GONT-PRESSの最新版はこちら(http://www.gont.net/blog/)です。
GONT-PRESS TOP 言戸堂の仕事の紹介+ゴント個人の書類綴
Recent Entries
今日の黒目川
夏、川と少年を巡る本
ジョギング開始
言戸堂 DTP担当新刊本
電子書籍が読者を変える
引っ越し終了
パンダの引っ越し〜七夕の前に
事務所移転(引っ越し)のお知らせ
本の形 
でもわたしの不安をあなたが知るはずがない
Category Contents
0-日々のFLAG[274 items]
1-本とある日[40 items]
2-仕事−DTP/WEB[28 items]
3-ランニング・登山[74 items]
4-Tips[58 items]
5-URLメモ[19 items]
6-断 想[12 items]
7-現代近未来視聴覚研究[14 items]
8-アフォリズム[4 items]
9-お絵かき[12 items]

2004年06月29日

今日の黒目川

川面を渡る風は涼風、かと思ったら、今日はどこでも熱風だった。
それでも水の流れを見ていれば涼む……

Posted by gont at 22:11 | Comments (0) | TrackBack

夏、川と少年を巡る本

 川の近くに引っ越してきて、まず最初に読んだ本が『川の名前』。ネットでうろうろしていたら、見つけてしまい、注文。こういうのはジュブナイルもの、って言えばいいのかな? 読んでいる途中で、近くの川をバックにして、本の写真を撮ってしまった。こんなふうに自分の生活の変化とピタリと重なる本を読んでしまう時というのは、財布がピンチになる時でもある……。

『川の名前』 著者: 川端 裕人著 税込価格: ?1,785 (本体: ?1,700) 出版:早川書房 サイズ:四六判 / 381p ISBN:4-15-208567-3 発行年月:2004.5

著者コメント/川端裕人/2004/05/07
ひとことでいうなら、小学校五年生たちが活躍する「川小説」です。
少年・少女時代、川で遊んだ記憶のあるすべての人にお勧めです。

 男の子はある日、突如、自分とは何かを考え始め、少年になる。自己同一性を担保するマテリアルを見つける秘密の旅に友達と一緒に出るのだった。そして、人間の世界に着地し、接続し、さらに離陸する未来の方向を見定める。自分の位置を測るモノサシを手に入れるための試練だ。かっこよく言えば、空間(地平)軸と時間軸に渡ってモノサシを拡張し、自分の存在をその中に位置づけるための通過儀礼。この小説の場合は、自分の住んでいる場所(川)と自分の関係を突き詰めていく過程で、友達や家族との関わり方を更新する。小説では登場人物それぞれの「更新」がきちんと描かれている。エライなぁ>書き手 でも、出てくる少年、みんな優等生だし、真面目すぎやしないかなぁ? そうでもないのかな、今は。
 少年にとって自己同一性を探る方法はいくつかあると思う。この小説を読むと、田舎でも都会でも都市近郊でも「住んでいる場所との繋がり」というのが重要なのかな、と思ったりする。いや、少年特有なのか、それとも、著者の年齢や育った場所が私と同じだから、大人になるための同様な通過儀礼の方式を採用していたのかもしれない。果たして、このお話が今の少年にも通用するんだろうか、そこが気になるけれど、この本は少年向けではなくて、大人が回想して楽しむ本なのかもしれない。
 自分が小学生5年生の時を思い起こしてみる。都市近郊に新参者として転居してきた自分は、住んでいる地域の縄文遺跡を調べた。いろんな畑に出向いて、畑に散らばる土器片や石鏃を片っ端から集めまくった。等高線の引かれた白地図に遺跡を書き込み、それぞれの遺跡についての調査記録をノートにまとめた。自分が新しく発見した遺跡さえあった。
 一人で畑を歩き回り、縄文土器の欠片をひたすら集めてその年代を特定したり、当時の縄文人が歩き回った原野を想像するのが楽しくてたまらなかった。おかげで部屋中が土器だらけになってしまい、押入の底が抜けるからいいかげんにしろ、と親に怒られていた。友達と共同でやるのではなく、あくまで一人でやる、という点は、この小説の主人公が当初やろうとしていた方法とどこか似ているかもしれない。縄文遺跡調査は、小学生の時に流行っていた(らしい)郷土史研究ブームが背景にある。都市のベッドタウンとして新興住宅地の宅地造成が盛んだったため、あちこちで遺跡が発見され(てしまい)、どこもかしこも調査が行われていた(早く調査を終わらせないと土建屋さんが困る)。それゆえに、今、縄文遺跡は存在しない。すべては他人が所有する宅地の下であり、自分の記憶の中だけに縄文遺跡が残っている。ゼネラルサーベイはおろか、トレンチ調査もされないまま、名もなき小学生の表面採集だけされて、宅地になって消えてしまった遺跡たち。ゴッドハンドの出る幕もなく、歴史から消えた数千年前の遺跡、たとえば「文六遺跡」は、自分の記憶の中にしか存在しないはずだ。
 小学生の作った拙い縄文遺跡調査ノートと地図はダンボール箱に閉まってあって、引っ越しの時も捨てることができなかった。もう、その場所・縄文の世界とは無関係なのに。笑えるのは、縄文遺跡と宇宙、星やUFO関係まで、当時は等価に位置づけられていることだ。当時のノートと一緒に、当時買った藤井旭氏の星の本だとか、大陸書房の本の新聞広告を貼ったノートだとか、日本宇宙現象研究会(当時流行ったUFOについての目撃談を集める団体)の会報まで残してある……つまり、別に縄文でも川でも宇宙でもUFOでも、なんでもいいらしい。自分はここにいるぞ、と確認できる指標、近くてしかも遠い指標を集めまくり、世界の拡がりを確認し、世界を見る遠近法を手に入れようとしていたのかもしれない。その後、中学時代は、怪しい縄文やUFOの世界から離れて、理科部天文班で流星研究をやるのだけれど、小学生当時の「古代ロマンの夢想の熱病に浮かされたような縄文土器片コレクター生活」とは違っていた。友達と夜中集まって、ラジオを聴きながら、朝までとりとめのない話しをしながら、星空を見続けていた。もちろん、表向きは科学的な共同研究・観察だった。
 『川の名前』を読みながら、銀林みのるの『鉄塔武蔵野線』を思い出した(新潮文庫にある)。自分は映画版のほうが好きだけど。夏の乾いた畑の中を鉄塔を追いかけて北に旅をする少年の姿に自分を重ねてエールを贈りたくなる。ちなみに、自分が引っ越した場所から、この鉄塔武蔵野線が見えるのだった。『川の名前』『鉄塔武蔵野線』の2点で、自分は再び少年に戻り、新しい世界と接続するらしい。

