焼岳上堀沢中尾根(仮称、途中敗退、20240316-7)

随時、更新していきます。

総合的に判断して途中で引き返す。宿題が増えてしまった。

【日 程】 2024年3月16日㈯-17日㈰(一泊二日)
【山 域】 北アルプス南部
【ルート】 焼岳上堀沢中尾根(仮)途中まで
【メンバー】 ゴント(単独)
【行 程】
◆2024年3月16日㈯
□松本BTより濃飛バス 途中、島々宿の満寿屋さんでカレーとコーヒーをいただき、次のバスで中ノ湯着 14:23
□釜トンネル、上高地トンネルを抜け、焼岳上堀沢中尾根(仮)下部にアタック・キャンプ(AC)設営
□ルート偵察

◆2024年3月16日㈯
AC起床 03:00 発 04:15
上部胸壁下の右斜面へのトラバース地点 着 08:05
(雪質、気温、天候等、総合的に判断して引き返す)
ACテント着 09:30
→帰宅

ルート概要、記録、感想

*ご注意 このルートは一般コースではありません。危険な箇所があります。登る判断をし、行動し、その結果に起きたことは、その判断をした者が引き受ける必要があります。

霞沢岳から見た焼岳東面と今回のルート

北アルプス・焼岳カードに2024.3のルートや、これまでのルートを記載
  • 大正池から見て頂上付近から一気に削り落ちている岩溝のように見える沢、これが焼岳上堀沢の左沢(左ルンゼ)にあたる。下流で合流する右沢もあり、左右の沢の間には広い尾根状の斜面が広がり、途中で焼岳の胸壁に突き当たる。ここは容易には登れない。この尾根を上掘沢中尾根と仮に呼称する。
    今回狙ったルートは、この中尾根を胸壁下まで登り、雪の斜面を右にトラバースして右沢上部に合流して、焼岳北峰のコルに至るもの。
    結果は残念ながら、胸壁下の右トラバース地点で引き返した。
  • それぞれの局面における判断、決断に至るまでの間は悩みますが、実際に登り出して迫る問題を目の前にすれば、百聞は一見にしかずで、そこで心は決まり、鬱屈は消え去るのでした。

【写真記録】 
朝、混雑する電車を避けて早めに出発、新宿バスタ発7時5分の高速バスで松本BTへ。

地下のフードコーナーで簡単な朝食、再パッキングなどして、11時55分の濃飛バスで中ノ湯へ向かう。乗客の半分は外国人。



途中、安曇支所(島々谷出合)で降車して、郵便局前にある「Alpine Cafe 満寿屋」さんに立ち寄り、「ウゑストン・カレー」と珈琲をいただきつつ、主の山口さんに最近の降雪の状況をうかがう。大雪が降ったものの湿雪で、それも高温ですぐに溶けてしまったという。また、閉塞した島々谷沿いの登山道の復活プロジェクト、上高地や焼岳を含めた山のヨモヤマ話をする。


アプローチ靴を登山靴に履き替えて準備して、次の13時40分のアルピコのバスで中ノ湯に14時23分に着く。


中ノ湯でバスを降りるとき、乗車しようという上高地のスノーハイキング帰りのハイカーが多数、待っていた。平湯温泉方面へ行く人がこれほど多数いるのには驚いた。今日は快晴なのでスバラシイ光景だっただろう。登山ポストに計画書を投函し、ヘッドランプを巻いてすぐに釜トンネルに入る。相変わらず荷物が重い。
釜トンネル内では毎度、大正池の砂利を運ぶダンプカーが轟音を響かせて二連、三連で往来している。そのたびに埃が舞うので、マスクはしたまま。そしてひっきりなしにハイカーが降りてくる。ツアー含めて、100名近くいたのではないだろうか。それに釜トンネルの途中はこれまで、照明が消えて真っ暗になっていたけれど、今回は点灯していてヘッドランプは不要だった。

