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3-レース・レポート
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レース予定、レース企画 [5 items]
ランニング日誌 [256 items]
レース・レポート [18 items]
走るための道具・情報 [7 items]
『鉄塔武蔵野線ファンラン』 [1 items]
山とある日 [18 items]
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2007年03月18日

第10回東京・荒川市民マラソン(フル)

3時間52分(ネット、自己計測。2007年3月18日)
今の身体で出せるベスト。50分が切れなかったのは残念。いやはや、ひどく疲れました。

写真はまたあとで掲載します。

今年も走る会のみなさんとご一緒して、ゴール後は、打ち上げをしました。楽しかったです。ありがとうございました。

>今年の作戦と実際

往路は追い風でスピードが出る、それは……よくない。坂道を下るようなものだ。普段、自分では出ないスピードで走れば脚に負担がかかる、知らないうちに疲れてしまう。その疲れは、復路で向かい風になったときに、一気に表れる。風で体温も奪われ、体温維持が優先になる、速度は一気に落ちる。だから……

○往路では飛ばさない、時計を見て、作戦通りのタイムで。極力、負担がかからないようにする。
○復路では逆に、坂道を上るように、気合いで風を切るように、前に進む。
×32kmから、これまで人生でこんなに力出したことないだろ、というぐらい、力を出す

前半飛ばさないので、どんどん抜かれた。後半はどんどん抜いた、嫌というほど抜いた。
前半10kmでトイレに行く。やっぱ、当日に食べ過ぎても、エネルギーにはならない、たんに体重が重くなるだけ。
→ほどほどにしましょう。
30km過ぎたところで脚が上がらない、ゆっくり減速していく。練習してなきゃ、30kmを超えてからイーブンペースは維持できない。
折り返し地点で、目標を3時間47分にしたけど、やっぱ、無理だった。
それでも、この身体でここまでやれたのはヨシとしよう、と思う。

>毎回恒例の自己分析と反省(生かされないことが多いが)

2005年 3:28:30(ネット)
2006年 3:59:36(ネット)
2007年 3:52:00(ネット)

2005年は2月に青梅マラソンにも出てるし、2月の走行距離は303kmと気合いが入っていた。
2006年、2月の走行距離は266km。
電車も止まるような暴風という悪条件を除いたら、3時間45分ぐらいじゃなかろうか。
そして2007年。2月の走行距離は、たった30km?

それじゃ、タイムは向上しないよな。やはり「走った距離は裏切らない」。
走る距離が減れば、タイムが落ちていく。

ダメじゃん(笑)。

言い訳を考える。
昨年10月中旬以降(そうだ、山岳耐久レース以降だ)、仕事優先で走れなかった、体調が悪いままレースに出てもタイムは向上しないし、気持ちも切れてしまう。走ればいいじゃん、といっても、ほんとに疲れた身体では、追い込んで走れない。

このままだと来季も仕事の状況はあまり変わらないだろうし、もっと忙しくなってくる。
というか、仕事がうまくいかなければ、ほんとに走るどころではなくなってしまう。
ますます忙しくなってビジネスがうまくいき、ますます走れる、という、状況が望ましい。

忙しくても体調を維持し、体力と走力を維持して、落とさないという方法はあるだろうし、一気に力が向上することはありえないけど、漸進的に向上はできるはずだ、モチベーションさえ切れなければ。

解決法というわけではないけど、仕事で疲れていても、疲れない程度にのんびりジョギング(5kmぐらいでいい)できれば、ある程度はタイム維持できるのではないか、と思う。これは習慣の問題かもしれない。
また、向上した筋力というのは使わないでいると元に戻ってしまうのかな、と思ったけど、走って付けた深い部分の筋肉は簡単には消えない。それが土台に変わっているから。だから、練習を早めに再開すれば、表面の脂肪は早めに消えてくれて、また走れるようになるということ。

じつは、今回の荒川マラソンで、もっとひどいタイムになるかもしれない、と思っていた。10月-3月まで、正月に少し走って元に戻したけど、まともに走れない状態だったので。身体はブヨブヨでガタガタだし、練習不足。それでも思った以上に頑張りというか無理が効いた、これまで走ってきて身体が強くなっているからだと思う。
2006年のレース後は、もっと早く走れるはずなのに! という思いがあって、結果にすごく落胆したのだけど、2007年は自分のタイムに落胆はしなかった、それは、がんばりが効いた、復路で気持ちが切れなかった、ということだった。

というわけで、来季に向けてがんばろっと……でも、追い込んで走った後には、充分な休息が必要。

自分の場合はとくに最近、疲労への対処が重要だと思っている。身体が過剰に酸化するというのか、肌がボロボロになる。そのボロボロさ加減から、あぁ、疲れてるな、これは、というのがわかる。身体の疲れがとれたら、肌荒れも修復される。それまでは過剰な運動は避けて疲れをとる、特に、睡眠。

Posted by gont at 17:50 | Comments (0) | TrackBack

2006年12月11日

第2回さのマラソン(フル/栃木県佐野市)

4:46:30(非公式)
風弱く晴れて走りやすい天候でした。伴走者は記録を13分更新。

紅葉の終わりかけた低山の裾野をまわるコースの展望は良し。田舎の風景が好きな人は特には、好ましい、なごむ風景です。アップダウンが100mぐらいあるようですが、気になりません。朝はとっても寒いけど、昼間は気温もあがって、よかったです(これが雨だったら、寒すぎて走れないかも。というか、雪が降りそうです)。

残念だったのは、関門と関門タイムが事前に告知されていなかったことでした。非公式記録となったのは、パンフレットにも書かれていない関門でのタイムアウトでした。チップ付けてるランナーをどんどん追い越してゴールしたのに、記録証も発行されない(泣)。

ひどいなー。次回からは、ぜひ、関門タイムをアナウンスお願いいたします。キロ7分をちょっと切る程度の速度で、5時間以内完走を目指す程度では、さのマラソンには出場しないほうがいいんですかねぇ。

途中でいきなり関門が現われ、おじさんに、ゼッケンも、チップも取られてしまいました。郵送されたハガキにも、当日配られたパンフレットにも、関門のこと、関門のタイム、いっさい書かれていなかった。後で考えたら、適当に無視して走っていってしまっても、5時間以内で完走できたから、まったく問題なかったのですが・・・
車道規制が5時間で解除、とのことで、5時間がリミットなんだな、というのは、なんとなく理解していたのですが、最初から関門がわかっていれば、途中まで少しペースをあげて関門を突破することは容易でした。

ちなみに、車道は完全に規制されるのではなく、少しずつ間欠的に車を走らせます。復路ですれ違う第二位の選手の後ろに、大型ダンプカーが猛然と迫っていて、怖いなぁ、と思いました。遅い人たちは、後半、歩道を走ることになります。車道の端を走るのはちょっと怖いですね、北関東の人はけっこう飛ばすんですよ。。。4時間切ぐらいの人であれば、そういった問題に悩まされることなく、充実するレースかもしれません。

そんなわけで、タイムアウトはちょっと残念だったのですが、相棒の記録も更新できたわけだし、天気もよかったし、沿道のおじいさんおばあさんの応援が多く、とてもありがたかったし、大会を支えるボランティアスタッフもとても多くて、他の側面では、よい大会だなぁ、と思いました。

あと、スタート・ゴールの運動場から2kmぐらいの場所にスーパー銭湯があります。佐野駅との中間地点ですね。タクシーを使わないと難しいのですが・・・

Posted by gont at 08:50 | Comments (0) | TrackBack

2006年11月28日

第26回つくばマラソン

目標3時間40分に設定。しかし4時間切るのが精いっぱいの結果。反省の多いレースとなった。

3:53:05 (ネット 3:50:23)

今季初のフルマラソン。気合いは入ってたけど、ダメでしたねぇ。

近所のF市のランニング会の3人で、朝6時の電車に乗り、武蔵野線経由で南流山からTXつくば・研究学園駅へ。会場ではM会関係で7人ぐらいとなり、テントも立てられ、遠征気分だ。気温は上がらず雲底が低く垂れていて雨が降りそうな天気。結局、雨も降らず、走るにはよかったけど、走る前と後は寒かった。規模の大きい大会なので、トイレが大混雑で大変だったのと、コースの路面が少し悪く感じた(道路のアスファルトが轍状になって傾いていたり、微妙に凹凸がある)。

レース展開、キロ5分で最後の10kmはキロ6分、おおむね3時間40分を予定。しかし最初の5kmが渋滞気味で27分超と遅れ、これを取り戻そうと少しペースをあげてキロ5分ペースで20kmまでは走る。これで20km100分ぐらいにはなった。でもM会のSさんを20km手前で抜いたところで気づいた「あぁっしまった! またオーバーペースだ」。
毎度のことだけど、Sさんを前半で抜いてしまうときは、オーバーペースで、後半に抜き帰えされる。奥武蔵ウルトラマラソンでは、折り返し手前の坂で抜いて、熱中症状態でリタイアしてしまったし…。
気温が低くて走りやすく、久しぶりのフルマラソンで調子に乗り過ぎた。折り返し地点から少し減速したが、もはや手遅れ。
25kmまではキロ5分ぐらいで走れたが次第に体調が悪くなって減速。30km、胃が不快で背筋がゾクゾクと寒気がする、速度を維持しようと少しがんばると途端に苦しくなる。次第に脚も筋肉痛になって動かなくなってくる。「3時間30分-4時間」を目指すランナーの流れから脱落して、走路の邪魔になっていたと思う。抜かれ放題だ。
30kmからスピードが落ちたので呼吸は楽、というか、いつものランニングの過呼吸な状態に比べれば、普通に息をしているような状態。つまり筋肉をまったく使えていない。自分の身体を限界まで追い込めない状態、身体が意識の指令を拒否して「セーフモード」で無理ができない状態にロックされてしまったようだ。
最後の5kmでは状態が酷すぎるので歩こうかと思ったが、ここで歩くのは止めよう、走っていなければ早くゴールに近づかない、ここまで走ってきて歩くのか、と自分を戒める。ラスト3kmで両足の脛部分の筋肉(脚の膝下前面)が痙攣して転びそうになる。なんでこんな箇所がつるんだよ、と思ったが、幸い、ふくらはぎではなかったので、脚を棒のように動かして走っていく。長い長い1km1kmのラストだった。ゴール後、立っていられなくて10分ほど仰向けになる。わずかな時間だけど、眠ってしまった。なんだか今までにない「ヨレヨレ・潰れ方」なのだった。
反省点・悔やむ部分も多いけど、走り終われば、すべてチャラ。帰りは、走る仲間と南流山で打ち上げして秋津にも寄って帰りました。


