GONT-PRESS TOP ゴントの書類綴
<<第7回モントレイル青梅丘陵高水山岳マラソン    春はボトムズまで匂った>>
Category Contents
日々のFLAG [274 items]
本とある日 [40 items]
仕事−DTP/WEB [28 items]
ランニング・登山 [74 items]
Tips [58 items]
URLメモ [19 items]
断 想 [12 items]
現代近未来視聴覚研究 [14 items]
アフォリズム [4 items]
9-お絵かき [12 items]
Recent Entries
ブログ引っ越し中
本づくりを手伝う
荒川市民マラソンに出た
春なので新しいことをやる
単独登攀
Adobe Digital Editions Beta3 - 本を運ぶ赤い黒船
ジブリ「崖の上のポニョ」、二度と……
GONT?

[PROFILE]



[MY WORKS]
Search


Archives
2007年04月
2007年03月
2007年02月
2007年01月
2006年12月
2006年11月
2006年10月
2006年09月
2006年08月
2006年07月
2006年06月
2006年05月
2006年04月
2006年03月
2006年02月
2006年01月
2005年12月
2005年11月
2005年10月
2005年08月
2005年07月
2005年06月
2005年05月
2005年04月
2005年03月
2005年02月
2005年01月
2004年12月
2004年11月
2004年10月
2004年09月
2004年08月
2004年07月
2004年06月
2004年05月
2004年04月
2004年03月
Syndicate this site (XML)
Powered by
Movable Type 2.66

2005年04月04日

東久留米団地の近くの「フランス製菓」

[ 0-日々のFLAG ]

P1000163-1.jpg

 団地のそばにある古い洋菓子店「フランス製菓」でケーキを買った。このお店、昔はすごく流行ったんじゃないかなーと思われる「自負」が感じられる。店主のゴツイ面構え、ケーキの説明からもそれがわかる。

 昔流行った、などというのは失礼な話しで、味はしっかりしている。
 この団地はすでに建て替えが決まっていて、表面的には寂れているのだが、実際はどうか。

公団ウォーカー 東久留米団地
http://www.h6.dion.ne.jp/~codan/danchi/tama/higashikurume/

 この中の記述に「古い公団住宅の中の商店街といえば寂れててシャッター街と化しているというイメージでしたがここは結構賑わってました」とある。それで思い出したのは、近隣に引っ越してきた時、古くから住んでいるご婦人が「近くのスーパーよりも団地のスーパーに買い物に行きたくなってしまう」と語っていたことだ。昭和40年代ぐらいだと、近くには大きなスーパーなどなかったから、団地の商店街に行くことが多かったのだと思う。そして重要なのは、自転車に乗ろうとするおばちゃんがそのまま立ち話をしている姿が多いことだ。こういう風景は、他のスーパーでは見られない。ここには見えないコミュニティが存在するのだ。
 少し調べてみると、東久留米団地、東久留米市の特殊性が少し見えてきた。

東久留米市の歴史
http://www.city.higashikurume.lg.jp/kensaku/welcome/welcome3.htm
「 東京近郊の農村の姿を留めていた久留米村は、第2次大戦後人口が増加し、昭和30年には10,000人に達しました。昭和31年に町制が施行され、30年代後半からひばりが丘団地・東久留米団地・滝山団地・久留米西団地などが次々と建設され、人口は急激に増加しました。特に昭和35年(約19,000人)から45年(約78,000人)までに4.1倍の増加を記録し、日本で最も人口の多い町となりました」

 すさまじいばかりの人口増加……日本の高度成長期〜低成長期を支えた郊外団地の現在は、そのまま日本の似姿でもあるが、そこに記憶が残されているかぎり、人のコミュニティはなくならないだろう。

追記2006年7月10日
最近、検索でこのページを見られる方が増えて来た。たまに「フランス製菓」でケーキを買っていますが、味は変わってないと思う。
アクセスが増えて来たのは、公団の団地の一部が建て替えられて、新規入居者が増えてきたから、その関連の情報を求めているから、かもしれない。
関連する情報を挙げれば、隣接する新座市にもたくさんの新規分譲住宅が建ち始めている。デフレ化で好況が続くと資金が不動産に流れ込むだろうし、まさに今日7月10日、ゼロ金利解除で、今後住宅ローンの金利も上がるから、住宅を売るにはラストチャンスかもしれない。
そんなわけで、微妙に若い家族も増えているのだけど、近隣には古くから住んでいる人たちの高齢化が進み、おじいさん・おばあさんが圧倒的に多くなっているのも確か。黒目川を昼間から散歩する高齢者はどんどん増えているのだった(それがわかるのは、自分が自営業者で自宅事務所にいるから
、なのだけど)。たまに痴呆で徘徊で迷子になってしまったご老人の捜索アナウンスが川沿いの市の広報拡声器から流れてくる。
また、昨今の子どもを巻き込む事件の多発を受けて、自発的な市民によるパトロール巡回も増えている、それを契機に、新たなコミュニケーションが生まれて、コミュニティの連係も深まるかもしれない。

こうした「郊外の変容」には、格差社会の問題も含めたさまざまな現象が露出しているだろうし、社会学的にはとても興味深い。いつか、そのような変容の姿を追った、社会学的な書物を読んでみたいと思うので、学者でなくてもいいので、誰か調査して書いて欲しいな、と思うのだった。

Posted by gont at 2005年04月04日 18:58 | TrackBack

東久留米市は、もともと北多摩郡久留米町だったものが団地のおかげで「市」に昇格できたのでした。けっこう大騒ぎでしたねぇ。ひばりが丘団地には、現在の天皇も皇太子時代に訪れたことがあり、「新生活」(2DK!)の象徴でした。……今は昔、たとえば滝山団地の商店街はできたときの雰囲気のまんまで、「昭和」が香っています。ひばりが丘団地は、巨大なマンション群に変わろうとしています。

Posted by: 杉山 at 2005年04月07日 10:59

コメントありがとうございます。「新生活」(2DK!)、この昭和の感覚はわかるような気がします。頭に残ってる一番古い記憶の一部です。今度は東久留米の団地にある喫茶店を探訪してみたいと思います。

Posted by: ゴント at 2005年04月07日 12:33