Posted by gont at 00:37

2004年06月28日

ジョギング開始

引越先近くの黒目川岸はジョギングを楽しむ人をよく見かける。自分が引越を決めたのも、この黒目川のジョギングコースとジョガーたちの存在が決めての一つだった。引越をして1週間、片付けの第一段階終了(?)ってことで、走ってみた。

10km/約1時間。風がなくて蒸し暑く、走りづらかったものの、だいたいのコースは把握できた。前に走っていた都立小金井公園では、公園内の随所に水場があり、喉が乾いたらすぐに給水できた。黒目川沿いでは、給水できる公園のポイントがまだよく把握できてないので、いずれ、調べなければ、と思う。
黒目川と落合川の二俣にある神宝大橋が起点、下流に走って関越の手前で折り返し対岸を戻る、神宝大橋から今度は落合川を遡り途中で折り返して神宝大橋、さらに今度は黒目川を遡り、門前大橋で折り返して下り、神宝大橋ゴール。
今度は、どこまで遡れるか、どこまで下流に行けるか、そんなことを確かめてみたいと思う。

Posted by gont at 14:16 | Comments (1) | TrackBack

2004年06月24日

言戸堂 DTP担当新刊本


『図解 健康業界ハンドブック』(東洋経済新報社)

2004年7月1日刊
レイアウトデザイン、オペレーション、図版制作担当

Posted by gont at 10:05 | Comments (0)

電子書籍が読者を変える

 NHKのクローズアップ現代、6月23日(水)の番組「電子書籍が読書を変える」を視た。結論としては、国谷裕子さんのメイクや話し方が最近ちょっと変わったぞ、なんかbgに動きがあるんだろう、しばらく様子を見ようとか、佐野眞一のほっぺたはプニっとしたあんパンのように甘いかもしれないが、言葉は苦いんだぞ、とか。電子書籍を排除するな、エポケーしときなさい、という助言に耳を傾けるべきか。出版業界がご破算になって、紙の本の刊行点数が減ったら飯の食い上げになるんだが、生き残っていけるんか?>オレ

クローズアップ現代@NHK
出版業界の模索の最前線と電子書籍のもたらす未来を探っていく。(NO.1935)