マラソンやるには事前の体調が悪すぎた。毎回、そういう状態だけど?今回は特に悪かった。そうならないような体調管理・調整ができてないというのは、練習してないのと同じだろう。レースの細かい作戦もできてないし・・・それでも走り切れてよかった、というのが自分のなかの落としどころですが、やっぱり不甲斐無いなぁ、と思う。今年は富士登山競争で頂上に行けたり、山岳耐久レースでタイムを更新できているのに、フルが更新できないというのは、なにか問題があるからに違いないのだった。


◆今回の良いところ
・新調した靴がよかった。体重が増えてるから、後でひどいダメージがあるかと思ったら、翌日は若干の筋肉痛程度で済んだ。
・前日は食べ過ぎなかった(それでもまだ少し食べ過ぎたかな、スパゲティ)
・長袖と短パンは正解
・ふくらはぎのキネシオテープは正解
・膝は痛まなくなった、ありがたい


◆今回の改善すべきところ

・レース前の体調管理が重要
 →不規則な睡眠が続くと、心臓や呼吸、発汗などの自律的な機能も充分に発揮できない(あまりにヒドければ死ぬので走ってはいけないのは当たり前だけど)。内蔵もやられるようだ……若いときと違って、気合いだけではカバーできないなぁと感じる。
・レース前は普通でいい、というか、レース前までに普通の状態でいられるようにする。つまり、慌てて何かをやっても遅いということ。
・普段の練習でもっと長い距離を走るようにする
(毎度同じ感想を書いている。反省で生かされてない)
 →30km〜フルの距離。今回は2週間前から走れず練習頻度も少なかった。

・レースでの作戦をもっときちんと考えること、ペース配分は特に。
・自分の走力は前回のタイムを参考にすべし(最速タイムから考えないこと)
・レース中の給食・給水も組み立てること


ところで、マラソン当日朝、初フル挑戦で合流予定だった友人から電話。体調が悪いので遅く出る、現地合流にしましょう、とのこと。結局、秋葉原まで来て時間切れで帰宅すると連絡。先週、練習のしすぎでアキレス腱が痛いと言ってましたし、無理しないでよかったと思います。本人は落ち込んでるようでしたが・・・エントリー料だってもったいないですよね。コンサートやイベントのチケットと同じで、行かなければ楽しめないんだから。もったいない気分でもあります。
それにしてもマラソンでスタート地点に並ぶには、それなりの環境や準備、動機や気合いが必要です。自分も以前、調子が悪くて、半分寝坊して大会に行けなかったことがありました。ちょうど引っ越しの手続きで忙しかったこともあります。とても落ち込みましたね、だって、そのレースのためにずっと練習してきたんだから!
また、走りたくないのに無理に走る必要もないでしょう、無理に走って楽しいことは一つもないわけでマラソンなんて。途中で動機(楽しみ)が薄れて、プレッシャーに負けてしまうこともあるでしょう。こういうスポーツは本人のやる気の問題だし、自分で挑戦していくつもりがなければ楽しめません。とはいえ、仕事が忙しかったり、スポーツを楽しめないような問題が起こってることだってあるわけだし、そのあたりはわからないことですけど。せっかくランニング専用の靴を購入したことだし、これを機会に、走るきっかけになればよいとは思います。

Posted by gont at 01:35 | Comments (0) | TrackBack

2006年11月26日

つくば行き電車にて

気温が低いですね。天気曇、雨降ってきそうな雰囲気。

Posted by gont at 07:06 | Comments (0) | TrackBack

2006年11月13日

第25回ねりま光が丘ロードレース(20km)

1:32:40。足が重かった。まだまだ絞れてないけど、よい練習になった。

東久留米9時5分の電車で間に合う。練馬で大江戸線に乗り換えて光が丘へ。
競技場のある公園内はフリーマーケットが開かれていたりして、人出が多く、にぎわっている。
天気晴れ。乾燥して風が少しある。インディアン・サマー、晩夏というやつだな。

出場者は少ない。20kmは400人ぐらい? 
渋滞も起こらずスタート。ランパン+Tシャツ、帽子。
競技場を2周、公園内を1周、公園外を5周。山岳耐久レース前に光が丘公園には走りに来ていたので、なんとなく距離がわかる。
成田では10km前で潰れてしまったので、今回はキロ4分30秒ぐらいで1時間半狙い。外周ラスト1周まではペースを上げずにと思ってスタートしたものの、最初の1kmで腿あたりが張ってしまい、思うように足が動かない。身体も沈んでしまう。左足のふくらはぎも痛い、強く蹴りだすとダメみたいだ。
身体が絞れてない、体重が増えている、疲労が残っている、少し寝不足・・・要因はいろいろあるけど、なかなかスピードが出ない。ともかくキロ4分30秒ぐらいを維持しようと走っているつもりだけど、コース上の距離表示がほとんどない状態なので、よくわからない。ただ、10kmぐらいで明らかに失速しはじめたので、これは1時間半は無理かな、と思いはじめたところで、神宮A.C.の黄色のランシャツおじさんがとてもよいペースで抜いていったので、おじさんについていく。それでペースが上がって、かなり苦しかったけれど、17kmぐらいまではなんとかついていけた。おじさんのペースに合わせて若い人も並走し、遅れだした人たちをどんどん抜いていった。自分は途中でついていけなくなって、後は自分のペースに切り替え減速しつつゴール。タイムはやはり1時間半に届かず。足の状態からして、フルマラソンでタイムを狙えるような状態ではないな、という感じだった。

その後、パンを食べて、長袖+ジャージに着替えて、帰りは走って戻ることにする。公園を北に走り、和光樹林公園経由で、黒目側沿いの自宅まで。だいたい10km。これで本日は30km。最初は足が棒状態で疲れ切っていて歩いてるような速度だったけど、途中から足が少しずつ動くようになった。それでも自宅に戻ったら眠くて仕方ないのでシャワーの後1時間ぐらい仮眠する。それから今の時間まで突貫仕事・・・して、ようやく報告。写真もあるけど、掲載してる時間なしですな。。

今回、レース前にあまりたくさん食べないようにした。事前に食べ過ぎないほうが走りやすいことは確かで、今後はこの方式に変えようと思う。大食いするのは2日前ぐらいが良さそうだ。

ともあれ、まだまだ調整は続く…今週はまたしても仕事が忙しくなりそうだが、なんとか、二日に一日は20kmぐらい走りたい。うー、眠い、眠る。

11月合計 158km

Posted by gont at 02:54 | Comments (0) | TrackBack

2006年11月05日

第20回成田市ロードレース大会・成田POPラン大会(ハーフ)

ハーフで1:46:35。体調がイマイチだったけど、それにしてもこの結果は悪すぎるなぁ。

2006年11月4日(土)。前日は千葉に宿泊して車で成田へ。1時間以上かかった。受付に間に合わないところだった。行ったことのない場所に時間どおりに行く時は、気をつけなければ。

車酔い半分、最近のトレーニング不足もあって、どうもこれはよくないなぁ、という気分。気温も上昇してきた。これは暑くなるはずだ。予定では1時間半ジャスト。フルで3時間に近づいていくには、ハーフで半分の1時間半を切らないと。当然の計算とはいえ、頭で考えた通りにいかないのが現実でもある。

スタート地点でM会のNさんにばったり遭遇、不安が消えて、ともかく押せるだけ押そうと思う。Nさん情報、若干のアップダウンがあるそうだ。今回は40分切り狙いとのこと、こちらも30分狙いと伝える。ともかく、キロ4分15秒でどこまで行けるか、だ。最初から飛ばしていこう。そうすれば、実力がわかる。

成田POPランは、成田の田んぼと郊外の住宅団地、市街地をくねくねと走り抜けるコースで、自分はこういうのんびりした風景はけっこう好きだ。というか、地元に近いし。ただ、給水所が少なかったなぁ。

結果、8キロでペースが維持できず失速、Nさんには9kmあたりで抜かれる。早いし安定している。その後は、ひたすら抜かれまくる。足が動かない。調子悪い……歩くのは嫌なのでともかく疲れきらないように抑えて、ラスト2kmになってから残った力で走り切る。1時間47分もかかってしまった。
冬とはいえ谷川真理ハーフでは1:33:30は出ているのだし、この結果は悪かった。もっと悪いのは、その状態を正確に把握できていない自分のアンテナの鈍さだ。

原因:
・(自分のこれまでのレベルよりも早い)高速走行の足ができていない
・体調不良(汗せんが塞がっているのか、汗が出ずに、やたらと暑くなってしまう)
・増えてしまった体重(筋肉量が落ちてしかも2.5kg増)
・暑かった
・作戦の失敗(故意)

次、11月、ねりま光が丘ロードレース(20km)。
再びタイムを狙うぞ! 今度こそハーフ1時間半ペースで!

