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千葉の実家に行った。
夕方、駅前の魚屋に入る……「ながらみ」を見つけた。1パック700円を2パック買ってしまう。どうしても食べたかった。
ところで「ながらみ」って?
黒潮の流れる太平洋側の浜辺で採れる巻貝。九州や四国では、「きさご」と言うらしい。遠浅の浜辺で採れる小さな巻貝の一種で、平べったく、親指と人差し指で囲った円内に収まる程度の大きさだ。内側の貝の表面は貝特有の七色の反射光があって美しい。茹でて、爪楊枝で中身を引っぱりだして食べる。それほど美味というほどの味ではない。子どもの頃、よく食べた記憶がある。九十九里の網元の子だったおばあさんが特に好きだった。
ながらみは昔、どこでも、たくさん採れたそうだ。しかし現在、ほとんど採れなくなっている。ネットで調べても、一食分で1000円を超えてしまうような値段だ。とても普段は食べられない。今回、実家のある千葉でながらみを見つけることができたのは幸運だったのかもしれない。昔はよく食べたものが手に入らない、たとえば、「はば」という海苔が手に入らない。房総の南の磯で採れる海苔で正月の雑煮に山盛り入れたものなのだけど、正月用に買おうとすると、値段が高いなぁと思う。採れないのだ。
ところで、ながらみの貝殻は千葉の畑にコロコロと転がっていることが多い。昔は海だったから? 違う。さすがにそんな時代の地層は千葉の畑の表面にはない。富士山などの火山灰が積もった関東ローム層以降の時代、氷河期の後の時代の地層の上にある。その時代はとっくに陸地になっている。なぜ畑からながらみの貝殻が出るかというと、縄文時代の貝塚からながらみの貝殻が大量に出ているから。千葉の畑を航空写真で見れば、畑が馬蹄形に白くなっている部分があり、それが貝塚だと分かる、そうした貝のなかに、ながらみがたくさんあるのだった。
縄文時代から千葉に住んでいた人は、ながらみを食べていた、ずっと。1万年ぐらい食べていたのだ。しかし、現在に繋がるわずか30年で、それが採れなくなってきた。
久しぶりに食べたながらみ(2006年秋)はおいしかったけど、もしかしたらもう、食べられないのかもしれない、そう思うとちょっと苦く感じた。ながらみが縄文時代からの人間と自然との関わりを教えてくれているようだった。