2005年06月29日
blogと夏の植木鉢
版元ドットコムがブログになっていた(前から?)。
版元サイトはこれからブログを使ったほうがいいと思う。ブログが裏でどのような「情報のやりとり」をしているのか、それを理解すれば、ブログしかないでしょ、という結論に達すると思うんだけどな。
でも、ブログにしても情報掲示板にしても、更新されてないと、急激に閲覧者が減ってしまう。ほぼ毎日更新、ぐらいの気合いが必要です。ブログで新しいエントリ入れるのって、たいへんなんです、ネタ不足になるし、一日のなかで何かを行う優先順位の下位にきてしまう。水をやらなければ枯れてしまう夏の植木鉢の植物と同じで、育てていく必要がある、何年にも渡って。
ここんところ仕事が忙しくてエントリが少なくなっているゴント@言戸堂ですが、室温33℃という暑さのなかバリバリやってますので、よろしく>関係各位
2005年06月22日
仕事が忙しくなってくると
急に仕事が忙しくなってしまった。一カ月ぐらい残業が続きそう。ありがたい話しだけど、なぜか重なるときは重なるもので(^^ゞ ともあれ、気合い入れて!
ところで……仕事が忙しくなってくると本が読みたくなる(^^ゞ
昨日は打ち合わせの帰りに池袋のリブロにふらっと吸い込まれてしまった。なかなか出られない、まずいな。本をゆっくり眺めていなかったので、本屋で遭難だ。買うべきか買わざるべきか。読んでる時間ないじゃん……後でネットで買えばいいじゃん……ほんとに読みたいの?……もっと的確な本がネットで見つかるかもしれないよ……財布薄いぞ……でもな、ここで手放すともう二度と手に入らないかもしれない……本は腐らないし……置いておくだけでも違うもんだし……で、何点か買ってしまった。帰りの電車でちょこっと斜め読み、買ってよかったと思う。
でも、探した時間のわりには、欲しかったテーマの本が見つからなかった。昔のリブロとは違うのだった。
雀の巣
屋根の鬼瓦の下の隙間に雀が巣を作ってしまった。物干し台の上なので洗濯ものが干せない。仕方なく瓦をはずして隙間から巣を取り出すと、すでに雛がかえっているではないか。困った……近くの雑木林にある小屋の軒下に巣ごと移すことにする。親鳥は気がつかないようで、屋根の近くで鳴いている。悪いことをしたような気分。雛は生まれたばかりで鳴いていないので、親鳥はずっと気がつかないかもしれない。
巣箱でも作ってやるべきだったか。
2005年06月21日
『アースダイバー』縄文の原風景散歩
この本のタイトル『アースダイバー』はあまりよくないと思うな。でも、添付されたB4変形「TOKYO EARTH DIVING MAP」はすばらしい。この地図のために本を買っても損はない。欲を言えば、もっと詳細な地図だったら……と思うのだけど。
数千年前の関東、「縄文海進」で海が谷に入り込んでいた時代、縄文人は何を見ていたのか、どんな生活をしていたのか、その歴史は、近現代とどのように繋がっているのか。
自分もまた、こんな地図を作ったことがある、小学生の時に。白地図に縄文時代の海岸線を描き、そこに、自分の調べた縄文遺跡をマーキングしていったのだ。30箇所は調べた。今でもその地図は押入の奥のダンボールに縄文土器の欠片や石鏃とともに眠っていると思うけど、その遺跡は、すべて宅地や道路の下となり、もはや存在しないだろう(! ……なんという歴史の欠損だろうか!)。
中沢新一の「語り」に加えて、もっと縄文の原風景に接近して欲しいので、考古学者版の類書を希望。
2005年06月19日
草原に残された謎のサークル
黒目川の右岸にある畑地の一角で、こんな草地を見つけた。スコットランドやアイルランドみたいですね。冗談でやったのかな。なかなかおもしろい。
映画『マラソン』を観る
走る会のNさんが映画の試写会のチケットが当たったから観にいこう、ということで、新宿まで行って観た(ありがとうございます、Nさん)。自閉症の青年とその母親との関係を軸に母親から自立する青年をマラソンという舞台で描いた韓国映画。扱いの難しい重いテーマだけど、よく作ってあった。ちょっと泣けるよ。どことなく『鉄塔武蔵野線』ぽかったな。日本だとこういう映画はスポンサーが付かず、作ることもできないんじゃなかろうか。……ニューバランス、あんたはエライ(主人公がマラソンで使う靴もニューバランスなわけだけど)。
2005年06月15日
飛脚とニュースと所沢道
東京シティロードレース2005・10kmが終わって、しばらく休んだ後、国立競技場から東久留米・新座の黒目川岸まで走りました。
東京シティロードレース2005はスタート時点で28℃、わずか10kmの距離なのに身体は完全にオーバーヒートしてしまった。千駄ヶ谷駅近くの国立競技場の外の木陰に座り、休む。小さな地図帳を開く。石神井公園を経由して、保谷の先、黒目川岸まで走って帰ろう。どのルートを採るか?