…って書きながら、光が丘って来週日曜じゃないですか…ちと厳しいかなぁ。

Posted by gont at 17:19 | Comments (0) | TrackBack

2006年10月10日

第14回日本山岳耐久レース・完走

(速報)3回目にしてようやく「晴れのレース」。月光下の初冠雪の富士山を見ながら、ヘッドランプを点けて山道を走り抜けました。

一昨年よりも3時間以上も短縮し、14時間50分でゴール。自分でもちょっと驚いてます。しばらく多忙なため、詳細は後日。。。

Posted by gont at 08:47 | Comments (2) | TrackBack

2006年09月07日

第14回日本山岳耐久レース・試走会(武蔵五日市駅→浅間峠)

山岳耐久の練習じゃなくても、普通の秋・冬のマラソンの基礎練習に、このコースはオススメ。

ミニ・アルバム→

 9月2日(土)、M会のメンバー8名が武蔵五日市駅に08時集合。まだ朝ではあるけどすでに太陽は高く、気温も上昇、ロングタイツでは暑かった。この季節のこの時間、太陽の照りつけるロードでは練習どころではないわけで、丘陵・山間地の樹林の日陰のコースがベストだと思う。山岳耐久の練習じゃなくても、普通の秋・冬のマラソンの基礎練習に、このコースはオススメできる(武蔵五日市駅前に銭湯と打ち上げ宴会場があると最高なんだけど)。

 駅前の道を少し歩き、道路を渡って、坂を降りる。秋川の橋を渡り広徳寺のある丘陵へ向けて庚申塔や地蔵のある坂道を左折れして上っていく。試走に来たトレイルランナー数組が我々を抜いていく。浅間峠までの間で、逆コースを辿って試走しているランナーにも何組か出会った。

 変電所のある丘を降りて、今熊神社へと向かう。このあたり、レースではダラダラ走ってしまうのだが、昨年の渋滞模様からして、気合いを入れて順位を上げておいたほうがいいかもしれない、と思った。

 今熊山頂上は踏まないはずなのに、まっすぐ頂上まで登ってしまい引き返す。刈寄山や市道山でも同じようにピークに上がろうとしてしまった。コースの記憶が曖昧なことに気付かされる。このレースでは、前を行く人を追いかけて走っているのだな、と思った。夜は夜で、赤い方向指示ライトが点滅しているので、それに従えばいい。もし、こうしたライトがなければ、道を間違えてコースアウトしてしまう人が大勢出るだろう。なお、試走会といえども、ピークや峠で立ち止まって全員揃うのを待ったほうがいいようだ。バラバラに走っていると誰かがコースアウトしたときにわからなくなってしまうし、怪我人が出たり、具合が悪くなる人も出る。バス停までわずか30分だとしても、携帯が通じるにしても、山は山、人を担いで降りるならば、交代でも3時間はかかる。それを考えると、人を搬出する時に使うテープスリングを持ってくればよかったと思った。

 入山峠から市道山まではアップダウンが多くて、ここで無理に飛ばすとバテる。実際のレースでは数珠繋ぎ状態で、まだ自分のペースは作れない。醍醐丸へと続く尾根に入れば、前後もバラけてくるので、自分のペースが取り戻せたような気もする。

 持参した水は2リットルあったが、暑いこともあって、消費が早い(それでも、浅間峠までは1.2リットルの消費)。今まで出た2回のレースでは雨降りで気温もそれほど高くなかったから水の消費も少なかった。コンディション維持のためにも、前半戦では給水に気を遣ったほうがいいかもしれない。水不足で筋力を使いすぎると、あっという間にバテてしまうのは、山で何度も経験している。

 醍醐丸の先でメンバー1名が都合で和田集落のバス停留所に向けて下山。このあたりから浅間峠まで、水平道が途切れとぎれに出てくるので、その間を繋いで行けば、かなり長い距離を走ることができる。

 足の疲労が増してきて、ちょっとした登りが辛くなってくる。腹が減って仕方がない。通過するピークで休憩をとり、食料を腹に入れている間に、時間はどんどん過ぎていく。浅間峠へのわずかな下りは爽快に飛ばしてみるが、この走りが出せるのは、月夜見第二駐車場までだろう。その先のちょっとした水平道でさえ、足が棒になってしまって、走れなくなってしまうのだった。

 今回は浅間峠で時間切れとなる。昨年のレースでは、峠手前で陽が暮れてライトを出していた。峠では「まだ4分の1ぐらいしか来てないのか、遠い、遠すぎる、なんなんだこのレースは……これからきつい登りが出てくるのか、まいったなぁ」と思うところだ。

 ここから先の稜線へ行って三頭山近くで山を下りて数馬の湯につかるには、最初からシリアスに飛ばす必要があるようだ。それでも武蔵五日市8時スタートでは厳しいかもしれない。

 浅間峠からは上川乗バス停に向けて登山道を走り降りる。30分程度。ここも飛ばしてみたけれど、飴玉が切れて、血糖値が下がり、最後は少し辛くなってしまった。車道に出る手前の沢で水を補給する。バス停前にはトイレもあり、水道もあるけど、自動販売機はない。バスは15時50分に来て、これに乗る。けっこう混んでいる。汗で濡れた背中が冷たく、寒い。もう秋だなぁ、と思う。

 武蔵五日市駅前に銭湯はない。電車で青梅線の中神駅まで移動、駅から歩いて10分ほどの「冨士見湯」に入って汗を流す(金曜定休)。この銭湯は小さな露天風呂までついていて、なかなかよかった。銭湯から線路を跨いで反対側へと歩き、居酒屋にて打ち上げ。お疲れさまでした。

Posted by gont at 11:45 | Comments (0) | TrackBack

2006年08月29日

南アルプス・甲斐駒-仙丈トレイルラン(JR日野春駅-黒戸尾根-甲斐駒-北沢峠-仙丈ヶ岳)

自主企画トレイルラン。
深夜、日野春駅から走って黒戸尾根に取り付く。甲斐駒ヶ岳からどこまで行けるか??


→アルバム

結果、仙丈ヶ岳まで行って北沢峠に戻ってちょうど15時。15時半のバスで広河原経由で甲府駅へ。

[山行名]南アルプス・甲斐駒-仙丈トレイルラン
[日 程]2006年8月26日前夜発日帰り
[山 域]南アルプス北部
[ルート・行 程]
[→JR中央線日野春駅](0:50)-横手駒ヶ岳神社黒戸尾根取付(02:20)-刃渡り(5:25)-五合目小屋前(6:10)-七丈第一小屋前(6:50)-八合目付近(7:20)-甲斐駒ヶ岳(8:25)-駒津峰(09:30)-双児山(9:50)-北沢峠(10:55)-仙丈ヶ岳四合目(11:45)-小仙丈ヶ岳(12:40)-仙丈ヶ岳(13:20)-北沢峠(15:00)[バス(15:30)→広河原(16:00)→JR中央線甲府駅(18:00)]
[参加者]ゴント単独
[天 候]
曇り時々晴。朝から積乱雲が沸き上がり不穏な感じ。ときどき雷鳴が轟く。3000m付近の稜線は寒かった。前日夕方に集中豪雨があった模様。それでも山道には影響がなかったようだ。

[計画について]


  • 登山ではなく、トレイルラン(山岳走)。

  • 計画では、仙丈ヶ岳を越えて伊那側の市野瀬まで下りる予定でいたが未遂に終わった。下降したことのない尾根の途中で陽が暮れて雨でも降ったら、疲れ切った身体では危険だと判断。もっと走力がなければ、自分の計画は完遂できないということだった。

  • 通過タイムの計算は、標準コースタイムに係数0.5。しかし、岩場があるような場所では登り下りとも0.5では無理だし、後半になるにつれて、係数は大きくなってくる。また、休憩時間も必要。後半は1時間に5-10分ぐらいの回復時間が必要になってくる。

[装 備]
□帽子
□ランニング用半袖(ロード部分)
□ランニング用長袖(山岳部分・寒ければ半袖を上に重ね着)
□ランニング用タイツ
□ラン用靴下
□ショートスパッツ
□ウルトラ用のランニングシューズ
□ポンチョタイプ雨具
□雨具の下
□ランニング用ザック
□ヘッドランプ
□手持ちの小型ライト
□予備電球
□予備電池
□地図
□高度計付時計+コンパス
□バンダナ
□ハンドタオル
□石鹸付きハンカチ
□ティッシュ
□ガムテープ(50cm分)
□レスキューシート
□笛
□小型ナイフ
□記録用デジタルカメラ
□計画書(+予想コースタイム/列車時刻表)
□ペン
□若干の医薬品(バンドエイド、止血ガーゼテープ、キネシオテープ、バンテリンなど)
□着替え一式(できるだけ軽く)
□お金
□保険証コピー

*なお、この装備はランニングをするにはかなり重いと思います。トレイルランをするならば、同じ装備でも、可能な限り軽量なものをお薦めしますし、削れるものは削ったほうがいいでしょう。
*装備を削りすぎれば、トラブルがあった時に命に関わります。ですので、装備や食料については、ご自身の責任において、考えて揃えてください。

