石仏連想

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投稿が遅れましたが、先日、ランの合宿地の諏訪で見た「万治の石仏」を巡る連想(まとまらないので、連想・妄想)。

万治の石仏

万治の石仏


この石仏を絶賛して世に広く知らしめたのは画家の岡本太郎。1970年代、氏が絶賛する前は、山の崖に近い川沿いの狭い田んぼの中にある、地元の方以外知らないような、ちょっと変わった大きな石の仏さん、だったんですね。

wikiで岡本太郎の紹介を読むと、頭がクラクラするぐらいとんでもない人生を送ってきています、戦争で捕虜になって引き揚げてきているし。パリでモースに学んだなら、直で縄文の世界的意味を仕入れてることになるわけです。モースは日本の石器時代を確認し、大森貝塚を発掘しているわけですから。

そんな岡本太郎が見た万治の石仏、具象と抽象が混じり合った縄文の情念の美も見たんでしょう。

石仏は諏訪大社以前からある、というか、縄文時代からある遺物の上に、仏教が習合しているんじゃないかな。

すでに自分のなかでは、古代妄想ロマンが開始されます。

(長いこと石仏が知られていなかったのは、敢えてね、見つけられないように、畑と田んぼで隠してたんですよ……岡本太郎に見つけられてしまったけれど……)

縄文に関する、つれづれなる連想。

70年代は、オイルショックと社会運動の衰退、そしてディスカバー・ジャパン、郷土史ブーム・古代史ブームで、UFOブームでした。
その頃、自分は小学生、中学生で、これらブームの影響を強く受けているようです。

諏訪については、藤森栄一の著した学生社の単行本を小・中学生のときに読んで知ったんですね。諏訪湖底の曾根遺跡もひとつリンク)、すごいなぁ、ジョレンでかいたらシジミじゃなくて石の矢鏃が上がってくるなんて……。

小学校高学年の時は、縄文時代に興味があって、千葉の地元の畑にある縄文遺跡を片っ端から歩き回って表面採集していた時でした。藤森栄一の『旧石器の狩人』、岩宿遺跡の発見=日本の旧石器時代そのものの発見、行商の相沢氏(相沢忠洋氏@wiki)の話はよく覚えています。
アマチュアが新しい発見をする、いや、アマチュアこそ発見できる、当時は天体観測の彗星の発見でもそうですが、アマチュアでも大発見ができる、ということにロマンがあったと思います。というか、アマチュアがアマチュアなりに楽しめる世界だったんですね。素人の宝探し、子どものコレクション、という側面もありました。美しいことに惹きつけられる、ということも。縄文土器の破片に描かれた不思議な文様、ガラス質の黒曜石の美しさ。諏訪湖の湖底から、水に濡れた黒曜石の鏃が水から上がってきたら、ほんとに綺麗だろうな……小魚とかクワガタを捕るのとあまり変わらないわけですが、しかし、そうした感情は、縄文時代から同じなわけで、学問への興味、考古学的な興味とは別だったんだと思います。

話は飛びましたが、その後の実際の諏訪の古代史はあまり知らない、そんな程度ですので、このエントリーも、妄想につぐ妄想のジャンプをしているヨタ話です。

「万治の石仏」は、石仏の置かれた場所の聖地性、というより、石仏自体が、プリミティブな印象を受けます。
諏訪大社下社春宮に石の大鳥居を造る為にこの石仏を材料にしようと鑿を入れたところ、血が流れた、という話に、「ヒトの原型」の伝説を感じます。
南米でよく「キリスト像から血の涙が流れ落ちている、そして奇跡が起こった」なんていう、マユツバなニュースが出てきますが、聖人・聖体とその断片および奇跡と復活・再生、というのはセットなんですね。とても古い時代の、「なぜ人間がこの世に存在するか」の原型の話、つまり、神話です。人間って、人間であるからこそ、自意識過剰なんでしょう。
縄文時代と同じ無文字文化の神話では、人間が生まれる前の「原人間」(あるいは原動物=トーテム)が死んで倒れたバラバラの胴体の各部位から、有用植物、動物、人間が生まれて、分かれた、という共通したモチーフがあるんですが、おそらくは、その当時の名残が「万治の石仏」には残っているような。

それと、「万治」の縁起については、後から彫り込まれたらしいと推察しているスリリングなページがある(万治の石仏(その由来と謎) )。

この石仏の上に初物の収穫物を乗せて、豊饒神にお祈りしてたとか。
石の上で何か焼いた後はないかな。
石仏の背中の部分、ザックリと割られてるんですが、ノミを入れて削ったというのは、そういうことなのかな?
頭部は後からくっつけてあるわけで、実は、以前は別の頭部が乗っていて、それを取り替えた……。
もとはどんな頭部だったんだろう。
そういや、いつも意図的に壊されて発見される縄文土偶もありますので、そういう伝統のうちにあるのかもしれない。

石仏に描かれた不思議な文様は、石仏として認知される前から、ある程度、彫られてるんじゃないかな。
その文様を隠すために、新たに彫りを加えて、元の文様がわからないようにした、とか。
「カオス」が「コスモス」に変わり、さらには「ノモス」になった、と。
そのときに、最初に彫られていた「原初の文字」も削られて……

(さらに、古代妄想ロマンから伝奇創作へと向かってます)

この石仏の「なんとなくモアイ風味」からして、南太平洋の古層の巨石文化の香りもします。
諏訪の古い民族は、海の族、じゃなかったかしら。といっても、南洋ってことはないだろうけど……でも、黒潮・太平洋文化圏ならありえない話でもない?

だとしたら、最初に乗っていた「頭」には、赤い目玉が入っていて……

目玉としての「紅玉(ルビー)」はカオスとコスモスを変換する装置、無から有を生み出す……それを守ってきた諏訪の謎の結社と、世界征服を企む南洋の結社が日本に上陸、諏訪湖を巡ってバトルを繰り広げる、巨大化した敵の海獣と諏訪大魔神が、超長大な御柱で叩き合う! 八ヶ岳は火を噴き、凍った諏訪湖は沸騰、避けた拍子に富士山の半分が爆裂して吹っ飛んで八ヶ岳よりも低くなり……超歴史伝奇ロマン+大魔神+でぃだらぼっち伝説+日本沈没、のような話を考えてみたらどうか?
あー、そういう話、よくありますよねっ!
(……ないない)

……ちがう、ちがう……「万治の石仏」を客観的に見れば、ちょうど川の合流地点にあるんだなー、川を渡るところの目印だから、冷静に考えれば、単なる「ケルン」ですよね……ってことにして、そっとしておきましょう。

それにしても、諏訪の歴史は秘密がいっぱいです。

コメント

  1. より:

    ゴントさん

    詳細な解説ありがとうございます。
    諏訪の合宿を思い出します。

  2. ボーゲンマン より:

    私も石仏の写真を載せて合宿の事をmixiに日記を書きましたが、ゴントさんはしっかり調べた上で詳細な記事になっていて感心しました。
    そして、紹介されていた『ウィキペディア(Wikipedia)』で岡本太郎画伯の生きざまを見ましたが、びっくりしました!!
    天才は、生き方も違いますね~。
    勉強がビリでもその後がどう生きるかで、本当の価値が出るんですね。フムフム・・・納得(#^.^#)

  3. gont より:

    大阪万博の太陽の塔、今思うと、とっても変なカタチをしてましたが、時代の象徴だったんですね。自分はあの時代、子どもだったので、なにやらすごく影響を受けた気がしています(よい意味でも悪い意味?でも)。