 番組ラストのまとめはちょっと萎えた。ステレオタイプに「活字離れ」なんてさ。活字と接近している人間のほうが、圧倒的に少ないでしょ。「民度を上げる啓蒙の道具としての本」なんて、どうでもいい話しだし。
 視聴していて気になったこと。
・子育てに忙しい女性が深夜に携帯でホラー小説を読むシーン
 本を読むことは、現実の生活をリセットし、個に戻り、個として他者の世界(他者の作った世界)に没入することなんだな、と改めて思う。戦前、若い工員さんがどうしても本を読みたくて布団のなかに裸電球を入れて深夜に本を読んでいてボヤを出して……なんて話しを思い出した(何かの本に出てくる話なんだけど忘れてしまった)。没入するのに最適な道具は何か。電子書籍というインターフェイス、その没入度が高ければ、紙の本というカタチでなくてもよいのかもしれない。
・サノシンがチラっと言った、星と星座の関係と本の話し。閉じられていない本、ハイパー(超越的?)テキストとしての本
 大学時代に、光点とカタチの結びつきに関する認知心理学の実験を友人がやっていたのを思い出した。外国に行った時、インドの古星図を手に入れて、そこに描かれた星図が、西洋の星図と異なるのを見て、人はどのようにカタチを産み出すのか、それが実験のヒントになったとか。この話しは、『誰が「本」を殺すのか』の編集者と話したことがある。認識するとはどういうことなのか、単なる光点がなぜ星座となり、人間の生活と結びつけられるのか。本もまた同じではないか、と。
 重要なことは、媒体が紙か電子か、ではなく、言葉を介した人間の結びつきの自由度だと思う。
 読む人は読む、読みたいと思った本が読める、その自由の度合いこそが重要だと思う。問題にすべきは、読みたい人が読めない、読みたいと思った本が読めないこと。初版刷り部数が少なく、書店店頭にも並ばず、すぐに絶版になる本が多くなっている、そんなときに、電子書籍が生まれたことは歓迎すべきことかもしれないが、その電子書籍は本当に自由なのか、なぜそこに突っ込まない? > NHK
 本が開かれているならば、それは多くの人に力を平等に与える。逆に、閉じた本は、知識=権力型の屈折した「力への意志」が産み出した道具だ。他者に閉じられていて自分だけに開かれている、他者が開こうとするとページ毎に対価を要求するような本は、人から力を奪う本だ(最近では、ジョハリの窓枠にはめ込まれた年金法という本もある)。
 サノシンの予言は当たるかもしれん、近い将来に起こる出版クラッシュ。閉じられた電子書籍に手を出した読者は本に自由を奪われる。電子書籍が読者を変える。
 電子書籍が閉じられた道具ならば、液晶ブチ割って窓から投げ捨てろ、と言いたい。家電業界がビューアーという小道具を独占的に売りたいがために、古いコンテンツの移植だけして釣りやってるような本とか、自由に読むことのできないコンテンツビジネスのネタにされて金ばかり巻き上げられる本とか、そんな本は物理フォーマットすべし。そして、自由な電子をそこに書き込め。

Posted by gont at 01:37 | Comments (0) | TrackBack

2004年06月21日

引っ越し終了

 体力勝負でなんとか終わりました。うーん、もう一度やれ、と言われてもやりたくないな(笑)。
 引っ越しは土曜。前日の金曜、引っ越し先へ行き、NTTの工事に立ち会う。すぐにADSLモデムを付け、LANを引き回して仕事場に届かせる。
 ほかにも作業が残っている。まだリフォームもどき?が終わってない。トイレ、洗濯機置き場、洗面台、屋根のペンキ塗り、外壁防水シーリング、内装の一部(壁塗り)。間に合うのか?

 まずはトタン屋根のサビ落としとペンキを塗りやる。トタンが熱い! 高いところでの作業はどうってことない(山屋さんなので)。
 次は外壁防水。台風並の雨が降ると、一部雨漏りしてしまうのだった。前に住んでいた方が業者に頼んで何度も防水工事をしたようだが、うまく防水できていないとのこと。それで、こちらはザ・家の師匠のオッチャンに見てもらったのだが、雨水の入り込むポイントがはっきりしないとのこと。プロがこういうのだから、どうにもならない。さて、困った。事務所の一室が雨漏りなんてシャレにならない、それは仕事を請けるような環境じゃないわけで。さらにはマシンが濡れたら漏電、発火して火事になってしまうぞ。なんとしても防水してやる!
 前に家の下見に来たとき、強い雨が降ったことがあった。その時、外壁の雨水の流れを見たところ、外壁の板の裏側を通って流れる部分があるのを発見、そこが雨漏りのポイントだ。入り込む地点がわからないが、この部分を細工すれば、防げるはず。
 日曜から月曜、台風が来るらしい。大型だ。さぁ、どうする?
 こうなったら自分が雨漏り対策をやるしかないと判断する。オッチャンにやり方を教えてもらいながら作業開始。雨漏りでダメになっている外壁の一部の板を切ったり削ったりする。内側の板は雨にやられていないようだ。山用テントの目止め防水処理しかやったことがないのに、この穴をどうしろと?(笑)。しばらく考えた後、ステンレスシートを使うことにする。ようするに、トタン屋根をもうひとつ作るようなこと。外だけ防水していても、実際に水が流れてくる箇所がわからないので、逆に水を逃がせなくなってさらに内側に入り込んでしまう、これが漏水になる。外側をステンレスで覆うと同時に、内側にもステンレスを張り、もし水が入り込んでも、水の流路を変えて外に逃がす、という方法をとることにした。いずれ外壁は全部作り替えないとダメなんだし、とりあえず今やれることはそんなところだ。
 外壁の板と内側の板の間に薄いステンレスシートを2重に差し込んでいく。うまく入らないのだが、差し込みつつカッターやハサミで切りながら無理矢理押し込んで、内壁の形状に合わせて、広い範囲を覆うようにする。ここをうまくやらないと、無意味だ。こういう仕事は板金屋さんの仕事なのかな? 指を切ってしまい痛いがそんなことは後まわし。シートの継ぎ目は接着剤やら何やらで固めてしまう。外壁にもステンレスシートを貼って固める。3重のガード、これでどうだぁ!? 屋根や壁に張りついている間に夕方になってしまった。全身真っ黒だし、腕や手はコーキング剤などで汚れまくってるが、そんなことを気に掛けてる時間はない。トイレはまだできていないそうだが……徹夜してでも仕上げるとオッチャン。後は頼む……
 トンボ帰りする。元の住居でパソコン類の梱包開始。仕事道具は厳重に梱包しないとダメです。終了は03時。土曜08時より引っ越し開始。引っ越し先に着くとトイレはできていた……よかった、感謝するぜ。夕方には荷物をすべて搬入する。8時間かかっている。ともかく、月曜からすぐに仕事にかかれるようにパソコン類のセットアップと検証を先に行う。ルータ設置、LANで接続。ADSLは速度が落ちたものの問題なく繋がるのを確かめた。翌日の日曜、本のダンボールとの格闘開始、半分ぐらい片付けるものの、疲れてしまい、後はゆっくりやることにする。どうせ入らないのだし……もう夕方だ。まだ洗濯機や洗面台が使えない状態だが、オッチャンは月曜から作業を続行。たいへんな馬力に感心する。