釜トンネル、上高地トンネルを抜ければ左の梓川の対岸に焼岳の黒い影がのしかかり、林道を右に曲がれば雪に覆われた岳沢の圏谷の白い上高地の姿が突然、現れて驚く。途中、霞沢岳西尾根の取付の脇道でスパッツをつけ、ストックを持ち、大正池前の橋を対岸に渡る。




しばらく右岸林道を行ってから左の雪の樹林帯を抜けて上掘沢の雪の河原に出てこれを上流に向かっていく。雪は深くても足首上の程度。16時、上掘沢の左沢と右沢の合流点付近にAC設営する。気温はまだ0℃くらいで暖かい。汗をびっしょりかいてしまい、インナーのTシャツを着替える。

次に左右の沢の中央の尾根(仮称:中尾根)の取付点を探し、尾根を偵察する。尾根末端正面は壁状なので、右に数十メートル回り込んで急峻な斜面をラッセルして数メートル上がって尾根上に出られた。その先は当初、歩きやすい平坦な尾根道かと思っていたら、しばらくは小ピークのアップダウンのある細い尾根になっていて、両側が左右の沢に削り取られて急で、落ちるわけにはいかないと神経を使う登高になることがわかる(この最初の尾根で手こずったり、躊躇するようだと上の難所はおそらく越えられない)。明日は午後から天候も崩れるし、気温も高い、雪崩の可能性もあるので、気温の低い朝方のうちに早めに出発しようと戻る。




戻ってラーメンの夕飯を食べて、明日のアタックの準備をして、シュラフに潜り込む。気温は下がって−4℃くらいにはなったか。毎度のこと、寒くて眠れない。あれこれ身体を動かし、マットの位置を変えたり、靴下を変えたり、着増したり、眠ろうとする。それでも眠れず、起き上がってお茶を湧かして飲んで、ラジオを聴いて再び横になり、やはり寒いのでコンロを弱く付けたままにしてウトウトし、0時頃に眠くなる。このときはまだ快晴で星が瞬いていたと思う。

起床は3時。朝ラーメンとお茶。着替えて外に出る。あれ? バリバリに凍ってるわけでもない、妙に暖かい。焼岳はもう頂上付近が雲ってきている。装備をつける。ハーネス、アイゼン、ストック、ピッケル。ワカンは最初の細い尾根を過ぎてから使う。もう一本のピッケルもアタック・ザックの横につける。

4時15分出発。雪が凍って歩きやすいが、細い尾根に上がってからしばらくは、ヘッドランプのもとのアイゼンワークで慎重に細い尾根を進む。最初に想定していた以上に時間がかかる。地図だけではわからないことが多い。一部のピークの上りは急で、ストックを仕舞い、数手、ピッケル2本で登る。この細尾根を1時間弱登れば灌木のある広い斜面に合流する。ここからはラッセル大会。

斜面からは雪が深くなるのでアイゼン履きのままワカンをつける。数日前に降った大雪は湿っていて重い。次第に斜面の傾斜は増して、最初は足首程度だったが足首上、膝下まで潜る。さらにときどき固い層の踏み抜きがあり、疲れる。20歩あるいて20回呼吸をして整える、ようなリズムで登っていく。ルートは右へ右へと斜面を右傾上していく。正面、あるいは左に登ると胸壁に遮られる。右沢に削られたラインが見えるように、斜面を削る浅い溝状の雪沢を何度も右に渡っていく。登っていくうちに明るくなり、気づけば空は曇り、小さなアラレがパラパラと落ちる天候になる。とはいえ気温は相変わらず高い。目の前を兎が横っ飛びに走り抜ける。





斜面の右上部は樹林がなくなり傾斜の増した雪原になる。胸壁が迫ってくる。1950m〜2000m付近だ。一部、小さなデブリやクラックを確認する。暖かい昨日のものだろう。ここは気をつけなければ。樹林がないのは雪崩で流されているからだ。灌木が生える、右沢に落ちるコンタクトラインのわずかな尾根沿いへと右斜上すると、今度は雪が締まってくる。ワカンを脱いでさらに登り、途中でストックを仕舞い、ピッケル2本にし、シャフトを刺して登る。傾斜が増し、いよいよ右沢の上部へと右にトラバースする地点に出る。高度計ではここが2070mと出ている(補正していないので正確ではないかも)。スリップしたら危険な傾斜なので慎重になる。8時だ。




