アニメ『河童のクゥと夏休み』を観たら「子ノ神社」のカットがあったー

 ネタバレ注意(って、投降のタイトルでばれてるけど)。
 『河童のクゥと夏休み』に出てくる、神社のカットの話。実際に存在する神社です。
 『河童のクゥと夏休み』については、公式サイトをご覧ください。
 映画は池袋のメトロポリタン8Fの小さな映画館で、夕方から観ました。大人も子どもも、正面から普通に見ればよいという夏休み映画です。斜に構えて観る必要もないし、エキセントリックな部分もありません。こういうの、好きです。ちなみに、黒目川流域に住んでいる人は、知っている場所がたくさん出てくるので、楽しい気分になります。

『河童のクゥと夏休み』を観たら「子ノ神社」のカットがあった


 個人的にとっても気に入っている神社です。よく、ランニングの途中に寄ります。そんな場所がアニメで登場したので、なんだか楽しく、うれしい気分なので書いてみます。

 「子ノ神社」は黒目川から少し離れた河岸段丘崖にある、不思議な雰囲気の漂う神社です。神社前の石段は、巨木の葉陰で鬱蒼としています。
 劇中で出てくる、「小山台遺跡公園」の西隣にあります。
 「子ノ神社」のカットは、夏休みのプールの前のシーンの前に出てきます。神社の石段側からの数秒のカット(『河童のクゥと夏休み 絵コンテ集』のp.310、Dパートの5カット目)。

 もし河童の化石(干物?)が発見されるとしたら、この神社と関係があってもよさそうです。たとえば「河童伝説」「龍の民話」がある、とか。このあたりで、いちばん歴史的に謎めいているのは、子ノ神社だと思います。

 監督の原恵一氏のインタビュー記事(『河童のクゥと夏休み』 原恵一監督インタビュー
原監督5年ぶりの新作 おとなと子どもの心を捉える物語の秘密 1@animeanime.jp
)を読むと、原作者の故・木暮氏が東久留米在住だったので、打ち合わせの前に、周囲を歩いていたそうですが……それで神社を見つけてしまうとは、「河童の嗅覚」があるのかもしれません。

 少し脱線します。河童の化石が黒目川の河川敷から出る、というのは少し無理があるんじゃないか、と。
 原作に当たると、康一くんの住んでいる町から、電車とバスで約2時間半の距離にある、山名村の粕谷川の崖で化石採集をしていた時に割った石から出てきたことになっている。これを地元の川に変えたことから、なんとなく違和感があるのかもしれない。監督は、石を割ると河童の干物が出てくるのはおかしい、という点のほうが気になったようなのだけど、ここは敢えて突っ込んでみて、おもしろがってみよう、と思う。
 黒目川の近くで地割れがあって、クゥが埋まっていたとしても、現在の河原の下だったら、石にはならないだろうし、水分が多いから、化石状にはならないんじゃないか? と。黒目川の河川にある石というのは、古多摩川が奥多摩方面から運んできた広大な扇状地の石ですから、江戸時代にそんな石になってしまうのは変だ。

 ……と、そこまで考えて……「そうか、河童というのは、緊急事態に陥ると、自らを石化させるワザを持っているんだ! だから問題なしだ!」

 (自己解決して自分で納得してどうするんだ、という気もしますが)

 無理矢理設定した「化石問題」を回避するには、河童の父ちゃんがサムライに斬られてしまうシーンを、子ノ神社にして、その後に石段が崩れて……なんてふうにすればよかったかも。あと、地割れができるほどの力が加わった場所なので、何か地形的におかしな部分があるとよかったかもしれませんね。その部分だけ、河の流れがねじれている、とか。

 次の疑問。
 「竜神沼の干拓」については、どうだろう、そういう干拓の歴史ってあったんだろうか? いや、ファンタジーなんであって、歴史的事実にくっつける必要はまったくないわけで、そんなところをつついても意味ないんですが……あったとしたら、です……黒目川の水源・源流である、小平公園内の「皀莢(さいかち)窪」が適当かもしれません。現在、水源の窪地は干涸らびてしまっていますので、ちょうどいいのではないか、と。
 話はさらに脱線します。
 黒目川の源流が、なぜ、皀莢(さいかち)窪というのかというと、水の湧く窪地の周囲に、皀莢という種類の樹があったからです。アカシヤに似た葉っぱで、幹から鋭い棘が出ています。巨樹になるそうです。その皀莢は今はありません(探しに行きましたがありませんでした……)。皀莢にはおもしろい特徴があります。まず、日本固有種であること。そら豆のような実をつけるんですが、この実=種は、とても固く、水のない場所だと何百年も発芽しません。水があって、しかも、特殊な昆虫が実を食べ始めて、外皮が切られて水が吸い込まれないと発芽しない……そして、皀莢は、古道の分岐点に植えられたり、東北の武家の屋敷林によく使われたそうです。……これなら、康一くんの東北・遠野への旅にも繋がっていく。

 さらに脱線。

 「子ノ神社」について、わずかですが、調べたことがあります。興味があればどうぞ。

子之神試論-1(2005年06月08日)@GONT-PRESS

 参道の階段、左右に覆い被さる鬱蒼とした樹木の太古の暗がりに比べて、この縄文遺跡の丘の明るさはなんだろう。