(地震調査研究推進本部@文部科学省)
「今回の活動域周辺には、余震分布と平行に分布する活断層が複数存在する。今回の活動とこれらの活断層との対応は不明であるが(略)」
2004年10月27日
なぜか揺れるサイタマ(震度が大きいその理由)
今日の午前中に、新潟県中越地震の余震があり、埼玉でもその揺れが感じられた。しかし、最初の地震の時にも感じたのだけど、これだけ距離が離れているのに、揺れが大きすぎないか?(どうしてこんなに震度が大きいのか?)と思っていた。
その理由を調べていたら、同じように思っている人もいたらしく……以下のURLで、その理由がわかった。
2004年新潟県中越地震 の地震波動伝播と
関東平野の強い揺れ
古村孝志 (東京大学 地震研究所 地震火山災害部門)
2004年10月26日
2004年10月26日
新潟県中越地震と他の地震活動の関係について
新潟中越地震は、阪神淡路大震災と同様の直下型断層地震。それで「あっ!」と思ったのは、これらは新潟−神戸構造帯での地震だということだった。ググってみると、すでに同様の指摘をしている人がいた。
新潟の中越地震と阪神大震災はつながっていた
新潟中越地方では、これまで、小さくて浅い地震がたびたび起こっていた。プレートの応力による歪みが貯まり、それが頻繁に解放されることで小さな地震が起こっていたと思う。
2003年5月、宮城県沖地震があった。その時、ネットで調べて気になったことがある。宮城県沖地震の半日前に、新潟中越で地震があった。そのほか、関東で有感地震が起こる前に、新潟中越で地震が起こってること、この時、長野県南部では群発地震があったこと……。
● 2003/05/17 14:15 138.6E 37.2N H020 M3.1 新潟県中越地方 震度2 新潟県高柳町岡野町*
○ 2003/05/17 23:33 140.7E 35.7N H050 M5.1 千葉県北東部 震度4 千葉県佐原市佐原
○ 2003/05/17 23:46 140.7E 35.7N H050 M3.9 千葉県北東部 震度2 茨城県茨城鹿嶋市鉢形
○ 2003/05/17 23:49 140.7E 35.7N H050 M4.3 千葉県北東部 震度2 茨城県茨城鹿嶋市鉢形
○ 2003/05/22 03:32 135.8E 35.8N H000 M3.6 福井県沖 震度1 福井県敦賀市松栄町
○ 2003/05/22 14:25 139.9E 36.0N H040 M3.4 茨城県南部 震度1 栃木県宇都宮市明保野町
○ 2003/05/26 08:17 140.6E 36.7N H100 M4.0 茨城県北部 震度2 茨城県水戸市金町
● 2003/05/26 11:41 139.2E 37.6N H020 M3.6 新潟県中越地方 震度1 福島県西会津町野沢
★ 2003/05/26 18:24 141.8E 38.8N H060 M7.0 宮城県沖 震度6弱 岩手県大船渡市大船渡町
確実な相関はなく、なんとも言えない現象だが、その時以来、新潟中越地方は、プレートの応力による歪みと解放に絡んで、アンテナのような役割を果たしているのではないか? などと思っていた。大地震の前の、その周囲での前駆的な地震活動や、内陸地震の「活性化」については、すでに学術的な裏付けもある。アンテナだけではなく、もし、特異点=トリガーだったら? と思ったこともある。小松左京の『日本沈没』ではないが……阪神淡路大震災と同じ構造帯上にあり、隠れた「新潟−神戸構造帯」の北の端が、太平洋側の大きな地震の予兆として現れるのではないか? と。もちろん、そんなことはありえない、科学的な証拠もない、単なる杞憂だ。
そして今回、新潟中越で大きな被害地震が起こった。この地震が起こる前の、日本列島の地殻活動を見ると、
○ 2004/9/1 20:2 浅間山噴火(23日に中規模噴火)
○ 2004/9/5 19:7 奈良・和歌山で震度5弱(近畿中心に広い範囲で地震)
○ 2004/10/6 23:45 茨城県南部・埼玉県南部で震度5弱
○ 2004/10/20 18:03 長野県南部M3.4
○ 2004/10/22 01:12 長野県中部M3.1
○ 2004/10/22 04:39 長野県中部M4.6
● 2004/10/23 17:56 新潟県中越 M6.8 震度6強(小千谷市)
周辺で少し大きな地震、関連しているような活動が起こってるように思える。
この地震で、どのような応力が働いたかについては、以下を参照。
新潟県中越地震による周辺断層への影響(応力再分配) 産業技術総合研究所
ある地点の歪みが解放されたということは、他の所に蓄積された歪みが連鎖的に解放される、ということもありうる(そのような単純なモデルでないことは承知の上で)。備えあれば憂いなし、自分の防災意識を高めて、地震が起こった時にどうするか、準備をきちんとしようと思った。
2004年10月21日
2004年10月19日
耐久レース後遺症2つ?
