1個買うか、100個買うか

#→2008/02/19追記

なんか最近、鬱屈するようなエントリ書いてばかりでおもしろくないので、おもしろいように書いてみる。

持ってるお金が100万円あったとして、100万円のものを1個買うか、1万円のものを100個(#、別々の店から)買うか。
持ってるお金が100円でも、100億でもいいや。

その世界全体を元気にするのには、どっちがいいと思う?

もちろん、100個買うほうがいいに決まっている。だって、それだけたくさんの人にお金が渡るわけで、そのお金が流通する(はず)だからだ。

けれど、最近、なんていうか、お金持ちの人は特にそうなんだけど、バラで買わないんだよねぇ。そうすると、1人は儲かるけど、あとの99人は売上ゼロで、店を畳まないといけない。

逆もしかりで、100万円借金してた場合、100人の債権者に1万円ずつ払ったほうがいい。
そうすりゃ、貸したお金が返ってきて、それでご飯食べたり、それを別の人に貸したりもできる。
まとめてしまったら、そういう雑多な経済活動が細くなる。
最近はローンも含めて、お金の流れを一つにまとめるのが流行ってるようだけど、それは一人の相手に宙づりにされる、っておそろしいことではないかな。

#年金の「保険方式」「税方式」の議論も同様で、税方式でまとめてしまうのは
#危険だと思う。最低限のラインを決めて補完しあうならいいと思うけれど、
#ポートフォリオ同様で水源は一つにまとめてはいけない。

なんだかね、今の経済って、人間の身体でいくと、太い血管ばかりさらに太って(#コレステロール貯まって)、毛細血管に血液が回らないような、そんな感じがする。末端が壊死していくような感じがするわけです、経済の糖尿病のような状態。
結果的に全身が悪くなっていく、そういう気がします。

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南米の古い民俗・風習・観念には「トウモロコシ=天地を巡る生命=生と死(破壊と創造)=貨幣の先駆状態」があって、その流れが止まったり、一つところに蓄えられすぎると、社会のなかに病が発生して、みんな病気になってしまうので、それを流す、たとえば大地=暗黒=死と再生の女神のために畑に埋め戻す、という習俗があるわけです。キリスト教だと、「十一献金」というのがあって、「天に宝を積む」っていう言い方をしますけど、収入の10分の1を教会に寄付するわけです。欧米圏のお金持ちのクリスチャンがチャリティー(慈善事業)を脅迫的とも思えるぐらいに行うのは、お金を持ちすぎることへの恐怖の精神構造があるかもしれない(それ以上に奪っていることを知ってるからね)。日本だと、胞衣(えな)を家の戸口の下に埋めたり、乳歯を屋根に投げたりする風習もそうした「生命の循環の思想」のなかにあるでしょう。過剰な富の滞留を防ぎ流通させる、流れを止めないことが、世の中を維持する、という考え方がありました。今は……淀みが多くなっているようですが。
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自分の立ち位置は毛細血管あたりですが、そこに栄養や酸素を入れ込んで、どんどん血液を流していきたいですね。鬱血してシモヤケ状態では、自分も周囲もダメになりますんで、スキルを上げるなり、営業するなりして、なんでもいいんで、どんどん仕事を発生させて、どんどん流す、代謝を増やすわけです。

そうすると、暖かくなって、新しい組織が生まれてくる、それがバネになる。そこに力が生まれる。
少ないお金でも、使いようによっては、おもしろいことができるかもしれない。そんなことを考えました。