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ゴントの書類綴
<<チビットハンマー 帰還>> |
[PROFILE] [MY WORKS] |
[ 8-アフォリズム ] |
>尻尾と花
生きてあることがさも得意そうに見える尻尾、そんな動きが、
気味悪く思える瞬間がある。
花が美しい、そう感じられるときもあるが、
おしつけがましい香りと猥雑な形態に顔をそむけたくなるときがある。
尻尾と花が場を私に譲らない。
岩と氷が容赦なく連続し、ひび割れ、折り重なって、
崩れ落ちたあとにできる形象のなかに居るとき、自分が気味悪く、
場違いなところに来てしまったと思う。
>居ると在る
こうして、ここに、居ること。耐え難い気分だ。
しかし自ら肯定すべきではないのか?
それでいいのではないか、と。いったい、居ることに誰の命令があるというのか、
誰の承諾を得なければならないのか。
オイディプスなのか? そんなはずはないし、ありえない。
肯定、否定にかかわらず、それは、それだけで生きて在ろうとする。
だが、在るだけ、という世界がどんなところなのか、おぼろげなイメージが浮かぶ。
あまりに辛くて、一杯の温かいコーヒーと命を交換してしまうような、そんな世界。
>自由と宙づり
居ることの耐え難さからスピンアウトして赴く、そんな独りの登攀。
登攀への脅迫か、登攀の脅迫か、脅迫のための登攀か、すべて間違いだ。
自由はどこにあるんだ。
あくまで耐え難い自己にしか戻ってくることしかできないのか。
まったく偶然、自由への意思を翻させる強制的な命令が下されるときもある。それに従って、自己は折り返される。きわめて不快に思えるこの感覚に、なにか秘密がある。
一連の感覚の時間差に逆はありえない。自同律は最大限に不快となりながら、なお、見えてくるものはいったいなんだろう。
壁に宙づりになるのと、他者に宙づりになるのと、どっちが不快だろうか。
自己と他者はあらかじめ内通しているものではないことだけは確かなようだ。
(登攀=岩を登ること、または、生きてある動き)
>街と山
街で見つからないことが山で見つからないならば、
街で見つけるよりは山で見つけよう。
山で見つかることは、街でも見つかるはずだから。
山でも街でも見つからないものは、山も街も人も繋ぐことはない。
霧で何も見えないとき、人影が目の前を横切る。
>心的エネルギーの流れ
心的エネルギーの流れがどのような表現体として現れるか、おおよその見当はついている。だがそれは、ふいにやってきて、自身を捕らえる。現在の意識とはまったく別の出自をもち、知られずに組み立てられて発現する単一の表現体が現在の意識をリセットする。その単一体の強度を高める、つまり心的エネルギーの流れの道をトレースすることは可能だが流れ自体をコントロールする、不動の場所などは存在しないように思える。
>恐怖
(岩場を)登っている最中であれば、その恐怖は、現実の岩場と自分との関係からもたらされるものだ。
しかし、まだ登っていないのであれば(つまり観念)その恐怖は、自分自身のなかにある。超克しないかぎり払拭できない恐怖。いくらトレーニングしても、幻想の自信が恐怖の扉を閉めても、恐怖は恐怖のまま残る。恐怖の底へ降りていって、恐怖の意味を身体で充分に味わえば、恐怖はいっとき、消える。だが……
>新しい感覚器官
恐怖は危険のセンサーとして抑制を生む。ウロボロスの輪の回転は臨界に達しようとする。育ててはいけない。必要なのは、危険のセンサーではなく、困難を味わう感覚器官だ。
>反動形成としての生?
死ぬよりマシだ、といっても、死と生は比較級ではない。死の否定形の生はありえない。
>希望
辛いのは、意識を組み立てている自分の、あるいは他人の観念・精神・情動的反応の複合体だ。これらに囚われてしまうのがイヤなのだ。ある観念に囚われている自分を、自分の身体性でもって破壊し、脱出し、観念から招来される世界を変えてしまう。そしてこの闘いは、希望として、未来に延長される。この希望をイメージに対象化した瞬間、希望ではなくなるのだが。
>注意
極度の緊張から解放されると、足元がふらつく。注意せよ、終了点で注意せよ。立ち止まってレストし、一歩一歩確かめて歩き出せ、お前の足はお前の足ではなくなっている。
>折り返し
「追求する人間、急激な成長をとげる人間、つかれたような人間に興味がある。そのような人間の研究をするには、自分がそうならねばならない」
(『完結された青春-中嶋正宏遺稿集』中嶋正宏著、山と渓谷社、1989年6月30日)
独りの若い登山家が書き記した言葉。
人は言葉を届けようとする、山を登ったら降りるように。
だが、なんのために?
彼をとりまくあらゆる障害、身を遠くまで引き離し、対象化する。
超越的な視野におさめるために高みを目指したのではなく、逆に見上げるために。
冬の凍てつく岩壁の下、彼の凍った身体とともにそれはあった。
人は常に折り返す、身体が折り返せなければ、別のなにかが折り返す。
褶曲する意思、命。
>戸惑い
行き詰まると途端に考え出す、さも、理性は行き詰まっていないかのように。いくつかの手を検証するとして、間に合わなければ? その戸惑いが罠だ。時間は身体をもっている。別の声が宣告する。
>リズム
生きていることが順調に思えるとき、人は、そこに不規則な新しいリズムを読む。同時に堕落の予兆を感じる。リズムは生物の特徴ではなく、もともと非生物の特徴だから。この世界には存在しなかった、新しい固有のリズムは、新しい生命と共に生まれるが、同時に、これまでのリズムの調子は狂う。
調子の悪いリズムがなにかを生かしている。
>ロープ
墜ちた命を止め、また、急激に墜ちないようにし、
命の希望を繋ぎ止める、そんな道具をロープと呼ぶ。
重力の魔に対抗できる道具、
繋がれた人同士は、これまでとは違った存在になる。
そのことを証明しえないならば、人と人の間は、宇宙のように膨張して、
エントロピーがゼロになるまで離れてしまう。
今は遠く離れた友人にこのことを話せなかったのが残念だ。
>ロープ2
ロープを繋げるにはふたつの資格がいる。
くだらない事故で相手に巻き添えにしないこと。自分は墜ちないという意思をもつこと。最低の条件だ。
一方的な、不可逆的な尊守項目。ある人はこれを「紳士的」と形容している。
>砂漠の雨
渇いてひび割れた荒地が無限に続いている。色を失った太陽がひからびて、
今にも墜ちそうだ。そして、そんなことはどうでもいいと思いながら、
ぼんやり眺めている自分がいる。
風はなく、焼けただれた匂いがかすかにして、静かだ。
それらは十把一絡げに砂漠と言われる。
倒れてみる、荒地の砂の粒子が頬に触れて心地いい。
砂地の色が黒く変わっていく。雨だ。
風が吹き、声がする。
この夢を見て目覚めてから、自分のなかで何かが確実に変わった。
意識できないところで、なにかが動いている。