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しまい忘れた鯉のぼりをはずそうとしてマンションの9階から落ちた窪塚洋介さんは「子どもの日」を取り戻すのに失敗してると思う。長崎県佐世保市の小6女児事件の加害者の少女は、別の意味で「子どもの日」を生きる場所を失っていたのかもしれない。
事件の原因なんてわからない。それを追及するのではなく、その重力で連想のスイング・バイをしてみる。
少女の「子どもの日」はガランとしている。GW中、朝7時に起きたら居間に誰もおらず1時間勉強をし、パンを食べたけど、10時にまた寝てしまった、と自分のホムペに書いている。そして5月7日にズル休みをしてる。
少女は自分のホムペで詩を引用している。韓国の詩「乾いた魚のように」を引用して掲載してる。
なぜ、少女はこの詩を引用したのだろうか、と思う。
グーグルで調べたら、この詩を掲載しているのは、以下のページだけだ。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~sagawa/kankoku.htm
ここからのコピーのような気がする。
一節を引用する。
「あなたのうろこが闇の中で一瞬輝いた
でもわたしの不安をあなたが知るはずがない」
そう、誰も気が付かなかった。
少女は、引用した詩の翻訳者名をわざわざ紹介している。
翻訳者のページには、翻訳者自身の詩も掲載されている。
そのサイトは、今回のイラク戦争との絡みが見てとれる。
影響があったのかはわからない。ただ、
子どもは、人が殺し合うことの現実について、リアルに晒される、
大人にとってはメディアが伝える単なる情報かもしれないが。
「乾いた魚のように」という詩には、ウグイ(石斑魚)が登場する。韓国の南大川上流で捕まえられたウグイ。
この魚は、具体的な事件や背景のある何かの喩えなのかもしれないが、私にはわからない。
試しに、韓国 南大川 でググッていくと、江陵端午祭にぶつかる。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~grizm/world/world07.html
江陵端午祭保存会
南大川の岸辺で行われる韓国の伝統芸能となっているが、「5日間巫女たちによる巫俗儀礼」とある。もともとは太古的な再生儀礼の一種ではないかと思う。アジアに広く分布する「殺された女神」(イェンゼン)の習俗の名残。子どもにとっての通過儀礼。大人になるための。
象徴的な意味で、子どもが大人(人間)になるためには、殺さなければならないし、殺されなければならない。それまで子どもは、人間ではない。
大人になるための象徴的な場所を用意するのは、大人の仕事だが、現在の大人はその仕事をさぼっている。大人が大人でなく、子どものままだ。ピーターパンのように空を飛べると思って、落ちる人もいる。
子どもたちは、新しい大人になるために、自分たちで自分の通過儀礼を発明しなければならない。
それがどんな儀礼になるかは、誰もわからないが、少なくとも大人の理解を超えた何かになる。
「でもわたしの不安をあなたが知るはずがない」
Posted by gont at 2004年06月09日 06:55 | TrackBack