 月曜、仕事開始。フラフラする。そんなおり……台風が来てるわけですよ、「自然」に検証してもらってますが、雨には強くなったようです。一安心。洗濯機、洗面台も取り付け完了。ブックエンドを利用した簡易表札を付けて、これで「言戸堂」再起動。

Posted by gont at 16:21 | Comments (0) | TrackBack

2004年06月17日

パンダの引っ越し〜七夕の前に

040615_1952~001.jpg
 うわぁ、引っ越しのサカイのダンボールに本を詰めて積み上げたら、パンダの壁が出現した。ダンボールを積み上げながら、なんで本はこんなに重いのか、捨ててしまおうか、と思ったりもする。
 引っ越しと本についての断想、パンダと熊笹と七夕と。ちと長いタワゴト。

 紙の本は、本自らが、誰かのリアルな世界に引っ越してきて、勝手に場所を占有し、居住権を求める。人間の引っ越しの時もいち早く人間に命令し、専用の場所を人間の居住空間よりも先に作れと命じる。仕方ないので、専用の場所=本棚を作ってやる、それは「本」ではなくて、まるで神様のような振る舞いだ。
 神様のようなデカイ態度をとるくせに、自分の持っている本は無価値だ。引っ越し前に古本屋さんにでも売ろうかと思ったけど、BOOKOFFだって引き取らないと思う。一度、依頼して引き取りに来てもらったこともあるけど、「これは貴重な本」と思ってた本が引き取られなかった。その本は捨てずにとってある。捨てられない本、おそらく死ぬまで、再読されることのない本。それは「本」なのか。
 場所がなければ、本はダンボールに詰め込まれたままで取り出せない。貸出不能・閲覧不能の閉架書庫に眠る本だ。そんな本は一生、参照されない。自分の記憶の中だけに読了の記憶と覚えているフレーズが1行あるだけ。それさえも忘れてしまう。引っ越しの時にだけ、おぼろげな記憶と結びつく本。それは「本」なのか。
 もし、これら紙の本が電子本ならば、CD一枚で済むのかもしれない。電子本にしてしまえば、どこにでも持っていける。移動図書館だ。e-インクは読みやすく、美しいらしい。リアルを占有することのないテキストだけの世界、データベース。けっこう、けっこう。それは「本」なのか。
 本が破壊される原初のイメージ。モーセの石版の破壊。契約が反故にされ、言葉の砂嵐が襲う。大地に向けた言葉そのものの投擲と散布。同様にバベルの塔の破壊。言葉を繋ぐ媒体の誕生と伝繙は、破壊とともにある。散逸した言葉を拾い集め、編み、カタチにして、再び投擲する人間たち、いや、投擲されるのは人間の分身か。投擲してるのは、投擲されるのは、心に突き刺さるのはいったい何なのか、それは「本」なのか。
 言葉を受肉させた、リアルを占有するカタチとしての本、その本にとって、何が重要なのか。それはカタチであり、重さではないのか。情報としての内容だけではなく、そのカタチや重さそのものだったとしたら? カタチや重さのない本、それは「本」なのか。
 電子本は受肉しない、それは、届くことはない。それは置かれるだけで、移動しない。コピーされれば、ここにもあり、どこにでもあるが、その利用は最初に発信者によって条件付けられる。極めて慎ましい本、人間に干渉しない本、川を渡らない本、それは「本」なのか。
 カタチと重さのある本は動産ではなく不動産かもしれない。場所塞ぎなのだ。しかも、他の人にとっては無価値の「石」のように重い。本はどこにでも持っていけるけど、ただし1点のみ、無人島に持っていけるのは1点のみだ。引っ越しのサカイは無人島にパンダのダンボールを配達してくれない。持って行けない本、残された本、それは「本」なのか。
 なぜ、文字は生まれ、書き込まれたのか。それがリアルを占有するのか。人間にとってのお荷物となったのか。彼・彼女らのために場所を作り、そこに住まわせなければならないのか。妻と同居するような我が隣人となった物体、それは「本」なのか。