[食糧]
□おにぎり2個(走り出す前に食べる)
□ミニピーナッツパン 1連
□菓子パン 1
□アミノバイタルゼリー 小2
□ウィダーインゼリー 1
□飴 15個
□スポーツドリンク用粉末 2リットル分
□予備食(カロリーメイト×2)

[水]
□ポリタン 1L
□ボトル 500mL×2

*途中の水場で適宜、水を補給する

[アクセス]
JR中央線日野春駅下りホームに0時過ぎに着く普通列車。

[季節について]
9月も中旬すぎると日が落ちるのが早くなるし稜線では雪が降ることもある。その前、8月下旬から9月上旬がベストか。


[山行メモ]


  • 夕方、仕事も片づいた。助かった、終わらないと行けない。JR中央線普通電車で日野春へ。寝不足、大丈夫かなぁ、と思う。眠れないのならば、喰うだけだ。いろいろと車中で食べる。

  • 日野春駅に降りたのは数人、みなさんタクシーに乗ってご帰宅の様子。山に行く奴はオレだけか。駅舎で着替えて出発の準備。ほんとは列車内で着替えるつもりだったけど、まだ通勤時間なわけで……すぐに出発、といっても、準備に20分ぐらいはかかった。今回は時間的余裕がないぞ。

  • 駅前からすぐに下に続く歩道を降りて、左に曲がる車道を走ってグングン降りていく。闇なので、ヘッドランプがないと動けない。気温22℃、少し汗ばんでくる。荷物は走るにはちょっと重い。スポーツドリンクを2リットル担いでいる。釜無川を渡る橋で対岸へ、大武川沿いに続く道を緩やかに登っていくと、次第に汗が噴き出す。周囲は水田や畑、雑木林、民家がまばらにある。街灯はほとんどなく、暗い。たまに犬に吠えられる。空は一部分晴れているが、霧で覆われる時もある。上に行けばいくほど、霧が多くなってきた。地図がないと迷う。何度か分岐点で確かめる。「甲斐駒ヶ岳へ」などという道標はないのだから。横手から細い参道の道に入る。この道、ほんとに神社に着くのだろうか? と思うのだけど、道の周囲の手入れがされている感じがして、そのまま入っていく。間違いはなかった、横手駒ヶ岳神社に着いた。深夜に境内に行くのはちょっと不気味だったので止めて、神社の左手から裏の車道に出る。ここから、登山道に入る。約1時間半の走行だった。霧が深くなり、わずかに小雨も混じる。このまま雨降りだったらと思うと、ちょっと気が重い。

  • 横手から登山道に入る。途中までとても歩きやすい登山道だったのに、登っていくと、ところどころ悪い箇所も出てくる。なんだか不安だ。不安な原因は道の問題より、心理的なものだ。深夜、一人で霧の樹林帯をガサガサと移動していることが怖い。熊が出るという話しを聞いていたので、存在を知らせるべく、柏手をバンバン撃ちながら登っていく。途中、カモシカや狸に出会って心臓がドキドキ。地図には出てこない沢を絡んで少し急登すれば、笹ノ平に出て、竹宇駒ヶ岳神社からの尾根と合流する。道が広くなった。

  • 八丁登り。この距離、この傾斜ならまだへこたれないのだけど、一つ問題が起こった。ヘッドランプの調子が悪い。新しいアルカリ乾電池に替えたのに、フッと光が弱くなって消えてしまい、スイッチを入れ直すと元に戻るのだった。電圧が不安定なのだろうか。量販店の安売りの電池は信用できない、というか、このヘッドランプの電球自体にも問題があるのかもしれない。前に同様の症状が出ていたのを思い出した。ヘッドランプを買い換えようと思った。手持ちのハンドランプを出したり、電池を入れ替えたりして先を急ぐ。夜が次第に明けていく。

  • 前屏風の頭の前だった思う。なにか白いものがぼぉおおっと登山道の前に佇んでいる。なんだなんだ、熊か? カモシカ? もっと小さい……な、なんだ……? ギョッとしてしまい、足がすくんで動けなくなってしまった。しばらく目を凝らす、空はすでに薄明るいのに、わからない。正体が分からない何物かが目の前に存在している! 叫びたいが叫べない、とっさに柏手を打った! そしたら、白いものが動いて、人の形になった。人間だ! 遭難者か? 近づくと、フォーストビバークしていた登山者のオジサンだった。銀色のレスキューシートを被っていて、それが薄明の空の光を反射して白く光っていたらしい。向こうも死ぬほど驚いたらしい、こんな時間に、荒い息づかいで登ってくる動物は、熊に思える。話しを聞くと、昨夕、ひどい雨に打たれて日が暮れて、途中まで降りたが疲れてしまい、夜明けを待ってから降りようと思って、待っていたとのこと。遭難寸前の状態なら、トレイルランを中止して、付き添って降りなければならないが、どこも具合は悪くない、自力で降りられる、眠いだけだというので、その場で別れる。ここまで降りているならば、がんばって麓まで降りたほうがいいのに、とその時は思ったのだけど、もしかしたらそのオジサン、ヘッドランプを持っていなかったのかもしれない、と思った。ヘッデンは重要な道具ですよ(自戒を込めて)! 集中豪雨の影響は登山道の所々に見られたけれど、花崗岩のザレが雨を完全に吸収してしまったようで、登山道が川になっている場所はなかった。

  • ほどなくして刃渡り。完全に夜は明け、目指す甲斐駒の上には快晴の青い空が見えるけれど、振り向けば積乱雲がどんどん盛り上がって朝日を遮っている。たまに雷鳴ゴロゴロ。もしかして雷雲と競走か? と思って焦る。焦ったところで早くは登れないのだけど。

  • 五合目小屋手前の登山道に水が流れていたのでポリタンに補給して通過、次第に梯子・階段が増えてくる。まだ2200m程度だ。あと800m近くあるのに……最初に黒戸尾根を登ったとき、この五合目あたりで、頂上間近と思って油断して、バテバテにバテたことを思い出す。ここからがホントの黒戸尾根だ。

  • 七丈小屋を通過。テントからクライマーが出てきて、ザックにロープを詰めたりしている。いいなー、沢もいいし、奥壁も登ってみたいなー……ミニクリームパンを食べて水で流し込んで先を急ぐ、ちょっと遅れ気味だ。

  • ぐんぐん高度を稼ぐ、眺望が開けてくる。背後からは霧が追いかけてきて、前方は晴れている。難所の岩には、石碑が置かれ、岩の上には剣が立ててある。駒ヶ岳講の信仰登山者が、石碑や剣を担いで登ったのだろう。駒ヶ岳講は江戸時代に茅野の行者によって開かれたそうだ(その前からすでに道はあったらしいけれど)。今は安定した梯子や階段があるけれど、当時、藪と草付きと苔と岩のミックスした道を登るのはたいへんだったに違いない。花崗岩の側稜が鋭く集まってきて、高山の雰囲気が濃くなってくる。息が少し苦しい。駒ヶ岳神社本社のある峰に登れば、コルの向こうの指呼の間に、甲斐駒ヶ岳頂上が見える。

  • 甲斐駒ヶ岳頂上着、40分遅れている。遅れを取り戻すのはおそらく無理だろう。計画変更するか? このまま鳳凰三山へと転進するか。いや、今回の目的は西側にどこまで行けるか、だ。計画通りに北沢峠から仙丈ヶ岳までは行こう、と思う。疲れたので、充分に食糧と水を補給する。北沢峠方面からの登山者が多く、すれ違いに気を遣う。六方石、駒津峰と通過、こんなところはトレイルランどころではない、石がゴロゴロしすぎている。双児山から一気に急降下、北沢峠までもゴロゴロした石が多くて、下りでも速度が上がらない。ともあれ甲斐駒から1000mも降りてしまい、もったいないなぁ、と思う。かなり疲れてきて、先行きが不安になる。

  • 北沢峠で11時10分のバスに乗れることがわかる。広河原でシャワーでも浴びて、仮眠してバスで帰ろうか? 心が揺らぐ。まだ時間があるはずだ、ともかく仙丈ヶ岳まで行ってから決めようと思って、再び登り出す。係数0.5、全力で行ってみよう、もしかしたら、タイムを挽回して市野瀬に降りられるかもしれない。仙丈ヶ岳の樹林帯の道は、甲斐駒からの道に比べて、とても歩きやすい、いや、部分的に走れる。

  • 森林限界を超え、小仙丈ヶ岳まで上がって、仙丈ヶ岳をみたとき「えーっ、本峰ってあんなに遠いっけ?」と思う。そういえば、高校生の時もそう思ったじゃないか! だが、今は夏、そしてオレはオジサンで運動靴を履いている。走ればいいのだ。

  • 小仙丈ヶ岳から稜線で走れるところは走る、今回の「まともなトレイルラン」は、この3000mの稜線走りに尽きる。ガスが湧いて陽も当たらず、北風で寒いこともあって、水平な部分は走っていく。それでも時間は過ぎていき、遅れは取り戻せなかった。走りながら、計画完遂は無理だと判断する。

  • 仙丈ヶ岳の頂上には1分もいなかった、すぐに引き返す。計算し直すと、北沢峠15時半だって、このままいけば間に合わないかもしれない。バスに間に合わないと、広河原泊まりになってしまう。なんでこんな計算したんだろう、やっぱり徹夜で疲れているからか? 下降は今までになく真剣に真面目に走っていく。最後の力をここで使ってかまわない。峠までの30分は、学生時代の駆け下りと同じようなスピードだ。こんなことをやると「左膝爆弾が炸裂する」のだけど、今回は不発で助かる。15時ジャストに到着。今回のトレイルランはここまで。計画通りにはいかなかったけど、これ以上は無理なのだし、充分に走った。