左足親指の付け根が麻痺している。当初は痛みと腫れがひどく走れない状態だった。種子骨障害、というらしい。足の親指の付け根は、通風の症状が出る場所でも知られている。身体の中でも特に体温が低い場所で、血液中の結晶化しやすい成分が結晶になる箇所。今回の自分の症状はさすがに痛風ではないんだけど、尿管結石等をやってる身としては気をつけないといけない。
レース後しばらくして扁桃腺の腫れるひどい風邪に罹ってしまった。結局、まるまる3日間、寝たきり状態に陥った。その間、体温は39℃近辺を上下して、苦しかった。市販の薬では効かず、医者に診てもらって、抗生物質等の薬でようやく熱や扁桃腺の腫れが治まった。レースで作られた筋肉が燃えてしまった!? うぁあ、もったいない……レースで体力を消耗し、免疫機能も低下していたのかもしれない。タニタの体脂肪計(内蔵脂肪率)で走前13%、走後8%だった。脂肪が少ないと寒くて仕方がないのは昨冬も経験した。
それにしても、まだまだ身体ができてないなぁ、と反省することが多い。
2004年10月15日
第12回日本山岳耐久レース「長谷川恒男CUP」レポート
奥多摩の山道71.5kmを24時間以内に走破するレース。写真付きレポート。
■完走、18時間11分44秒、427位
小雨で全身びしょ濡れ、山道はほんとに泥んこでした。止まると寒くて仕方ないので、ともかく動き続けたら、完走できた? 明走會JAPANのFさん、Sさん、Kさん、ほんとにありがとうございました。
*写真も掲載しました
第12回 日本山岳耐久レース(24時間以内)
「長谷川恒男CUP」のページ
2004年10月09日
今日の黒目川−台風22号で増水
先日の大雨よりもさらに増水。東京都水防災総合情報システムで黒目川の水位変化をチェックしていたが、まだまだ余裕だった。問題なのは、このシステム、アクセスの負荷が強いと見えなくなってしまうのだった……
東京都水防災総合情報システム
越えると超える
某社ウェブサイトの更新作業で、「超える」と「越える」って厳密にどう違うんだろう? と思ったので、検索してみた。紛らわしい用字用語の使い分けのデータベースがあるといいなぁ……
[追記2006.6.28]URLが変更されていました。直しました。
ちょっと気になる用字用語@(北海道庁総務部法制文書課HP>ぶん太おまかせ>)
2004年10月07日
「ふりがな」=ルビ?
なぜ、「ふりがな」を「ルビ」というのか?
TBSラジオでこんな問題が出て、解答を探すタレントが神保町を走り回っている。古本屋のオヤジには相手にされず、某出版社でもお手上げあげだという。古本屋のオヤジは、からかっているのだろうけど、中規模の出版社でルビの由来について誰も知らないらしい。うーん……額に朱字で「さふぁいあ」と書いてあげたい。
デジタルと文化の間で
ふりがなを意味する「ルビ」は、イギリスの職人たちが活字の大きさを表す符丁として、ルビー、サファイアなどの宝石名を使ってきたことに由来する。
ちなみに、サファイア、ルビー、翡翠(JADE)の名前を付けたスキャナのシリーズを出していた会社もありましたね。って、今でも使ってるんだけど、そのスキャナ。
2004年10月06日
2004年10月05日
今日の黒目川−雨降りが続く
雨が続いて水量が増してきた。でも、まだまだ余裕。とはいえ、関東地方には、大雨洪水警報や注意報が出てますが……気象庁! ここんところ、対応が遅い! 遅すぎる! 台風の時もそうだったけど、異常気象のせいにしちゃいけませんぜ。
(以下、ローカルで、マイナーな話題に続く)
先日、近所に住む知り合いのU氏と地元で飲んだ(感謝、魚がおいしかった!)。U氏は地元の少年だったので、黒目川の昔の様子を知っており、興味深い話しをたくさん聞かせてくれた。昔は、中流域は氾濫原で川が分岐し蛇行していたこと。洪水も何回かあり、分岐した小さい川は左右の土の岸が削られてしまい、川を渡る石橋だけが残ってしまって向こう岸に渡れなかったこと。当時は埼玉県ワースト3に入るぐらい、汚れていたこと。護岸工事は、ショベルカーで直接、ガシガシと掘っていったこと。黒目川の途中で湧水が出る箇所があり、かつては3箇所あったが、今は2箇所に減ってしまったこと。やってくる鳥の名前や見分け方。
また、周辺を探険した少年時代の話しもたくさん聞くことができた。昔はもっとたくさんの雑木林があったことや、いろんな場所に自転車で出かけて探険したこと。縄文土器の欠片が表面採集できた畑の位置とか……。まさに『鉄塔武蔵野線』の世界だ。
『鉄塔武蔵野線』については、彼にとっては、転校生の思い出と重なるそうだ。当時、新興住宅地にたくさんの転居者がいて、当然、子どももたくさん転校してきた。逆に転校して出ていく子どもも多かった。『鉄塔武蔵野線』のベースとなる人間模様は、親の転居に伴う、子どもの転入・転校なのだった。彼は地元だったので、主人公の「見晴」や「暁」は、転校生としての位置づけになる、ということだった。この視点は貴重というか、おもしろいな、と思った。
今、自分の実家のある地域(千葉)には、小中学校時代の友人が居る。彼は小学校高学年になって転入してきた転校生だった。転校生には、常に不思議な力を感じるものだ。今は同様に自営業、一緒に仕事をすることも多い。その友人と、自分にだけしかわからないような、千葉の超ローカルな話題で大笑いすることもたまにある。他の人から見れば、どうでもい些細な記憶でも、少年時代の共通の記憶を保持していられる、というのは、幸せなことなのだと思う。
なんとなく『風の又三郎』を思い出した、東久留米駅前の居酒屋での夜だった。