 パンダの神たち、本のトーテムよ。お前たちを捨てずに、機織り小屋に持っていくから、少し笹の葉を分けてくれ。笹の葉の短冊に願い事を書くから。七夕になったら、天国の本屋さんで働く織姫・彦星が注文短冊を見て、パンダの仲間を小屋に届けてくれる。そうしたら、パンダたちよ、仕事を手伝ってくれ。新しいパンダを「編む」仕事のために。

*引っ越し先は以前、洋裁の仕事場でした。近くに小川が流れています。

参考:


熊笹の歴史
 日本の歴史をひもといてみると、笹は神代から神聖なものとして扱われています。「万葉花譜」という本によると、天照大神が機嫌を損ね、天の岩屋に姿を隠したときに、技芸の神様といわれる天鈿女命(アメノウズメノミコト)が、天の香具山の小竹葉(ササハ)を持って、舞い踊ったとあります。現代でも地鎮祭などで、四方に忌竹を立て、しめ縄を張りめぐらしたり、七夕の宵に竹葉に願いごとの短冊をつけるなど、笹は神聖なものとして扱われています。


梅雨空を泳いだ鯉のぼり――「二つの暦」の話
 折口信夫によると、清流の断崖(棚)に設えた機織り小屋に住み、神の到来を待ち続けながら、神の衣を織っていたのが「棚機女」(たなばた-つ-め)である。マラテラス神に仕える神女も天上で機を織っていたように、神女はみな機を織る。このイメージがどうやら中国の牽牛織女の七夕伝説と習合したのだ。

Posted by gont at 04:23 | Comments (0) | TrackBack

事務所移転(引っ越し)のお知らせ

関係各位

お世話になっております。
弊社は6月19日(土)に埼玉県新座市へ移転いたします。
移転中のご連絡に関しましては、
メールおよびハガキでお送りしたとおりです。
今後ともよろしくお願いいたします。

Posted by gont at 01:06 | Comments (0)

2004年06月09日

本の形 

今、電車の中。周囲の人は文庫を読んでる。携帯ブックの形はあれがいいな。文庫より大きいサイズでは電車で使えない。

Posted by gont at 20:02 | Comments (1) | TrackBack

でもわたしの不安をあなたが知るはずがない

しまい忘れた鯉のぼりをはずそうとしてマンションの9階から落ちた窪塚洋介さんは「子どもの日」を取り戻すのに失敗してると思う。長崎県佐世保市の小6女児事件の加害者の少女は、別の意味で「子どもの日」を生きる場所を失っていたのかもしれない。
事件の原因なんてわからない。それを追及するのではなく、その重力で連想のスイング・バイをしてみる。

少女の「子どもの日」はガランとしている。GW中、朝7時に起きたら居間に誰もおらず1時間勉強をし、パンを食べたけど、10時にまた寝てしまった、と自分のホムペに書いている。そして5月7日にズル休みをしてる。

少女は自分のホムペで詩を引用している。韓国の詩「乾いた魚のように」を引用して掲載してる。
なぜ、少女はこの詩を引用したのだろうか、と思う。
グーグルで調べたら、この詩を掲載しているのは、以下のページだけだ。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~sagawa/kankoku.htm
ここからのコピーのような気がする。

一節を引用する。

「あなたのうろこが闇の中で一瞬輝いた
 でもわたしの不安をあなたが知るはずがない」

そう、誰も気が付かなかった。


少女は、引用した詩の翻訳者名をわざわざ紹介している。
翻訳者のページには、翻訳者自身の詩も掲載されている。

そのサイトは、今回のイラク戦争との絡みが見てとれる。
影響があったのかはわからない。ただ、
子どもは、人が殺し合うことの現実について、リアルに晒される、
大人にとってはメディアが伝える単なる情報かもしれないが。

「乾いた魚のように」という詩には、ウグイ(石斑魚)が登場する。韓国の南大川上流で捕まえられたウグイ。
この魚は、具体的な事件や背景のある何かの喩えなのかもしれないが、私にはわからない。
試しに、韓国 南大川 でググッていくと、江陵端午祭にぶつかる。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~grizm/world/world07.html
江陵端午祭保存会

南大川の岸辺で行われる韓国の伝統芸能となっているが、「5日間巫女たちによる巫俗儀礼」とある。もともとは太古的な再生儀礼の一種ではないかと思う。アジアに広く分布する「殺された女神」(イェンゼン)の習俗の名残。子どもにとっての通過儀礼。大人になるための。

象徴的な意味で、子どもが大人(人間)になるためには、殺さなければならないし、殺されなければならない。それまで子どもは、人間ではない。
大人になるための象徴的な場所を用意するのは、大人の仕事だが、現在の大人はその仕事をさぼっている。大人が大人でなく、子どものままだ。ピーターパンのように空を飛べると思って、落ちる人もいる。
子どもたちは、新しい大人になるために、自分たちで自分の通過儀礼を発明しなければならない。
それがどんな儀礼になるかは、誰もわからないが、少なくとも大人の理解を超えた何かになる。

