古東京湾のバリアー島とラグーン

古東京湾には、開口部に、バリアー島(潮汐三角州)やラグーン(内陸海)があったそうです。
90年代に出てきた知見のようです。知らなかった……驚きですね。

よく観察すれば、今まで見えてこなかった何かが見えてくる。

地層に記録された第四紀の環境変動
図2:約12万年前の「古東京湾」。現在の関東平野一帯が内湾となり、
バリアー島と呼ばれる砂の島によって、太平洋側の湾口部が塞がれていた。
第四紀後期には、10万年周期の地球環境変動に伴って、
古東京湾が繰り返し出現していたと考えられている

AESTO News 2005 spring No.6 特集 長期にわたる地球変動(PDF)

古東京湾のバリアー島
地質ニュース458号(October,1992)(PDF)

およそ12-13万年前の下末末期の関東地方には古東京湾と呼ばれる内湾が広がっていた。この古東京湾の湾口に、現在の日本列島ではほとんどみられないバリアー島と呼ばれる細長い島が、水戸から鹿島、さらに房総半島へと長さ約120kmにおよび連なっており、古東京湾は大きな内陸海(ラグーン)であった。

現在の千葉の多古町あたりに、バリアー島の切れ目があったそうです。海水の出入りの開口部です。
生まれ育った場所に近いこともあり、親近感が増します。

かつてバリアー島が伸びていた場所は、現在、九十九里を臨む台地になっています。東に太平洋を望む台地と海蝕崖とされる地形には、それだけにとどまらないような不思議な地理的な感覚がありました。あぁ、そういう連なりがこの海蝕崖沿いに存在したというのなら腑に落ちます。その感情というのは、その場所に行かないとわからないものですが……

ラグーンのバリアー島があった時代よりもさらに古い30万年前の、貝の化石を採りにいった時の子どもの頃を思い出します。

子どもの頃、千葉の市原にある瀬又の貝層(約30万年前、新生代第四紀更新世、下総層群の薮層の貝化石が産出する)に行きました。仲間たちと自転車で、JR誉田駅前の坂を降りて行きました。子ども感覚ではけっこうな距離感があり、大遠征でした。

たどりついた貝層は、子どもの目線からはかなり高さのある崖となっていました。
近寄ると、少し固い砂浜の砂地のようです。「山砂」と呼ばれる、海岸にあるような砂を押し固めたような感じです。そこに、化石というよりは、現生種の貝の貝殻が落ちているのでした。なお、今はどうなっているかわかりません。記憶が定かではないのですが、私有地だと思いますし、今も貝層があるのか、採集できるのか、わかりません(ネットで調べると出てきますが、紹介すると荒れたりするでしょうし、止めておきます)。当時の子どもの頭の中では、いわゆる縄文の貝塚と、こうした化石の貝塚の情報が同時にインプットされており、「瀬又にいけば貝塚がある」と聞いた最初は、縄文時代の貝塚だと思っていました。

さて、断崖にこれまた実際に食べて捨てたようなホタテ貝のような貝殻が、これでもか! というぐらい、詰まっているのでした。足元にも、いろんな貝殻が転がっています。化石というよりは、太古の海岸がそのままそっくり、タイムスリップして瞬間移動してきたようなものです。

子どもにとってはこれは大事件です。なにせ、ここは海だったんだ! ということが実感としてわかっただけで、SFです。しかも、証拠となる貝がある。大発見の宝物に囲まれたように、子どもたちはうっとりしました。気づくと、手当たり次第、袋に詰め込んでいました。なかには、グロテスクに渦巻くような、現代にはありえないような不思議な形をした貝もあったのを覚えています(あれはいったいなんだったのだろう)。

崖の高い位置に大きな貝殻が斜めになって飛び出ているのが見えたので、あれを取ろうと思い、崖を登り始めました。慎重に背丈ぐらいまで登って、さらに腰の高さまで登らないと手が届きません。そこから崖は急峻になり、足下は砂が固まったような地層ですので、崩れそうです。それでも宝物に目がくらんでしまった私は、「あれを取ったら帰るぞ」と決めて、さらにジリジリと登り出しました。誰かが危ないからやめよう、といったのを覚えています。

そして手が届いて引っ張ろうとしてバランスを崩し、その貝の下にあった別の貝だと思うのですが、その鋭角な貝殻がナイフのように掌を切り裂き、落っこちてしまいました。幸い、落ちた下は柔らかく、傾斜した砂地だったので足などには怪我はありませんでしたが、掌の怪我はそのままツバをつけて治るようなものではなく、タオルでしばって自転車で急いで病院に向かいました。ザックリやってしまい、傷口も腫れてしまいましたし、傷口に入り込んでしまった山砂の洗浄・除去がとても痛く、また、傷口を縫い、かつ、医療用と思えるホチキスで二箇所、止められて、これもまた痛くて、数ヶ月治らなかったのを覚えています。

それ以来、高いところや崖を登るのは慎重になりました。いや、慎重で登るを止めればいいのですが、慎重に登る、ということが重要です(笑)。傷口は今もはっきり手の平に残っているのですが、砂粒がけっこう残っているでしょう。タイムカプセルを飲み込んだような気分です。