さて、どうするか。

これくらいの傾斜はあるだろうとは思っていて、実際にそこに立ってみて、いやいや、これは怖いぞと実感する。キックステップで体重をしっかり乗せられる足場が作れるなら行けるはずと予想していた。これは2021年に上掘沢左ルンゼ(左沢)の上部に尾根からトラバースした時がそうだったからなんだけど、今回は、どうもそのような安易な感じではない。尾根の右の、広い雪の急斜面は下方の深い右沢へと落ち込んでいる。この傾斜でスリップするとピッケル制動はまったく効かず、あっという間に滑り落ちて、途中の岩に当たって身体は砕けて右沢の底に叩き落とされる。

行けるか行けないか。慎重にキックステップして数メートル、右に出てみる。はっきり言って怖い。これまでの潜る雪面ではなく、固い。ガリガリほどではないにせよ、アイゼンの前歯を蹴り込むと足先は置けるが、不安定。慎重に戻る。これを行くならロープなしでは怖い。アンカー始点の灌木にスリングをかけて自己確保用のロープをかけて送り出しながら移動し、次のアンカーでロープを回収して、これを繰り返して100m以上…ということになると、かなりの時間がかかる。

さて、どうするか。

アタックした場合にどうなるか。命大事に、慎重に時間をかければトラバースの難所も通過して、頂上に登れると仮定しよう。それでも予定した時間を大幅に超過する。頂上は雲に覆われ小雪模様、下山ルートは2023年4月8日に降っている、中掘沢と下堀沢の中間尾根になるだろう。2023年4月は残雪状態で雪面もあまり潜らなかったが、今回は積もった湿雪でワカンのラッセルになり時間がかかるだろう。それに高温で中間尾根の末端の急な斜面は雪崩が心配になる。頂上で天候がさらに悪化して視界が閉ざされているようなら、下降ルートは中ノ湯になり、釜トンを再度、潜って登ってからACに戻ることになる(2021年3月19日、焼岳上堀沢左ルンゼ)。いずれにしても日曜夜はACで泊まることになり、月曜朝に中ノ湯のバスで松本に降り、帰宅となる。月曜の仕事の都合、遅くなっても日曜中に帰る必要がある。

…その時点ではこんなふうに細かく考えはしなかったけれど、今回の状況では無理だと直感的に判断し、引き返す。登り4時間かかったルートも、下りは踏跡を潰しながら大股でボコボコ降り、たったの1時間でAC着。末端の細い尾根を降りるのは疲れるので、途中で右側の斜面を降りて左沢(左ルンゼ)を進むけれど、二つの大きな堰堤は巻いて降りる必要がある。細い尾根沿いに降りても時間的に差はないかも。

小雪というか小アラレが降るなか、ACテント着9時半。まだ朝なのに撤収。仕方がない。そう決めたのだから。元来た道を戻る。釜トンネルを潜り降りて、中ノ湯バス停。松本BT行きのバスは13時台で、あまりに時間がある。さらに降りて坂巻温泉、温泉に入って松本BT行きのバスを待つか、それとも平湯温泉に行って「平湯の森」の日帰り温泉(700円)で汗を流し、そこからバスで松本BTへ?……いろいろありましたが、松本BT→新宿バスタの高速バスの予約をスマホで変更、15時20分発にしたものの、中央道の渋滞に巻き込まれ、1時間弱、新宿に着くのが遅れる。いずれにせよ当日中に自宅に帰る。