「でもわたしの不安をあなたが知るはずがない」

Posted by gont at 06:55 | Comments (0) | TrackBack

2004年06月07日

ドイトからビームサーベル装備で出撃

 前線基地(引っ越し先)の整備が終わらない。このままだと間に合わねーぞ。再び補給地点(DIY屋のドイト)に立ち寄り、足りなかった壁紙と工作板などを入手、60リットルザックに詰める。ザックから飛び出した壁紙がビームサーベル@ガンダムのようになってしまった。

 これを車に積んで……ではなく、普通のバスに乗り、バスの天井に板を突き刺しつつ、前線基地近くに降下、あとは徒歩。真夏のように暑い。
 前線基地に到達するとすでに突破口ができている。肋屋がさらにあばら状態になり、突破口となる窓が取り付けられていた。知り合いのオッチャンに、壁をぶち抜いて窓を付けてくれるよう依頼しておいた。暗い作業場で昼夜モニタに向かうのはつらい、壁ぶち抜いてくれ、かまいません、もっと光を、ソーラレイを?
 オッチャンは70歳を超えてるのに、一人で壁をぶち抜き、窓を入れてしまった。さすが職人。ほんとはそんな気軽に呼べるような人ではなく、とてもエライ人なのだけど、オッチャン、感謝するぜ! 職人魂おそるべし、あやかりたい……

040605_1120~001.jpg

 この日は壁紙(*1)を貼るだけで終わってしまった。思いのほか時間がかかる。翌日、板でモニタ台などを工作(*2)し、台所はレンジ横の壁にステンレスシート(*3)を貼り付ける。仕事ができる前線基地らしくなってきた。あとは荷造りだが……弾薬(本)を装填しないと……まだやることがいっぱいあるずら。

*1 薄いシールタイプの壁紙は、二重に貼って剥がす場合、下の壁紙の表面だけ剥がれてしまって汚くなる。ごまかしがきかず、神経を使う。重くて大変でも、生糊タイプの壁紙がいい。こちらは貼り直しできるし、伸縮柔軟性があるので、ある程度のゴマカシがきく。
 天井に壁紙を貼るには、ボードタイプの壁紙を使ったほうがいい。天井に貼る位置や大きさをきちんと測って、あらかじめ壁紙を切り、作戦を立ててやるようにすれば問題ないと思う。一人で通常の壁紙を貼るのはとても大変だが、継ぎ目ができたり重ね貼りもかまわないならば、挑戦するのもよし。コツは……カッターの刃をこまめに折って、切れ味を保つこと。
 コーナーや継ぎ目に隙間が空いてしまったら、アクリル系の内装シーリング剤で埋める。
*2 ノコがなくても、金槌と釘さえあれば、台ぐらい作れる。ドイトなら、板を購入した後、図面通りに切ってくれるサービスがある。3箇所切ってもらって120円だった。あとは持って帰って、釘を打つだけ。木材はたいてい揃っている。
*3 台所の壁はボード+タイルにするか、ステンレスシートにするか迷った。結局、時間がないのと、現況を維持するため、ステンレスシートにする。裏紙を剥がして貼るだけのシールタイプ。シートは普通のはさみで切ることができる。つなぎ目は厚めのアルミテープを貼ればいい。見た目はイマイチだけど、実用には充分。ステンレスやタイル以外なら、ガラス繊維の薄い耐火ボードもあり、ネットで売られている。

Posted by gont at 03:24 | Comments (0) | TrackBack

2004年06月03日

ヤフオク出の謎の絵画「JOROPO」を巡る旅

 何をググッていたのか忘れたけれど、ヤフオクに出ている妙な絵画に出会った。 男女が楽しそうに踊っている絵で、出品者の古物商はいきなり7万円スタートの値を付けている。絵はわからないし、買うつもりはないが、画家の名前を見て「おや?」と思った。

ベネゼエラの有名作家?超高額油彩@ヤフーオークション
 カスタネダ(kASUTANEDA)? カルロスじゃないよな、と思ってググッていくと、カルロス・カスタネダはミドルネームにCESARを使っていて、謎の生涯の職業欄には画家も含まれているらしい。でもな、描かれた時期がおかしいし、さすがに違うだろうな。kASUTANEDAでの検索(画像検索含む)でもこれ以上わからなかった。外国語ができればわかるのかもしれないが……

 探偵みたいな気分になってきたので、いったいこの絵画は何を描写したのか、さらにググってみることにした。キーワードは絵のタイトル「JOROPO」と「ベネズエラ」だ。ググるとすぐに出てきた。「JOROPO」はベネズエラやコロンビアの代表的な民族舞踊、ホロポ、ホローポと読むらしい。


未知の国コロンビアからの便り@Arai Kenichi(旅行情報サイト ワールドフォーラム)