  • バスに乗り、広河原で乗り換えて甲府まで。このカッコのままで帰るのは嫌だ、銭湯に入りたい。甲府駅前の交番で銭湯の場所を教えてもらう。交番とは反対側の北口から北東方向に歩いて15分。城北の湯(城北温泉、山梨県甲府市北口3-8)。どこにでもある普通の銭湯だった。汗を流し、着替えて、駅前に戻ってマトモな飯。心地よいけど、なんだかどっと疲れが出てきた。

  • 甲府駅から普通電車に乗る。足がダルイ。すぐにウトウトする。電車を乗り継いで、その日のうちには、自宅に戻る。


[そのほか]

  • 山梨県甲府市の銭湯 一覧
    http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/4471/1010.html
    (現在も銭湯が存続してるかわからないので注意)

  • 銭湯用の石鹸の持参方法。ハンカチに「ビオレU」を染み込ませてビニールに入れて持っていった。これは正解だった。男性限定だけど、これなら頭から足先まで洗えるのだった。

  • 仙丈ヶ岳には、高校生のときに冬に戸台から入った。北沢峠にテントを張ったのだけど、夜がひどく寒かった(マイナス15℃)。夜はホエーブス3台で、鉄タライでカレーを作って食べた。翌日、頂上ピストン。樹林帯を黙々と登り、森林限界を越えると風が強かった。稜線の地形は緩やかで、クラストした雪面にアイゼンを効かせて登っていく…遠くて寒くて消耗した。

  • 下山後しばらく疲労が抜けず、風邪気味になったので、葛根湯を飲む。

Posted by gont at 23:31 | Comments (1) | TrackBack

2006年08月19日

奥武蔵ウルトラマラソン・リタイア

44.7km、折り返し点でリタイアです。調子が悪くて走れず、残念。

[写真レポート]

 熱中症のような症状で、走ることができなくなり、折り返し点でリタイア。歩くことはできたが、それでも、気持ちが悪くて速度が出ず、途中のエイドで回収車に乗せられていたと思う。
 途中までは問題なく走れていた。前半の鎌北湖に入る周回10kmも抑え気味に通過。そこから坂道を走って登っていくうちに変調が少しずつ出て、刈場峠付近で急に走れなくなった。3kmごとのエイドでは毎回、頭から水を被り、水分もエイド食も充分に摂っていたのに、急速に調子がおかしくなって、異常な発汗、体温の調整ができない、暑いのか寒いのかわからない、胃が張ってムカムカして気持ちが悪くなる……という全身の症状。塩が足りなかったのか、それとも摂り過ぎか、もっとご飯類を食べておけばよかったのか? 補給に関しては何が悪かったのかよくわからない。
走れなくなった後、ともかく折り返し点までは歩いていって、調子が回復したら走ろうかと思ったが、回復せず。かき氷を食べて、リタイア宣言。回収車が来るまで、1時間ほど道端の日陰でノビていた。筋肉痛はないけれど、ともかく座っているだけで眠くて仕方がない。14時には回収車に乗って、15時半にはゴール地点まで運ばれる。この回収車に乗ったのは20人程度。車中、ゴールを目指して走っていく人たちを見て、この暑さとアップダウンのある道を最後までがんばれるのはスゴいことだな、と思う…。

敗因分析:
1 登り坂で無理に走って登ったこと。
最初の300m程度の登りは乗り切れましたが、さらに400mの登りで、温度が上がり過ぎた。そうした体調の状態を正確に把握できなかった。
2 寝不足。
前日の夜、あれこれと忙しく、3時間ほど横にはなったが、まったく眠れず。徹夜での出場で、身体の状態をうまくコントロールできなくなっていた。これがいちばんの原因だろう。
3 富士登山競走の疲労。
まだ抜けてなかったのか?  筋肉痛はまったくなかったが、身体全体をコントロールする機能が弱っていたのかもしれない。
4 夏のウルトラに特化したトレーニングをしていなかった。
富士登山の距離は、水平で約20kmだし、登り一辺倒で、暑いロードも前半の10kmだけだった。夏のウルトラマラソンをやるなら、アップダウンのある40kmぐらいのコースを水分を摂りながらじっくり走る練習をしておかなければならない。今回、それをやる時間がなかった。月間の走行距離も足りなかった。昨年は富士には登れなかったけど、奥武蔵には通用する練習はできていたのだと思う。

メモ:


  • ロングタイツは暑かった。ハーフタイツにすべきだった。なお、ユニクロのタイツは、水に濡れると肌との摩擦が大きくなって擦れてしまい、ウルトラ向きではないようだ。

  • 水に濡れると肌にくっついてしまうTシャツはダメ、熱を放散できない。前回の奥武蔵の完走T
    シャツがダメでした (^^ゞ

  • ウルトラ用に、ソールが厚めの靴を履くべきだったかもしれない。下りのダメージを考えての対策。

  • 参加にあたり、Fuさんの車に同乗させていただきました。ありがとうございました。

Posted by gont at 18:19 | Comments (0) | TrackBack

2006年06月26日

川乗山(川苔山)→武甲山トレイルラン(富士登山競走競走対策)

「笹藪スイム」も堪能できる霧雨のトレイルラン。写真もアップしました。

ちょっとアップが遅れました↓
川乗山→武甲山トレイルラン・Photo

JR青梅線鳩ノ巣駅 発07時40分
西武秩父線横瀬駅前・武甲温泉 着16時00分

富士登山競走対策の足腰を鍛えるトレイルラン・シリーズ、仕上げのラン(わずか二回で仕上げ?(^^ゞ)。
小さなアップダウンで足腰はバッチリと鍛えられるでしょう。走れる水平道も随所に出てきます(岩場も出てきますけど)。武甲山から表参道を下って、麓の横瀬駅の武甲温泉まで、ほぼノンストップで走っていけば、あとは温泉で疲れた足を癒してください。

日曜、もしかして仕事空いた? よし! 行こう! ということで、急遽早起き04時。
7時30分にはJR青梅線鳩ノ巣駅にいた。まずは川乗山(川苔山)へ登ろう。ちょっと標高差足りないけど、アップダウンのある山道をさらに走ることで効果を狙う。川乗山からどっちへ走る? どうせなら山奥の北のほうへ。どこまで走る? うーん……よっしゃ武甲山までだ! 武甲山から西武秩父線の横瀬駅に降りれば、駅近にスーパー銭湯・武甲温泉がある、泥と汗を流してすっきり、かつ、西武線だから自分の場合、一本で帰れちゃうし。我ながらGOODな計画じゃないか、と思ったんですけどね。

途中で笹藪が深く道(トレイル)が見えないところがあります。
笹藪からしたたる雨水で全身ずぶ濡れ。小雨だけなら問題ないんですが、笹藪漕ぎをやると、大雨に降られた状態になります。

なので、雨の日は、覚悟してお出かけください……

後でまた写真含めた詳細情報をアップしますが、とりあえず、このルートの特徴と問題点。

  • 最初に一言:「雨の日はお薦めしません」
  • 雨が予想される場合、セパレートで防水のしっかりした雨具があったほうがいいです。
  • 朝に奥多摩駅なり鳩ノ巣駅を出て、夕方には武甲山・横瀬駅に到着するためには、登山道の水平部分または下り坂は、すべて走っていないと間に合いません。そのおつもりでどうぞ。
  • 地図とコンパス必携。若干の読図力要。
  • 鳩ノ巣→川乗山→日向沢ノ峰、問題なし
  • 日向沢ノ峰から仁田山、有間山への尾根道分岐がわかりづらい。
    日向沢ノ峰から西へ数分行った地点で、尾根道が北北東へと分岐する。藪の中へと緩く下る道が出ている。明確なピークはない。その分岐点には、蕎麦粒山や棒ノ嶺を示す東西方向の指示板があるが、「有間山へ」という北東を指し示す板がない。指示板がない代わりに、なぜか「カモシカ→」と書かれた黄色いテープが貼ってあるのだった(写真のページにも、「カモシカ」の文字の書かれた黄色テープの写真があります)。
    *この黄色いテープの「カモシカ文字」の謎が解けました。 スポーツエイドジャパンのランニング企画「カモシカマラソン」の指示用テープだということです、コースは、飯能駅→小沢峰→高水三山→棒の峰→日向沢の峰→大持山→武甲山→定峰峠→川越までの114km(Fuさん情報)。 本来は撤去したほうがいいような気もしますが……でも、「カモシカ」という文字で、軽装ハイカーさんが迷い込まないで済むかもしれないので、まぁ、いいか…… スポーツエイドジャパンのランニング企画には、奥武蔵ウルトラマラソンと戸田彩湖ウルトラマラソンに参加したことがあります。奥武蔵でもらったTシャツには、カモシカが描かれていました! なお、2006年9月17〜18日には「雁坂峠越え141km」が開催されるそうです……ちょっと距離ありすぎてオレにはつらいな……

    他にも分岐しているような道があるのだが、その道を行って、どんどん下っていくようであれば、それは沢に降りていく道なので、すぐに引き返すこと。この周辺は、獣道だけでなく、地図に書かれていない送電鉄塔建設用の林道や登山道がある。


  • 同尾根道そのものはしっかり踏まれているが、密生する笹藪を通る箇所があり、藪をかき分けて漕ぐことになる。その地点がちょっと道がわかりづらくなる。「ほんとにこの道でいいの?」と思うことが数回ある。

