母が父を見舞う

病床の父を見舞う母を連れゆく。二人を分かつ酷暑の終わりの秋に。

2023年10月始め、7月に搬送された救急対応の病院から郊外の終末期医療の病院に父を転院させる。ストレッチャーごと乗れる介護タクシーに同乗する。脳梗塞ですでに意識はないが、今日は今までと少し違うと思ったのかわずかに目を開けて、周囲を訝しげに見ていた。転院の手続とともに、主治医から説明を受ける。

翌週、実家の母親に付き添い父の病院に見舞いに行く。40分くらいかかるかと思ったが、田舎道で空いていて15分でついた。足を悪くして杖をついてヨタヨタと歩く母も今月末には介護認定を受ける。転院手続をしてくれた弟は実家から離れたので、母は独居老人だが、週一で兄が通ってあれこれ世話を焼くことにする。

病床の父に母が声をかける。最初は「お父さん」、それから名前の「○○さん」と。何度も呼びかけるので、わずかに目を開け口もとをモゴモゴさせる父だった。

主治医から現在の病状と今後の治療方針を伺う。病状は回復せず、慢性的な肺炎が続いている。先週と同じで、これ以上はよくならないが、これ以上悪くならないように治療していく、と。それは、いつ急変してもおかしくない、ということでもある。主治医の言葉を母は固い表情で聞いていた。

母は病院からタクシーで帰り、自分は乗り継いで都内の事務所に行き事務作業をしてから埼玉の自宅に戻る。その間もあれこれ仕事のメールが来て返したりする。カバンの Macbook で、電波があれば出先で仕事もできるようにはしている。

微妙な均衡はいずれ崩れるだろうけれど、それもまた、それぞれの拒むことのできない人生なのだから、その都度、よりよくなるよう、できることをするだけだ。