まず新宿から青梅街道沿いに神田川に出て、これを北上、下落合で妙正寺川沿いに西進、途中から旧早稲田通りを北西へ、これで石神井公園に出られる、なおも旧早稲田通り(所沢道)を北西に行けば、保谷、そこからは勝手のわかる道につながる。川沿いにたどる最短のルートだと思う。
身体がようやく冷えてきたのは1時間近く経ってからだった。
暑さに少し慣れた身体ならば行けるだろう、ということで、走りだす。神田川は涼しく、妙正寺川は暑かった。途中から走った旧早稲田通り、この細さと曲がり具合からして古道に違いない。後で調べたら、秩父にまで至る、石神井・所沢道という道だった。
古い時代、人々はこの道をどう「走った」か? 途中の茶屋で甘いものを食べたのだろうか。現在の郵政民営化についてどう思うだろうか、古代の通信の担い手たち、かわら版を配った飛脚たちは。
今回のランでは精確な所沢道は通っていない。秩父までのルートを走り抜けたらおもしろいな、などと思う。でも、距離が長すぎるな……。
参考サイト街道を尋ねて@北倉庄一
(第7)石神井・所沢道
*何度も参照しているサイト。掲載された「古道」は興味深い
東京大学総合研究博物館
ニュースの誕生
[かわら版の情報社会]
江戸三度飛脚問屋尾張屋惣右衛門(在大坂)が配った江戸の火事についての摺物
2005年06月09日
戻ってきた蛍
ご無沙汰してたAさんのサイト。元気そうでなによりです。
IT大道芸人の幸せなお金持ちを目指す道 | 蛍を見てきたよん!
蛍が見られる田舎、いいなぁ。川がきれいになったんですね。
私の家の前の小さな川、70年代は生活排水が流れ込んで、
埼玉でも1、2位を争う汚さだったそうです、地元の元・少年が教えてくれました(^^ゞ
ところが、最近は下水道が整備され、川には魚も戻り、
そして鳥も戻ってきた、釣り人が増え、
川遊びをする子ども(川餓鬼)も戻ってきた、
そして、自分のように、この川が気に入って引っ越してきた人もいるわけで……。
川を巡るこんな本もあります、なかなかよい話しですよ。
2005年06月08日
子之神試論-1
論というより、想像(ファンタジー、歴史浪漫、妄想?)です。
なお、継続的に追加、更新予定です(^^ゞ
先日、東久留米を流れる黒目川を上流に向かってジョギングしていたら、自転車の伴走者が「近くに不思議な雰囲気のある小さな神社があるから行ってみよう」というので、川岸を離れて段丘崖下に向かった。
川から50mほどで神社参道階段下に着く。
左右に覆い被さる樹木が静謐な暗がりを作っている。「子ノ神社」(ねのじんじゃ)だった。
「子ノ神社」は黒目川の左岸段丘にある小さな神社。東久留米駅南口から所沢方面に歩いて黒目川に降りて橋を渡り、黒目川左岸の上流にわずかに行った河岸段丘崖にある(旧小山地区、小山1−14−25)。
聞いたことのない神社の名前に惹かれた。子ノ神社? 階段上にある社殿そのものには特別の感情が湧いてこない。再び降りて、階段下の登り坂の車道を右に上がると、そこは「小山台遺跡公園」で、縄文遺跡の発掘跡地の公園だった。南側には気分のよい眺望が広がっている。下に黒目川を見て対岸に東久留米駅周辺が見える。
参道の階段、左右に覆い被さる鬱蒼とした樹木の太古の暗がりに比べて、この縄文遺跡の丘の明るさはなんだろう。八ヶ岳の尖石のある崖と、その上の舌状台地のような関係。……子ノ神社と縄文は繋がってる……
自宅に戻ってからネットで子ノ神社について調べていくと、原始・古代の渦に巻き込まれてしまった……子どもの頃、畑で縄文土器の欠片を集めるのが趣味で学生社刊の藤森栄一の本を読むようなアマチュア考古ファンだったし……(^^ゞ)次から次へと検索していくネットの旅に答えは出なかったけれど、時空を超える旅は楽しかった。
黒目川の子ノ神社について記述のあるサイトのページは以下の通り子ノ神社
子ノ神社は、南沢氷川神社神職が兼任して務める十社の氏神様のひとつ
由緒の書かれた看板を読む。
子ノ神社略記
……文禄元年(1592)8月、領主矢部藤九郎により本地仏は地蔵の勧請と伝えられ……神社名はもと「根神明神」と称したが、後世にいたり十二支の子(ね)を用い「子ノ神社」と変更された。子は大黒天の神使いであり……大国主命は出雲大社の祭神と同一神にして……創立者矢部氏は相模三浦氏の子孫で、小田原北条氏に仕えていたが、徳川時代の始め、三百石を賜り小山村の地頭となった。……