  • 同尾根の途中に送電線敷設用の林道が交差するが、その交差地点で登山道が途切れる。途切れた後の、林道からの登山道入口がわかりづらい。見つからないと、林道をそのまま降りていってしまいそうだ(走っている時はとくに)。

  • 尾根途中で分かりづらい分岐がある。分岐点に指示板はない。間違った方角へ行くと尾根道を外れて、下の林道に降りてしまう。どっちに行ったらいいかわからないときは、迷わず、地図とコンパスで確かめること。

  • ……追記予定

登山としての感想:


  • 雨だったので登山者にあまり出会わず、霧の中の深山の雰囲気が楽しめました。

  • 不思議な地形がありました。鳥首峠の北に「ウノタワ」という広い鞍部があり、そこに、水の溜まっていない窪地があります。下が石灰岩ならば、陥没ドリー ネでは? と思いました。なんせ武甲山=石灰岩=セメント山ですから。でも、稜線を走っていた時には、紅いチャートが散らばっていたので、陥没ドリー ネじゃないか……。昔は池だったそうです。ネットで調べたら、「ウノタワ」の「ウ」とは、「鵜」だそうで、池に鵜がたくさんいたそうです。民話ではなくて、ほんとの話しなのかな? ともあれ、印象深い不思議な地形に魅せられる私でありました。

Posted by gont at 13:24 | Comments (0) | TrackBack

2006年06月19日

八ヶ岳大横断トレイルラン(JR中央線茅野駅→御柱街道→美濃戸→御小屋尾根→阿弥陀岳→赤岳→真教寺尾根→美し森→JR小海線清里駅)

八ヶ岳大横断写真レポート

日程:2006年6月9日夜行日帰り
通過タイム:
JR中央線茅野駅(発04時00分)→御柱街道→美濃戸(着05時40分/発05時50分)→御小屋尾根→阿弥陀岳(着08時43分/発08時50分)→赤岳(着10時00分/発10時20分)→真教寺尾根→美し森(13時30分)→JR小海線清里駅(着13時50分)

八ヶ岳大横断>アクセス、食糧、装備、季節



  • アクセス:JR八王子駅、00時40分発「ムーンライト信州」に乗る
    この夜行列車がなければ今回のトレイルランは成立しなかった。全席指定なので、本来は乗車不可なのだけど、無理に乗せてもらった。古い列車で、ちらほらと登山者が乗っていて、数十年前の新宿発のアルプス急行みたいだった。

  • 食糧:走り出す前にバームゼリー+菓子パン。途中はゼリー2、菓子パン1、飴10個程度。水は全2リットル。運搬は1.5リットル。美濃戸までに500ミリリットル消費。自販機でボトル1本購入。夏で快晴だったら、2リットルでは足りない。ちなみに、御小屋尾根途中には水場があるし、赤岳頂上でも水を買うことができるだろう。

  • 装備:できるだけ軽く! でないと、走るどころではない。とはいえ、最低限の装備は必要。激しく悩むところ……
    帽子、ランニング用長袖、同タイツ、ラン用靴下、ウルトラ用のランニングシューズ。ポンチョタイプ雨具。ランニング用ザック。ヘッドランプ、地図(マトモナ地図!)、コンパス、高度計付時計。笛、小型ナイフ、若干の医薬品、緊急用食糧。着替え(雨でグシャグシャになった時のことを考えたほうがいい)。できるだけ装備は削ったが、雨が降っている状況では、寒くてとても走れなかったと思う。もし、雨が確実に降ることがわかっているならば、雨具は上下セパレートが必要だし、防寒着(毛糸の薄手のセーター)が必要だと思う。行動できなくなったら、その時点でかなり危険な状況になる、ほんのわずかのミス、小さな事故、転倒、ルートの判断ミス、等、絶対にやってはいけない。無理は禁物。下界ではないのだ。

  • 季節について:6月上旬または9月中旬ぐらいが最適か。5月末ではまだ佐久側に残雪がたくさん残っているだろうし、夏はロード部分が暑すぎる。秋が深くなると陽が落ちるのが早くなるし。


八ヶ岳大横断>ルートについて



  • 茅野駅 着03時35分/発04時00分
    茅野駅に着いた頃には天文薄明が始まっており、04時発頃にはヘッドランプも不要だった。駅の周辺にはコンビニもあるので、食糧も調達できるはず。薄明るくなってきた東へ向かって走り出す。道は明瞭。

  • 子之神 通過04時25分
    快調に御柱道の坂道を上っていく。畑や水田が広がる手前あたりで、子之神に至る。写真を撮りながら寝神社境内を通過。八ヶ岳の扇状地の湧水の小川のほとりにある、小さな神社だった。付近には縄文遺跡がたくさんある。夜が明けて、空が明るくなる。

  • 御柱道・原村1100m地点 05時00分
    1時間で300m上昇。広大な田畑の一本道を快調に走行。車の通行もほとんどないので安全。梅雨の間のつかのまの晴れとなり、太陽が八ヶ岳から昇ってくる。背後には南アルプスが光っている。荘厳な眺望だ。この風景を見るだけでも価値がある。走りに来てよかった。

  • 美濃戸 着05時40分/発05時50分
    八ヶ岳中央農業実践大学校を通り、傾斜が増していく道を、呼吸全開モードで走っていく。心なしか空気薄いぞ……なつかしい美濃戸に到着。1710m。茅野駅より900mの登高。赤岳鉱泉や行者小屋へ行く道の終点のバス停。駐車場もあるので、車でアプローチする人も多いようだ。自分が到着した時も、車で入ってきている人がいた。美濃戸の山荘でトイレ休憩(有料100円)。八ヶ岳美術館で芳野満彦氏の山岳画展の開催を知る。行きたいところだけどなー……今日は無理。

  • 御小屋尾根へ
    天候が悪かったら行者小屋経由で行こうかと思っていたけど、計画通り、御小屋尾根→阿弥陀岳→赤岳で行くことにする。ここから俄然、急登となる。車道の終わる別荘地の登山口までがんばって走ったが、ヘロヘロになったので走るのは止めて、早歩きに切り替える。2136mの小ピーク地点まではダラダラと登りが続く。尾根通しがよい。左の枝道(巻き道)に入ると、途中で道が消えて、獣道になってしまうし、急傾斜の山腹を強引に這い登ることになる……って、オレのことかよ! まいりました。山は春になったばかりで、緑の新芽が出てきたばかりの様子。少し気温が低いし、登れば登るほど風が出てくる。これで雨でも降っていたら薄手の長袖程度では寒くて途中で引き返したとと思う。今日はなんとか天候ももつだろう、トレーニングなので、気合いを入れて登っていく。脚が攣る寸前まで脚を動かす。赤岳頂上までは容赦せずに登るのが今回のトレーニングの目標なのだった。

  • 不動清水 07時39分
    御小屋尾根上にある水場。水場まで数分らしいが確認はしなかった。過呼吸気味なので少しフラフラしてきた。2136mの小ピークを過ぎると、少し平坦な尾根道になる。歩いたり走ったりを繰り返すが、呼吸が整わない。体力のある人だったら走り抜けられるかもしれない。次第しだいに阿弥陀岳のピークが近づいてきて、隣の阿弥陀南稜の立場岳も近い。よし、あと少しだ……というのは大間違いである……

  • 2300m地点 08時00分頃
    ここから500mの急登! これからが核心だ。樹林帯が薄くなり、森林限界が近づいてくるのがわかる。南稜が阿弥陀岳頂稜の岩場と繋がってきて、頂上が近いことを教えてくれるのだけど、ニセピークに騙されてはいけない、高度計を見れば、まだ登りがあるはずだ……登り坂は登れば登るほど急になる。苦しいぜ。。頂上近くなって、下山するパーティとすれ違う。昨日、行者か赤岳頂上小屋に泊まったのだろう。

  • 阿弥陀岳 着08時43分/発08時50分
    つ、着いた。なつかしい阿弥陀岳頂上。2805m。茅野駅からだいたい5時間ぐらいか。2000mの上昇。眺望最高。山の上はとっても静か。空が曇ってきた、稜線上は若干の風が出ている。気温は10℃ぐらい。汗が冷えて寒い。すぐに雨具を着る。パンを食べる。どうも天候がアヤシイ、雨につかまると急激に消耗しそうで怖いので、さっさと出発する。

  • 赤岳・中岳のコル 通過09時33分
    雨具を付けたままで通過。寒いのでともかく脚を動かす。呼吸、ゼーハーゼーハー状態。時計を見ると10時近い、10時ピッタシに赤岳に着こうと思った。

  • 赤岳 着10時00分/発10時20分
    最後はダッシュ気味。10時に頂上だ! 間に合わせろ! 着いた! やったぜ……って……アホだなオレは。酸欠で視界が暗くなっているので腰を下ろす。10分ぐらいして回復、食糧、水分を補給。佐久側は空気が暖かい。ガスが出てきた。人が少ない赤岳頂上は気分いいなー。眠くなってきた。大の字で寝ていたいけど、雨降りそうだし、安全地帯まで早めに下ろうと思い腰を上げる。休みすぎると疲れを感じて動けなくなる。