Joropo(ホロポ)
 ジャーノス・オリエンタル(東方大平原)に広く伝わるものです。音楽の基本は「ハープ」こちらも軽快な音楽で、特にハープの早い音色が踊りを更に軽快なものとしています。この他にも様々な音楽・民族舞踊があり、とてもではありませんがその全てをご紹介する事はできません。
 民族舞踊と音楽だけでは国は成り立ちませんが、コロンビアという国は一早くスペインの侵攻を受け、しかしながらスペイン人と原住民との共存が成立していた事、山岳地帯が多く伝統文化が駆逐されなかった(推測)が今日の芸能・民芸文化の多様さを残している理由なのかもしれません。


 さらに調べていくと、midiも聴くことができた。どこぞのサイトの表現を借りれば「カリブ的なかなり明るい曲で、速くて激しい8分6拍子と4分3拍子のリズム」だ。音楽を聴くと、絵の雰囲気、イメージが急に現地色に染まりだし、絵を埋め尽くすたくさんの男女が激しく踊るラテンアメリカの雰囲気が彷彿としてきた。そして、この明るい世界の裏に秘められた歴史との対比にも気付かされた。
 これを所持していた日本人は、単に、ベネズエラの露店で適当に買っただけなのかもしれないが、ネットに出たことで、自分はベネズエラのホロポを知ることができた。おもしろいネットの旅でした。

Posted by gont at 17:01 | Comments (0) | TrackBack

2004年06月01日

臍の緒を切る

 「立場可換の想像力」というと、なんやら、独立した自己が相互に立場を慮る状態を思い浮かべますが、今回のバッシングは相互浸透状態の癒着部分が痛てぇんだよコノヤロと叫んでいたんじゃなかろーか……。

右翼思想からみた、自己責任バッシングの国辱ぶり - MIYADAI.com Blog

 立場が同一で分離できないから「自分が痛い」、だからガンの部分をパージしたくなる、してくれ、しろ、そういう心境なんじゃないかな、と。それでなくても、いろんな面倒なモノやコトが連結させられ、うざいったらありゃしない(このTBもそうか)。
 ガン=他人の失敗を切って捨て、力=他人の成功を移植して、痛くない自己を手に入れようとしても、次から次へと「痛い身体」が接続してくる。いや、自分が痛くて、他人に接続してしまう。社会にいれば、常に。それがイヤなら、社会的な人間を辞めるか、完全な身体を仮想して自己を滅却して没入するしかない。どちらも罠だけど。
 相互浸透状態の身体、その痛みを客観するには、外部の何かによって斬られて分離される必要がある……臍で茶を沸かすには、まず臍の緒を切らないといけません。そこで偉大なるパパのハサミが待望されるわけですが、切るのは、臍の緒か、それともあなたの首か、わかりません。パパ自身もまた、臍の緒が付いてるようなので、まずはお父さん、がんばって。きっかり一ポンドの心臓を切り取るような修羅場はまだまだ先のようです。

Posted by gont at 05:25 | Comments (0) | TrackBack

天井の壁紙を貼り替える

 引っ越し先の事務所の壁紙を貼り替えた。天井の貼り替えがとても大変だった。脚立の上で身を反らして、とんでもない姿勢を強いられるのだった。辛い。苦しい。北朝鮮兵士が金日正体制を維持するために「マンセーぇええ」する姿勢と同じように、両手を天に掲げて掌をバタバタさせなければならない。北朝鮮の兵士はかわいそうだな、と心底思った。

 なにぶん、内装に金をかけられない。雨漏りの心配がある古い屋根の一部補修を業者にお願いしたので、内装は自力でやらなければならない。なんとかなるでしょ、と始めた壁紙貼りは、左右の壁は問題なくできたのだけど、天井が本当に大変な作業になってしまった。
 まず、DIYショップに行って、「糊付き壁紙 剥がして貼るだけ 超簡単」のような商品名の壁紙を10m2本、5m2本購入。それに脚立も必要なので購入。壁紙は60リットルザックに無理矢理タテに詰め込んで背負い、脚立は肩にかけて、引っ越し先まで持っていった。けっこう重い。迫撃砲?を持って戦場を移動する兵士のような気分だ。紙は軽いものではなく重いものだ、糊が付いていればなおのこと。しかも5月だというのに、なんだ、この暑さは……到着。天井の照明器具をはずして、壁紙を剥がしておく。ペリィイイと剥がせれば楽だが、実際は、細切れになって残り、なかなか剥がせなくて時間がかかる。
 左右の壁は問題なく貼れた。垂線に気を付けて、はみ出した部分はカッターで切り取る。次は天井。壁紙を一畳分切り、糊の保護シートを剥がして露出、糊の付いた面を反対にし、マントを被るように壁紙を背中に垂らして両手に持ち、脚立に乗る。ベールを被った雪女のようだ。
 脚立の上に立ったら、壁紙を頭の上に引き寄せて乗せて、両手を天井に押しつける。粘着力があればそのままくっつくから、あとは手を離して、残りの2点を引っ張って貼ればいいのだが、水っぽい糊なので吸着力が弱く、そうはいかない。手で持った2点を天井に押しつけてもくっつかないのだ。どこが「超簡単」だ! それで背伸びをして頭を「物理的に」使って壁紙を天井に押しつけ、壁紙に一瞬の無重力状態を作りだして、一気に「マンセーぇええ」+「平泳ぎ」掌運動を必死に行い、壁紙の面を一気に天井に押しつける。これでうまくいけば、天井に壁紙がくっつく。脚立を降りて、状況を確認すると、曲がっている! で、やり直し。力を入れて曲がりを直そうとすると、壁紙の角が切れてしまう。うーむ、これは大変なことになったぞ。
 天井を向いて身体を反らしているし、手を心臓よりも高い位置に置いてやっているので、次第に疲れてくる。何度もやり直すのだけど、うまくいかない。それで、一畳を一気に貼るのを諦め、半畳分に切ってなんとか成功。
(岩登りをやる人なら、次のような表現でわかると思う。屋根オーバーハングの下で、次のボルトにアブミをかけようとしたら、ボルトが遠い。届くのか? カラビナがなかなか掛からない。反り返って作業をしているので、そのうち手や首が疲れてきて、ウーッ! なんじゃこりゃああ! こんちくしょうぉ!! となってしまう、そんな真夏の日の汗ダクダク岩登り状態)
 そんなこんなで、壁紙を貼り終わって照明器具等を付け直したら夕方になっていた。あとで考えれば、ベニヤ板に壁紙を乗っけて、それを天井に押しつければよかったのかもしれない。やはり素人は素人なわけで、内装のプロの仕事はたいしたもんだな、と思う。なんにせよ、終わってよかった。次は……台所、そして屋根のペンキ塗りが待っている。