装備表

*可能なかぎり軽く、必要なものは必ず

■登下降用具
□ヘルメット(赤)
□アプローチ靴
□登山靴(冬期)
□メインザック(グレイ)
□アタックザック(青色)
□アイゼン □スパッツ
□ハーネス □8環・カラビナ
□ピッケル2本
□ロープ(9㎜×40m)
□スリング・捨て縄 □懸垂下降用十字ペグ 
□ストック1本 □ワカン

■露営・生活用具
□エスパーステント本体(2人用、緑色)
□テントポール □同ペグ、張り綱など
□ツェルト
□銀マット □エアマット □シュラフ
□EPIヘッド □EPIボンベ小1
□ライター □ローソク
□コッフェル・コップ □武器
□ポリタン1ℓ □ポリタン2ℓ

□ヘッドランプ □ヘッドランプ予備電池
□ナイフ □コンパス □温度計
□時計 □地図(拡大地理院地図)
□スマホ □スマホバッテリー □カイロ
□ビニール袋 □新聞紙
□筆記用具 □ロぺ □医薬品
□計画書 □保険証 □jROカード
□財布(資金他)
□家の鍵 □コロナ対策マスク

■ウェア
□インナー上(ナイロンTシャツ)
□インナー下(ナイロンパンツ、タイツ)
□ウェア上(化繊山シャツ)
□ウェア下(化繊山パンツ)
□アウターシェル上(緑)、下(黒)
□ダウンジャケット(防寒)
□セーター(防寒)
□ダウンパンツ(防寒)

□毛靴下 □毛靴下予備 □毛帽子 □目出帽
□毛手袋 □毛手袋予備 □オーバー手袋

□メガネ □メガネ予備 □メガネバンド
□サングラス
□下山時着替え一式

食糧

■1日目
昼:パン2 夜:ラーメン
■2日目
朝:ラーメン 昼:パン2 
行動食:ジェル8、飴12個
その他:珈琲、副食
予備・非常食:パン1,ジェル2

次回のためのメモ

日程

・3月中旬過ぎると雪面の状態が変わる。3月上旬が最適。
・一泊二日では無理、二泊三日。たとえば、
 金曜:休みをとってその日に入山、AC設営泊
 土曜:アタック(時間がかかると予想)下山してAC泊
 日曜:朝、下山

・春の旅行シーズンのバスは遅延する。
 平湯温泉→松本BT20分、松本BT→新宿バスタ1時間

装備

・コンロと冬期用ガスカートリッジをチェック
・ヘッドランプの予備、電池のチェック
・スリング、アンカー用竹ペグの本数を確認
・ハーネスにピッケルをスリングで結ぶ

服装

・アウターパンツは新調
・Tシャツと手ぬぐいをそれぞれもう一枚
・テント内ではわずかであっても濡れた靴下は履き替える
・小さいカイロ4個(膝、足先)
・シューズカバー新調
・防水スプレー
・左膝のサポーター

トレーニング

・心肺機能はこれまでのランニングでOK、坂ダッシュを増やす
・意識して日頃、カーフレイズのトレを入れる
・難所のトラバースの手順を事前に、実際の装備で、岩トレ(日和田山)でやること

ルート研究

・今回、引き返した地点から右に50mほどトラバースするとラビーネンツークがある。かなり急峻だがこれを登り詰めて右の雪稜に出て、急峻な雪面を右にトラバースして北峰のコルに至るルンゼに出るか。それとも、ラビーネンツークをまたいでさらに右へとトラバースし、傾斜の強い雪稜の下の比較的傾斜の落ちた雪稜をさらに回り込んで右へと、なおも急峻な雪壁をトラバースして北峰のコルに至るルンゼに出るか。どちらも難しそうだが、これもまた、実際に行ってみなければわからない。行ってみて、雪の状態によって、登れそうなルートを選ぶしかない。
・今回の引き返し地点から右にトラバースせずに頂稜に出ようとするなら、急峻でも、左上方の胸壁の凹状の雪壁を強引に登れば突破できると思う(その傾斜に対処できて、雪崩なければ)。敢えて右へとトラバースしようと試みることには、理由があるけれど、それはこのルートをまずは登ってみないことにはわからない。