消化不良の本について思うことなど

duck75のたんぶらー – 岡田斗司夫のゼネラル・プロダクツ:蔵書は負債である.

このたんぶら、ついったーで見かけた。

で、思ったことを書いてみる(ブログの書き方を変えることにした、気になったことをそのまま、結論も脈絡もなく、書く)。

最近、本を買っても「積読」状態だし、厚い本になるとますます読み進められず1年も経ってそのまま、なんていう事態に。

夜に本を読むといっても、残業もある、次の仕事の準備や勉強もある。

というか日々、生活してるんであって。

空き時間はどんどん埋められていく。Twitterのタイムラインを眺めて興味のあるツイートからいろいろと調べ物をしたり、ネットで気になるニュースを読んだり、ブログを読んだり、はたまたブログを書いたり。それとランニングをしていると本を読む時間が削られる。朗読テープを聴きながら走るなんて無理かな、なんて思うが、危なくて無理だろうな。

休日に本を読む? 本を読むための休日?

年末年始や連休時には、どうしても読まなければならないと思う本を先に読んでしまい、ワクワクする楽しい本までたどりつかない。

というか、もう絶対に読まないだろう本をブックオフに売りに行ったり、新たに本棚を作ろうとDIY店に行って板を買ってきたり、なんだかんだで、本のために本を読む時間がなくなる。

なんやそれ。

物理的な場所ふさぎな本は売るか捨てる。それでもまた本を買ってきてしまうので、新たに作った本棚に本の寝かせて、その本は「寝たまま」になっている。

そんな本をカバンに入れて、打ち合わせの時の移動時間に本が読めるのは幸せだ! 通勤電車は本読み時間のためにあったと、今は思う。

本を読むために、事務所を都内に出したいと思ったりもする。まだ実現してないけど。

本作る仕事に関わっているのに、本が読めないなんて、これは仕事人としてダメじゃん、ということで、季節ごとに都内の本屋を一日回って、ともかく「気になった本は片っ端から必ず開いてみる」行脚もやったりする。出版社で最初に就いた仕事は、書店営業といって、毎日まいにち、書店をまわって販促営業をすることだった。その感覚をそのまま利用して、本屋を回って、隠れたロングセラーなどを見つけたりしてみる。そのついでに気になった本を買ってしまって、「しまった、買っても読めないぞ」と。なら帰りの電車であらかたざっと読んでしまおうと読み始めて、「あれ? ここで言われているこの件って、誰か書いてなかったっけ?」と、帰ってからネットで検索して、該当書籍を見つける……

モニタの横に付箋を貼っている「Amazon禁止令」のおかげで、誘惑を断ち切るものの、買う予定のリストには入ってしまう。危険だ。

しかしまず買うべきは、制作関係の技術書・教科書、仕事に使う本から優先だよな、と。

そういうわけで、本にまつわる消化不良な状態が、もう何年も続いている。

ここまで書いてきてだいたいわかったけど、本の問題じゃなくて、仕事やお金や時間の問題なんだね。

本を読む時間なんていうのは、贅沢時間なんだと。
本を買わないで図書館で借りればいいじゃん、という話もあるだろうけど、借りても、読んでる時間がとれない。

つまり、もっと稼いで本を楽しめる時間を増やそう、そういうことだな。

いや違うな、そこまでして本を読む時間を作って実際に読んでも、楽しいとは思えないような気もする。

図書館にこもって、一日何冊、なんて感じで本を読んだこともあったけど、あれは苦行だ。ちっとも楽しくない。

本なんて最初から消化不良ぐらいでちょうどよくて、そのそも食傷気味な状態が普通なんであって、本読み用の胃腸=お脳の状態が優れているときはバリバリ食べればいいだけ、なのかもしれない。

いや、それも違うな。

おいしい本は、最初から最後まで一気に食べられるはずだ。

今の本は、おいしくないんだ、自分にとっては。

だったら、そういう本を探すか、なければ自分で作ればいいんだね。

とても前向きな結論が出たわりには、こういうブログを書いたりして、本を読めてないわけですが、今年の年末年始、少しは消化しようと思います。