Posted by gont at 01:06 | Comments (0) | TrackBack

石の神

『精霊の王』(中沢新一著、講談社)読了。
 ワクワクしなかった。中沢新一の想像力と、こちらの想像力のベクトルがズレてたからだと思う。自分は、石の神そのものの様相が知りたい、「石」というマテリアルそのものが産み出した想像力とその文化についての事実の集積とその論考が欲しかったのだ。プラトンやらクラインのツボなんぞ、正直どうでもええやん。ムスカ大佐が追い求めた「飛行石」のような熱き意思を……ラピュタの謎を……求めているものがまったく違うのだから、著者に文句言っても仕方ない。そんなもんはハンコックにでも頼め? でも、柳田の石神問答は読んでおいたほうがいいかもな、と思ったです。

読了
『考証 切支丹が来た島 女殉教者ジュリアをめぐって』(津田三郎著、現代書館)
 古本。著者の著述の動機がよくわからないものの、流刑をめぐる風景は実感できた。岩波のゲド戦記のなかに、絶海の小さな孤島に島流しにされた王族の兄妹の話しがあり、その印象が強烈に残っていて、この本に惹きつけられた。ただ、それだけなんですが……

途中まで読んでる本
『だれが「本」を殺すのか 上・下』(佐野眞一著、新潮文庫)、『アヴァロン 灰色の貴婦人』(押井守著、MF文庫)、『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』(若桑みどり著、集英社→読みたいんだが、なんせ時間がぁ)

まだ読んでない本
『ゲド戦記外伝』(アーシュラ・K・ル・グイン、岩波書店)、『アナーキズム −名著でたどる日本思想入門』(浅羽通明著、ちくま新書)、『「戦間期」の思想家たち レヴィ=ストロース・ブルトン・バタイユ』(桜井哲夫著、平凡社新書)

Posted by gont at 01:03 | Comments (0) | TrackBack

言戸堂 作業日報

 〜6/1〜

 〜6/1〜
・進行中/DTP/書籍/MO入稿終了
・進行中/DTP/書籍/初校戻待
・進行中/DTP/書籍/原稿待
・進行中/DTP/書籍/原稿待
・進行中/DTP/会報誌/7月号初校出
・進行中/WEB/WEB-DB/相変わらずCGIをいじってます
・待/WEB/サイトの移転、夏頃か?

○重なる時はいつも重なる、正確さと速度命。そろそろ引っ越し案内の準備も。

 〜5/16〜
・進行中/DTP/書籍/3校宅急便で今夜発送
・進行中/DTP/書籍/基本レイアウト宅急便で今夜発送
・進行中/DTP/会報誌/6月号MO入稿終了
・進行中/DTP/書籍/原稿待
・進行中/WEB/WEB-DB/相変わらずCGIをいじってます
・待/WEB/サイトの移転、ドメイン名選択中
・待/DTP/書籍/企画案1点

○またしても夜中になってしまったが、ともあれ、土曜中に作業が終わってよかった。

 〜5/10〜
・進行中/DTP/書籍/3校今週着予定、まだ続きがありそうだ。
・進行中/DTP/書籍/基本レイアウト制作中
・進行中/DTP/会報誌/6月号再校出
・進行中/DTP/書籍/原稿待
・進行中/WEB/WEB-DB/相変わらずCGIをいじってます
・待/WEB/サイトの移転、ドメイン名選択中
・待/DTP/書籍/企画案1点

○整理整頓! 既存のファイル類をCD-Rに焼いてストックしたり、次の仕事のためにHDを増設したり、なんだかんだと時間がかかってしまった、

Posted by gont at 00:15