  • 真教寺尾根分岐 通過10時32分

    赤岳からの主稜線を南下、10分ほど下ると、左手(南東)に真教寺尾根分岐が現れる。「真教寺尾根10」という、丸くて白い小さな看板が出ている。「てもと.あしもと」という四角い看板もある。目の前には天狗尾根の大天狗のピークが見える。ここからが長い長い下り坂の始まり。佐久側は東向きで太陽が当たり、とても暖かい。雨具を脱ぐ。一気に500mばかり、下降する。この間、鎖場多し。たいしたことないや、と思っていると、思わぬところでスッ転ぶ。森林限界の上なので、転んだら当然、どこにも止まらず、谷に落ちる。春先で雪が消えたばかりの登山道は、浮き石も多い、鎖の支点も緩んでアヤシイかもしれないし、慎重に下ったほうがいい。

  • 真教寺尾根牛首山(扇山2356.5m) 通過12時05分

    2300mまで降りてくると、長いながい水平の尾根道が続く。疲れが出てきて、脚もとがおぼつかない。走る気力がなくなっている。現在地、ピーク名が確認できないので、とても長く感じられる。途中で足の屈伸をして休みながら走る。登山道はところどころ、わずかに残雪がある。5月末だと残雪が多くて走れないだろう。残雪の上を通過する時にハデに滑って転んでしまった。ランニングのタイツのスネの部分が破れてしまう。あらら。気温がグングン上昇しているはずなのに、寒気がする、かなり疲労の度合いが濃い。
    2280mの尾根末端のピークから尾根筋は真東へと折れる。ここから再び坂が急になる、長い、脚が痛くなってくる。1900mの清里スキー場のリフト近くになると傾斜も緩くなり、車の騒音や観光客の声も聞こえてきて、「里」が近いことがわかる。リフトを過ぎると、牧草地のような草原と笹原、樹林帯を降りていく。非常に長く感じられる。樹林下の笹原の道は、あまり人が通らないようで、草刈りをしていない部分があり、足もとは大きな石がゴロゴロしていて、傾斜が緩くても走るに走れない。標識もまばらなので、夜間だと確実に迷うと思う。夜間になってしまった場合は、ルートを左へとって、リフト直下を歩いていったほうがよいのかもしれない(憶測)。いずれにせよ、ヘッドランプと地図とコンパス必携。

  • 美し森入口(ピクニックバス・清里高原ホテル入口) 通過13時30分

    さらに下っていくと、美し森の丘の道へと繋がる。観光客でごった返している。走りにくい、というか、ちょっと恥ずかしい。とはいえ、できるだけ稜線の木道を行ったほうがよい、駅までの最短ルートなので。バス停まで下ってくると、あとは清里の駅まで、ほぼ直線の下り坂の道路が待っている。

  • JR小海線清里駅 着13時50分

    美し森入口前の道路からまっすぐに道路を走り降りる。下り坂なので勝手にスピードが上がる。20分、キロ5分切るようなペースで走り降りる。一気に清里駅まで降りられた。

  • 清里温泉「天女の湯」→電車で帰る

    さすがに銭湯にでも入って汗を流して着替えないと電車に乗れない。清里にあるスーパー銭湯、清里温泉「天女の湯」に行く。場所は、丘の公園・アクアリゾート清里。清里駅から……遠い遠い……1.5kmぐらいあるだろうか、道を下っていったのだけど、20分以上かかったと思う。疲れた足にはこたえる。場所さえ確実にわかっていれば、清里駅を通りこして、一気に温泉まで走ったほうがよかったかもしれない。温泉利用料は750円。21時まではやっている。銭湯から出て駅まで戻り、飯も喰わずに15時37分の電車に乗る。小淵沢駅で、どうしても食べたかった駅そばを食べて、簡単な打ち上げ。急行にも乗らず、普通列車を使って、夕方には自宅に戻れた。

八ヶ岳大横断>今回の収穫・雑記



  • 山脈越えのトレイルラン・ルートが拓けた。八ヶ岳だけでなく、南アルプスや奥秩父などで[駅→駅+銭湯]の山越えルートを開拓したい。走行時間は10時間程度がちょうどいいようだ。それ以上に長くなると疲労が激しくなるし、山の場合はあまり無理ができないので。金曜夜に出て、土曜の朝方に走り出し、土曜の15時ぐらいには到着したい。夜には自宅に戻っていられるような、そんなトレイルラン。

  • 茅野駅の標高は約800m、八ヶ岳赤岳2899m、高度差2000m超の上昇。

  • 八ヶ岳の広大な裾野を走ることができた。登りは美濃戸1710mまでと、御小屋尾根取り付きまではともかく走った。山に入って傾斜が急になってからは走れず。ただ、尾根上の平坦な部分は少し走れる。赤岳からの下降については真教寺尾根を下るあたりは走れず。平坦になったところから走れる。美ノ森あたりからは本格的に走れるようになり、清里まではノンストップのダラダラした裾野の傾斜なのでおもしろいように下れる。

  • 茅野駅から美濃戸、御小屋尾根、阿弥陀岳へと西進した道は、「御柱道」といって、諏訪大社下社で使う御柱を引き下ろしてくる道だった。おそらく、縄文時代からこの道は使われていたはずだ……

  • 「御柱道」沿いに、「子之神」という土地を見つけた。そこには寝神社があった。子之神=寝神社。自分の住んでいる東京近郊の小川の黒目川上流にも子之神社があり、由来などを調べたことがあった。他にも子之神社を調べたところ、子之神社近くには必ず縄文遺跡があった。明らかに、古層の聖なる場所、縄文の祭祀と関係のある神社だった。八ヶ岳の縄文とも何か関係がありそうな気がした(継続調査中)。ランニングのため詳しくは見ることができなかったが、「八ヶ岳の子之神社」は針葉樹の巨木に囲まれた不思議な場所だった。後で調べたところ、昔は御柱を下ろしてくる時に、ここで宿泊したのだそうだ。だから、寝之神なのだ、と。信州の古い時代の民話で「寝る」と関係のある話しならば、三年寝太郎だ、寝太郎といえば、でいだらぼっち、だ。でいだらぼっち、といえば、八ヶ岳だし、山の神だし……繋がってきた。

  • 八ヶ岳美術館で「芳野満彦山岳画展」開催中!(6月29日までだ急げ!) おぉ、我がヒーロー、芳野満彦だ! 彼がいなければ自分は山なんかやらなかったし、山小屋でバイトすることもなかった、岩登りもやらなかったし、まして、本を好きになることもなかっただろう。芳野氏は、新田次郎の山岳小説『栄光の岩壁』の主人公のモデルだった。芳野氏の登山の始まりは、戦後すぐ、八ヶ岳での遭難で両足先を切断したことから始まった、そこから不屈の精神で山に入り込み、日本人で最初にヨーロッパアルプスのマッターホルン北壁を登ってしまった。足先がないのに、だ。こんなスゴイ人が他にいるだろうか? もっと評価されていい人だと思う。ちなみに、彼の山岳画はすばらしいに尽きる。

  • 八ヶ岳、それはすべての始まりかもしれない。なぜ八ヶ岳が始まりなのかといえば、縄文の前の時代には富士山よりも八ヶ岳に高い成層火山があったからだ。古阿弥陀岳といって、赤岳と現阿弥陀岳の南側に、標高3300mほどのドデカイ山があった。それが爆裂噴火して、吹き飛んでしまって、今は跡形もない。山体崩壊した山塊は南方はるか韮崎まで流れていったのだ。サッカーの中田を生んだ韮崎周辺は、八ヶ岳大崩壊の山体崩壊の押し出し部分なのである……

  • まだまだあるのだが……追記予定……

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2006年05月30日

2006年04月11日

第1回戸田・彩湖フル&ウルトラマラソン(80km・2006.4.8)

