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はるか昔の話し。高校に地学の授業がなくて、つまらなかった。それが原因とは言わないが、後の人生に影響を与えたのは事実。
中学のときに流星観測をやっていた天文少年は、高校に入って、『地学』の授業が数時間しかないことに驚いた。えぇ? 地学ないの? 学ぶなら地学しかないと思っていたので……担任に聞いたところ「はぁー地学? 物理や化学があるでしょ、受験を考えたら? 履修するならそういう選択肢しかないでしょ、とりたいという生徒もほとんどいないんだよ。それに地学を専門に担当できる先生もいない。生物の先生が数時間は授業を行う予定になっているから、授業がないわけじゃない。この高校ではそういうふうになってるんだから」。そんな言葉だった。想定問答集が手元にあるのか? そういう疑問を持つ生徒がいると想定して、予め答えを用意しておいて答えたような、そんな口調。しばらくその先生の顔を見ていたような気がする。そのほかに質問は? と言われて、黙して引き下がる。そうか、地学なんて誰も興味ないんだ、受験に関係ないことは意味がないんだな……。当時、地学は必修科目ではなかったのかもしれない。でも、もしその高校で地学が授業で行われていないと予め知っていたら……。
確かに、地学よりも物理学であり、化学だ、天文学だったら数学だ。そんなこたぁわかってんだけどな。岩波新書の『物理学はいかに創られたか-初期の観念から相対性理論及び量子論への思想の発展』の上・下ぐらいは読んでいた。この教師の言い分は妥当なんだけど、言い方がものすご〜く気に入らなかった。「東大でも行ける頭で言うならわかるが、その成績で、授業に文句言うわけ?」みたいな軽蔑の眼差しだったので。その教師のせいにするつもりはないのだけど、高校では何も学べないんだなぁ、単なる受験予備校なんだな、と思って幻滅してしまった。
これだけ火山があり地震があり地面に左右される国だというのに、地学が必要がないとはこれいかに、と思ったのだけど、土地は私有地なのであって実業・経済の対象であり、科学の対象足り得ない、ということなのかもしれない。個人が地面について知ることは御法度というか禁忌な雰囲気を今でも感じる。また、天や地を学んだところで人間の力が及ぶわけでもない、何か問題があったとしても人智を越えた存在なのだから、まさに杞憂だ、無意味だ、と。
地学は勝手に勉強することにした。実際に行われた地学の授業やテストは、まったくやる気が失せていた。担任の教師は「いろいろと言っていたのに、こんな点数?」だった。自分の生徒に手をつけて後で結婚した古文の教師から学んだことは「古文は本当にエロイな」と「皮肉」だった。今から思えば、成績の悪い生徒をもった教師は皮肉の一つでも言いたくなるだろうし、「なんでオマエはどうでもいいことにこだわってるわけ? 意味ないよ、そんなことは。答えは出ている」と言いたかったのだろう。
高校の勉強なんて適当にやっておいて大学に行ってからやりゃいいじゃん好きなこと、というのは圧倒的に正しいのだけど……星のシンチレーションが網膜に焼き付いた者に、そんな戯れ言は通じないのである。
浪人のときに、火山の近くの山小屋でバイトしたのも、そういう意固地な精神からきている。ちょうど、自分のなかの重い思いが、自らのなかに堆積して深く沈み込み、それが逆に、隆起してきて行動を起こすようなものだ。地学で言えば「地向斜」という概念。そんなのフロイトに言わせれば複合観念だってことだけど、自らの心を表すモデルは当時、地学的な言葉だけだった。その山はいろんなことを教えてくれた。たとえば、そんな屈託は、この山の空に比べりゃどうでもいいことじゃないか、高村光太郎もそう言っただろ、とか。
こだわっていたにも関わらず、自分の地学はモノにはならなかったし、地学の「地向斜」という概念はプレートテクトニクスの時代にはすぐに廃れた。当時、日本列島誕生の理由や古東京湾の底が擂り鉢状になっている理由を、地向斜という「堆積の自重で沈み込み」と説明されていたのだけど、そのような学説は否定された。
どこでも学ぶことはできる。どこであろうとも、何事かは行えるし、必要であればそれは自らのなかに現象として起こる、ということだった。自分にとっては、沈み込みや隆起、堆積と褶曲と造山、そうした大地の生成と精神のそれの相同について、あれこれと考えた。ミルチャ・エリアーデやユングからも「大地の詩学」は輸入され、宮沢賢治にもガイドしてもらった。銀河鉄道で旅をし岩手山を昼夜に登る一方で、人類の精神史の基底部に降りていこうとした宮沢賢治は、上野の国柱会館で未曾有宇の大地を持ち上げようと夢想していた。しかし、ゲルマンの暗い血という観念と同じく、仮想としての集合的無意識が意識化された瞬間に全体主義へと通じる坑道を開くことを知れば、すみやかに地上へと戻らなければならない。
高校の時の「精神の地向斜」はわずかに隆起し「大地の詩学」のミニ・ドームをせり上げた。今は休火山だけどプレートの動き次第でまた噴火することもあると思う。
*地向斜
新・地震学セミナーからの学び 36 地向斜造山理論
*地学不要の風潮は止まらない。「月刊天文」(地人書館)が休刊する
「2007年1月号からしばらくの期間、『月刊天文』は休刊いたします」
http://www.chijinshokan.co.jp/latest/gt_latest.html
Posted by gont at 2006年10月27日 19:41 | TrackBack