文禄元年(1592)に建立・神社化した、となると、天正18年(1590)8月に関東・江戸に移し替えとなってやってきた徳川家康の影響が思い浮かぶ。豊臣秀吉が小田原攻めをして北条氏を滅ぼし、その北条氏の遺領を与えるという形で徳川家康は江戸にやってきている。北条氏に仕えていたとされる矢部氏は北条氏とともに滅亡したのかもしれないが、落ち延びて小山村に居住し、のちに氏族を再興した、のかもしれない。あるいは、北条に仕えた氏族の一部は徳川に付き、矢部氏は徳川の命で別の場所に移住させらた、のかもしれない。
徳川がやってくる前の矢部氏の所在地は不明だ。子ノ神社由緒では「相模三浦氏の子孫」となっていて、鎌倉時代への時の遡りを示唆している。場所は三浦半島や相模ではなく、相模原、だろう。相模原市には鎌倉時代の矢部氏の居館の土塁跡が残されている(横浜線矢部駅北口から真っ直ぐ境川の方向)。鎌倉の矢部氏と、徳川の世の始めに黒目川の子ノ神社を建立した矢部氏は、同じ矢部氏だろうか。
相模原市の太平記矢部良兼は横山党の武士で1213年5月和田合戦に参加して、他の横山党の武士と共に討ち死にしたそうです。
横山党
八王子市横山の地名にもなった横山氏。
元は、小野妹子、小野道風、小野小町等を
排出した 小野氏が名前を変えた1族。
相模原に居た鎌倉時代の矢部氏は横山党の武士だったようだ。横山党は、平安時代末から鎌倉、室町時代にかけて武蔵国を中心に勢力を持った同族武士団「武蔵七党」の一つ。また、八王子北条氏は、相模原を含めて多摩から武蔵まで、広範囲の影響力があり、かつ、小田原北条氏よりも古層の結集力を持っていたと思われる。
黒目川小山村の矢部氏が八王子の横山党の一員だとすると、相模原と黒目川(東久留米)の遠い距離も近く感じられる。
以下のサイトには矢部氏と横山党の関係が書かれており、さらに矢部氏の居た土地、その土地がどうなったかが書かれている。
境川「平安時代末期〜鎌倉時代初期に多摩から武蔵にかけて勢力を誇った武士団、横山党の一族」
「このあたり(神奈川県相模原市、旧相模国)は矢部氏が治めていたところということで「矢部」の地名が付いていますが、実は相模国と武蔵国を分ける境界という意味で名付けられた「境川」の、武蔵国側である東京都町田市内にも同じく「矢部」という地名があります。なぜでしょう?(略)
1594年(文禄3年)の太閤検地で、現在の境川が相模国と武蔵国を分ける境界として定められたため、今まで1つの集落であったものが、川を境に違う国の別の集落になるという、住民の生活圏を無視したいびつなものになってしまった」
「神奈川県相模原市矢部」と「東京都町田市矢部町」が存在する。同様に「東京都町田市小山町」と「神奈川県相模原市小山」も存在する。黒目川子ノ神社付近が「小山村」と言われていたのは前に記した通りだ。
境川流域に住んでいた矢部氏の一部は北条滅亡後、徳川の命で(あるいは逃れて)、黒目川の左岸に移り、そして子ノ神社を建てた、こんなふうに考えてみた。
では、なぜ、矢部氏は子ノ神社を建てたのか? それで境川について調べていくと、川の近くに「子ノ神社」があり(浅間神社も)、その神社の近くには縄文遺跡が存在する。境川は小さな川だが、台地からの湧き水が豊富で、途中の流路が蛇行していて洪水もたびたび起きたという。これは黒目川と同じ特徴を持っているのだ。
公所 アクタ川と神の岡(じっくり版)
矢部氏、子ノ神社、縄文、川。これらの特徴の一致は偶然とは思えない。
何かある。
こうして、子ノ神社を巡る仮想の旅が始まった。
2005年06月06日
最近観た映画
『交渉人 真下正義』
友人から電話をもらったので、これは観るしかないと思い、観に行く。毎月1日は映画の日だ、1000円だ。
出来は悪くはないと思う。『機動警察パトレイバー 劇場版』だな、と思いつつ、帆場には意図があったが、『交渉人 真下正義』の犯人には意図がない、それが意図的なのか、それとも、単に描き切れなかったのか、描く必要もないと考えたのか、そうだとしたら、おもしろいのと同時に、オワッテル世界だな、と思い、思いやられました。
『機動戦士Zガンダム』
Zはいい。それだけ。描き直した部分はキレイでよかった。
でもなー、中距離あたりの微妙な動きが端折ってあるというか……もっと空間に遠近感を持たせて欲しかった。アニメを作る人自体が自ら身体を動かさないから、そんな動画になっちゃうのかな? それとも、オレにはもうついていけないほど早く動いてるのか? 30倍速いのか? だとしたら、オレは刻の涙を見る……(T_T)
ミサイルでサーカスやってたアニメだと、作り手が自転車に乗りながらロケット花火を発射して、その空間的な動きを実感してたらしい(^^ゞ そんな身体感覚が残ってた時は、観る側もまた、同じ感覚を共有していたのかもしれない。ゆえに、今は……身体感覚も違うのだ。それはそれでいいのかもしれない。