9時間10分ぐらいだった。走り始めたのが朝の6時40分、夕方4時まで走っていたことになる。

写真はこちら↓
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レポートは↓

 前日22時まで仕事していたが23時には寝て、4時過ぎには起床、4時50分に東久留米のFuさんが自転車でやってきて出発、黒目川から朝霞へと走り、幸魂大橋で荒川を渡って6時前には戸田・彩湖に到着。
 天気曇り、ウェアは結局、長袖にする。6時40分スタート。80kmのエントリーは100人ぐらいか。この規模で静かに走るのもいいなぁ。彩湖という調整池の周囲約5kmを周回するコースなので、80kmでは17周(!)もするのだ。今、何周目か、数えておかないと悲惨な目似合うのだけど、それは杞憂だった。前半はキロ6分程度のペースだったので、1周約30分だから、簡単に計算できるし、後半になってからは、頭のなかで何度も「今○周だから、○周までは我慢して走るんだ」などとずっと考えて走ることになったので。
 Fu氏と話しながら適当に走っていくと、いちばん後ろのような気もするが……気にしない気にしない。速度は遅くはない、ウルトラマラソンなのにキロ6分切ってる、こんなペースでいったら危険かも。
 2周したところで、ちょうど7時40分スタート組みがスタートして合流、どんどん抜かれる。60km組、フルマラソン組と、さまざまな距離が設定されているから、脚の速い人を追いかけても、あまり意味がない。
 途中でトイレに行きたくなって(毎度のことだが)Fu氏とは別行動。しばらく気合い入れて追いかけたが、背中が見えてこない、こりゃダメだ、早すぎる。このまま行くと潰れるので、減速し、自分のペースで走ることにする。
 7時40分スタートのM会のHさんが、ものすごい勢いで抜きながらエールをくれた、は、早い!(結果、年代別2位)。
 曇りだった天候は晴れてきて、陽射しが暖かい、ね、眠いなぁ、走りながら眠ってしまいそうだ、いや、実際に眠ってしまった瞬間もあったかもしれない、でも、走っていた。今年2月に走った「大村湾160km」とは別の「快適睡眠走」、脚だけは動いているような感じだった。春だもんね。だがそんな状態は長く続かない、脚が重くなってきて快適度合いが下がる、30km過ぎている。
 けっこうなペースで来ている、先月の「荒川フル」とさして変わらないペースじゃないか! うーん、どうしてだろう? 実際にそうだから仕方ない。フルを過ぎる距離以降は、天候がアヤシクなってきて、小雨もパラパラと来る、北風がビュービュー吹いてくる、ちょっと辛い数時間があった。それでも、周回なので、逆風があれば追い風もある、なんとか凌いで走る。
 ウルトラ走りのエネルギー確保のため、前半からうどんやおにぎりなどの炭水化物系のエイド食をいただく、後半はオレンジジュースとグレーププルーツが疲れた筋肉に効きまくる、一般のレースではあまり見かけないエイド食がありがたい。さすが「スポーツエイド・ジャパン」さんでした。
 11周ぐらいから、まったくスピードが出なくなり、誰も抜くことができなくなる、つまり、抜かれるばかりになった。どうがんばっても、前の人を抜けないのだ、立ち止まってストレッチしている人ぐらいしか抜けないし、その人にまた抜かれる。うーん、遅い、これは走ってるといえるのだろうか? などと思いつつも、絶対に止まるな、止まったらきっと、あとは歩きになってしまう、大村湾と同じだ、ともかく足を動かせば、いつかはたどり着く、あと1周してから次の周回を考えよう、先のことなんか考えるな、などと思いながら前に進んでいく。
 困ったのは、腹筋あるいは横隔膜あたりの筋肉が疲労したのか、呼吸がうまくできないというか、酸素がうまく回っていないような感じになってきたこと、そして、前腕が筋肉痛になり、肩に鉄板が入ったように凝って痛くなってきたこと。脚はもう意思では大きく動かせず、その運動量で安定してしまっているが、他の箇所で苦痛が大量発生して、身体中のセンサーが「痛いってば! なんとかしてくれ!」とアラートランプを点滅させているような感じ。当然ながらそのセンサーの要求には応じず、つまりは、走り続ける。
 ようやくあと2周になり、ゴール近くでついに、Fuさんに抜かれる、しまった、周回遅れになってしまった。ここで追いつかれてしまうとは。最後は脱兎のごとくダッシュして見えなくなってしまったFuさんをトボトボと追いかけて、ラスト1周になる。
 あと5kmだ、残っている力で脚を前に出す、まだ少しは力が残っている、何人か抜いていってゴールできた。10時間キレタよ、充分!
 しばらく休んでさっさと帰ることにする、日が暮れてしまう、自転車なのだし……帰りの自転車、15kmなわけですが、登り坂がきつい……地元近くのファミレスまで戻ってから、打ち上げ、いやはや、お疲れさまでした。

Posted by gont at 01:32 | Comments (0) | TrackBack

2006年03月20日

第9回東京・荒川市民マラソン in ITABASHI(フル・2006.3.19)

結果は3:59:36(ネット)。目標の3時間20分には遠く及ばず、惨敗!
今季ラストのフルで、この結果かぁ……ぜんぜんダメじゃん(T_T)

[追記;第10回の結果はこちら↓
第10回東京・荒川市民マラソン(フル)

 復路はオーバーペース&追い風で暑くなってしまい、往路は逆風の北風でヨレヨレになる。途中で何度も気持ちが切れてしまう。こうした悪条件でがあっても、せめて3時間30分台でまとめたかった。これだけ遅れたのは、さまざまな原因があるにせよ、練習不足と作戦失敗、ということだろう。はい→フルマラソンのやり直し、ですよ>オレ
結果は結果として胸の脳と脚に閉まっておくとして、今回もM会のみなさんと一緒に走れてよかったです。赤羽での打ち上げのため先発したM会のみなさんを追いかけて大会会場から浮間舟渡駅に行ったら、埼京線が強風のため止まっていて、赤羽までバスで移動することに。後半になればなるだけ、逆風下の復路で厳しかったものと思われます。広島に戻られるHG氏の送別会(壮行会=走行会)も兼ねた打ち上げは盛況でした。今年もまた富士登山競走に挑戦する予定ですが、HGさんのように頂上に立ちたいものです。

画像アルバムできました。

第9回東京・荒川市民マラソン in ITABASHI(2006.3.19)

[追記]
荒川マラソン、どこがダメだったか。

題して、「複合失策」。
(今、覚えていることだけを記します、後で見直しましょう>オレ)

◇事前の準備
□フル用の走り込み不足
→フルの距離を意識した20-30km走(LSDよりも強度高い)が不足していた
(理想)
→10-11月 長距離・LSDでベース作り
 12-1月 フルの距離を意識した20-30km走
 1-2月 スピード練習
 3月 レース
□靴 → 今回新調した靴でもダメか……やっぱりNew Balance。店員のお薦めなんかより、自分の足と足裏の感覚を最初に信用しなくちゃ。
□レース前1週間 →忙しすぎた、寝不足、休養足らず。
→足りないならば、タイム更新を狙うよりも、その時点でのベストを狙うような作戦に切り替えるべきだった。
□食べ方のミス
→体重を落としたのはよかったが、スタミナが切れてしまった。

◇当日
□水摂りすぎ
→またしてもトイレに(折り返し直前。事前に飲み過ぎです……)
□作戦ミス1(ペース)
→明らかなオーバーペース。自分の状態を正確に把握できていれば、往路をキロ4分40秒で押していくのは無理だったわけで。
□作戦ミス2(ウェア)
→長袖、着るべきだった。一方、下は、タイツは止めてランパン+膝のキネシオテープでよかった。往路は暑くてもペースを落とし気味にして抑える、なぜそうしなかったのか。気象(強風)についてはなんとなく予想はしていた……しかし、前日のネットの気象予報で「風速1m」と出ていてそっちを信用してしまった……んなわけないじゃん……春の二つ玉低気圧通過後だぜ……山は大荒れで遭難するような天気……自分の予測、ラジオ天気図を毎日描いて磨いた天気図の勘?を信じるべきだった。
□作戦ミス3(食べ物)
→事前に食べるべきものを食べなかった。なんとなく、パワー不足だった。

Posted by gont at 19:46 | Comments (0) | TrackBack

2006年01月11日

第7回谷川真理ハーフマラソン

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1:37:22(ネット/自己計測)

FINISHの200m手前で左膝が痛くなりスローダウン。手前でジリジリと抜いていった人たちに追いつかれ、あっという間に抜かれてしまった。ありゃりゃ……

 昨年はネットで1:33:30だから、4分も遅いわけです。膝痛がなくてもベストは出ていない。目指していたのは1時間32分、5分遅れ、まったく届かずという結果。元旦100kmの疲れが残っていたのも事実だろうけれど、問題はそれだけではなく……
 レース直前までの準備はよくできていた。アップもしっかりと行ったし、トイレにも早めに行けたし、スタートの並び順での遅れもなかった。昨年はスタート時に後ろに並んでしまって往路で渋滞に巻き込まれたので、今年は前のほうに並んだのだ。風弱く快晴、絶好のコンディション。こうなったらベストタイムを出すしかねーっす、これで冷静さを失った。
 スタートの並び順、かなり前の位置だった。足の速い人たちに囲まれて雰囲気に呑まれてしまい、往路で自分のペースもわからず走ってしまった。一昨年、昨年であれば、前がつかえて速度が出なくて気を揉むのだけど、今年はそれがない。いつも夕方に走る距離、10〜13kmが多いので、そのペースで走ってしまったのだ。前が詰まるぐらいのペースのほうが結果としてよかったのかもしれない。
 折り返してからしばらくして、息が上がり余裕がなくなってしまった。足にも力が入らない(この時点で膝がおかしくなっていたのに、気づいていない)。復路は抜かれるばかりになった。少しずつペースダウンしているから、ペースを維持している人やペースを上げていく人に徐々に抜かれていく。4km手前ぐらいまで潰れないように我慢して、そこから少しずつペースを上げていったつもりなのだけど、今度は膝が耐えられなかった。あとわずか、FINISHがすでに見えている地点で、痛みが走り、自転車のタイヤがパンクしたかのような感じで足の回転が止まっていき減速、このままだと後ろの人にぶつかると思い、コースの横に逃げて、膝を騙しながら走ってFINISH。幸い、完全に動けなくなるような事態にはならず、レース後も歩くことはできたけれど……。
 いちばんの失敗は自分の状態、そして負荷の限界点がわかっていなかったこと。疲労が少ないときは一時的な過負荷にも耐えられるけど、疲労がある場合には過負荷即破壊也。それから靴。10kmは騙せても20kmは騙せない。昨年12月の所沢マラソンで、この靴はどうも合わないな、と思っていたのにも関わらず、同じ靴で走ってしまう自分がいけません。膝だけでなく、左足のアーチも痛んでしまった。
 レース後3日経っても調子はイマイチ。左だけでなく右も悪いようで、痛くて2kmしか走れなかった。来月の大村湾160kmまでには治したいので、しばらくは安静? 両膝に湿布しつつ膝サポーターで暖め血行をよくする。


1月6日 10km
1月8日 21km(谷川真理ハーフ)
1月11日 2km

1月合計 133km

Posted by gont at 12:22 | Comments (2) | TrackBack

2005年01月31日

2005年のレース・レポート

2005年

Posted by gont at 23:59 | Comments (0) | TrackBack

2004年12月31日