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場所はお茶の水・ニコライ堂の坂下にある総評会館、連合のあるビル、久しぶり。偲ぶ会というより、追悼集会か。最初、行くのを止めようかと思っていたが、前日になって、声をかけていただいたOBにはお世話になっていることだし、行けるなら行こうという気持ちに切り替わった。
山岳部創設時代のOBさんが「けじめをつける意味でも追悼をしたかった」という言葉を使っていたのが印象的だった。公私にわたって、仕事も含めて、全人格的に薫陶を受けたOBたちなのだった。私には思い及ばない心情を持っているのだろう。
こういう言い方は少し失礼かもしれないが、顧問には、春山で頂稜の雪庇を踏み抜かないように気を付けるというような感覚、を覚えた。自分は顧問に反発することもあり、それが気に入らなかったらしく、咎められることもあった。「○○はオレのもとでオレの言うようにやればうまくいくんだよ」、と言われたこともある。反発したのは、圧倒的な力の差に畏れを抱いた、というのが正解かもしれない。大人、それが顧問という存在だった。
心理学の話しをちゃんとしたかったのだけど、人類の人間としての起源と意識の関係、心理的事象とモノ自体の関係の相互的な創発、なんだかロシアの得体の知れない心理学みたいだが、そんな話しも聞いてみたかった。
……と、さまざまな思い出を語り合うのも楽しいので2次会にも行きたかったが、自分の場合は「山に登らないのに山岳部?」という現役意識がどこかに残っていて、思い出語り合うなら山のテントで雪かきしながらやれ、という気持ちがあり、山に行くなら、今からお茶の水の駅まで坂ダッシュ10本やろうぜ、という気分なのだった。で、追悼の意味も込めて、明日はちょっくら荒川河川敷でマラソン走ってきます、明日は早いので失礼します、なのだった。
初めて走ったマラソンが河口湖マラソン、山岳部OBと顧問に拉致され「いいからオマエも走りやがれ」と連れてこられて、ザックにポリタンとパンを入れて走ったわけでして。二度と走るかと思いましたが、数年後、まさか自分が市民マラソンに出るようになるとは……これも顧問のおそるべき心理マジックなのかもしれません、そういうことで、次の日は、荒川市民マラソンに出ました。