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[ 1-本とある日 ] |
NHKのクローズアップ現代、6月23日(水)の番組「電子書籍が読書を変える」を視た。結論としては、国谷裕子さんのメイクや話し方が最近ちょっと変わったぞ、なんかbgに動きがあるんだろう、しばらく様子を見ようとか、佐野眞一のほっぺたはプニっとしたあんパンのように甘いかもしれないが、言葉は苦いんだぞ、とか。電子書籍を排除するな、エポケーしときなさい、という助言に耳を傾けるべきか。出版業界がご破算になって、紙の本の刊行点数が減ったら飯の食い上げになるんだが、生き残っていけるんか?>オレ
クローズアップ現代@NHK
出版業界の模索の最前線と電子書籍のもたらす未来を探っていく。(NO.1935)
番組ラストのまとめはちょっと萎えた。ステレオタイプに「活字離れ」なんてさ。活字と接近している人間のほうが、圧倒的に少ないでしょ。「民度を上げる啓蒙の道具としての本」なんて、どうでもいい話しだし。
視聴していて気になったこと。
・子育てに忙しい女性が深夜に携帯でホラー小説を読むシーン
本を読むことは、現実の生活をリセットし、個に戻り、個として他者の世界(他者の作った世界)に没入することなんだな、と改めて思う。戦前、若い工員さんがどうしても本を読みたくて布団のなかに裸電球を入れて深夜に本を読んでいてボヤを出して……なんて話しを思い出した(何かの本に出てくる話なんだけど忘れてしまった)。没入するのに最適な道具は何か。電子書籍というインターフェイス、その没入度が高ければ、紙の本というカタチでなくてもよいのかもしれない。
・サノシンがチラっと言った、星と星座の関係と本の話し。閉じられていない本、ハイパー(超越的?)テキストとしての本
大学時代に、光点とカタチの結びつきに関する認知心理学の実験を友人がやっていたのを思い出した。外国に行った時、インドの古星図を手に入れて、そこに描かれた星図が、西洋の星図と異なるのを見て、人はどのようにカタチを産み出すのか、それが実験のヒントになったとか。この話しは、『誰が「本」を殺すのか』の編集者と話したことがある。認識するとはどういうことなのか、単なる光点がなぜ星座となり、人間の生活と結びつけられるのか。本もまた同じではないか、と。
重要なことは、媒体が紙か電子か、ではなく、言葉を介した人間の結びつきの自由度だと思う。
読む人は読む、読みたいと思った本が読める、その自由の度合いこそが重要だと思う。問題にすべきは、読みたい人が読めない、読みたいと思った本が読めないこと。初版刷り部数が少なく、書店店頭にも並ばず、すぐに絶版になる本が多くなっている、そんなときに、電子書籍が生まれたことは歓迎すべきことかもしれないが、その電子書籍は本当に自由なのか、なぜそこに突っ込まない? > NHK
本が開かれているならば、それは多くの人に力を平等に与える。逆に、閉じた本は、知識=権力型の屈折した「力への意志」が産み出した道具だ。他者に閉じられていて自分だけに開かれている、他者が開こうとするとページ毎に対価を要求するような本は、人から力を奪う本だ(最近では、ジョハリの窓枠にはめ込まれた年金法という本もある)。
サノシンの予言は当たるかもしれん、近い将来に起こる出版クラッシュ。閉じられた電子書籍に手を出した読者は本に自由を奪われる。電子書籍が読者を変える。
電子書籍が閉じられた道具ならば、液晶ブチ割って窓から投げ捨てろ、と言いたい。家電業界がビューアーという小道具を独占的に売りたいがために、古いコンテンツの移植だけして釣りやってるような本とか、自由に読むことのできないコンテンツビジネスのネタにされて金ばかり巻き上げられる本とか、そんな本は物理フォーマットすべし。そして、自由な電子をそこに書き込め。