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<<『電車男』(テレビドラマ)に伊藤淳史 東久留米駅の北側の厳島神社>> |
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昨日は七夕、あいにくの曇り空で星は見えず。パソコンで仕事を続ける(終わらねぇ!)。一息入れてテレビドラマの『電車男』を見る。7月7日、七夕の偶然の出会いの予感は、見知らぬ二人が夜空の花火を違う場所で見上げるシーンで演出された(けっこうおもしろかった)。
七夕が誕生日で誰も祝ってくれず、毎日毎日、変わらない日常、合わなくてつらい仕事の日々の中で、悪趣味に没頭しつつ、生きていこうとする23歳オタク男は、あまりの哀しさにいたたまれなくなり、秋葉原のビルの屋上でショートケーキをほおばりながら、自殺しようとして思いとどまり、深夜にパソコンに向かう。そんな話しの一方で、ロンドン同時多発テロ。巨大な機械たちが破壊され、人々が傷ついた。
電車男はパソコンを使って会話していた、見知らぬ多数の人間たちと。パーソナル・コンピュータ。個人のための機械。
機械とは何だろう? 個人で使う機械は?
個々の人間にとって最初の個人的機械は、「回転するろくろ」と「機織り機」だと思う。こぼれ落ち流れ逝く水を蓄える、縛っても逃れ逝くものを包み込む。前者は女性性の回転・車輪を利用した男性的な機械であり、後者は男性的な直線を折り畳む女性的機械だと思う。あるいは、超えがたい時間そのものを空間化して克服しようという人間の儚い望みの結晶。「線」を「面」にする、次元を拡張して存在を包み込むための機械だ。
ろくろは自動走行機械を始めとする産業の基礎となり、機織の機械は「ミシン」になって産業を個人に取り戻した。「ミシン」とは「マシン」のことだ。個別の機械であることをやめて全体主義化する機械を、個人の領域に引き戻したのが「ミシン」なのだ(ミシン万歳!)。
今使っているパソコンは、「ミシン」の系列にあると思う。パーソナルなものだから。女性格なのだ。だからパソコンはおしゃべり好きなのであり、資本主義的な超高速直線時間軸を一時、折り畳み、誰でも座れる絨毯を敷いて、茶を飲むような平面を作る。そこに誰が来てもかまわない、会ったことがなくても、絨毯に座って話しをすれば打ち解ける、一時を過ごしたら立ち去ればいい。織られた絨毯は、固定され、占有された平面を持たないのだ。絨毯は昔から時空を超えて飛ぶものだから。そんな場所にはテロなど起こらない。産業的な機械にはラッダイト運動が起こるが、個人の機械を自ら打ち壊す人間はいない(動かなくて窓から投げ捨てる人はいるかもしれないが)。
サミット前、ブッシュ大統領は、また自転車でコケてしまい、警備の警官にケガを負わせたという。自転車で2回目、自走機械でも一回こけてる。彼は個人的な機械の操作が苦手らしい。彼にはミシンを習わせるのがいいと思う。機織り機械で絨毯を編んで、テロリストもいっしょに電車男を見たほうがいい、電車男の哀しみに虚勢を張った大統領も涙するに違いない、これは世界平和のための緊急課題としてサミットの主要テーマに上げてもらいたい。