『セントアンナの奇跡』




夜に観てきました。
かなり激しい戦闘シーンがあるので、そういうのダメな人は見ると辛いかも。
晴れやかな気分で見終わることはないと思うので、それなりの覚悟も。
それでも、一度は観ておくといいかも。
戦争、人種差別、国家、共同体、宗教、信仰が交差する物語。

詳しくは観ていただくとして。
(以下、ネタバレ注意、感想というか断想)

「眠る男」が目覚めるときは、世界の終末だ。世界の置かれたあまりにもひどい状態のために怒り狂い、自分自身と他者を殺してしまう。郵便局員をあと少しで定年退職しようという男も目覚める。世界そのものを窒息させる行為、言葉を交わすべき声を押しつぶしてすべてを沈黙させる行為、それを敢えてテロと言うのを止めておくが、こうした殺戮が発動したら、もはや止めようがないのだけど、実際にはすでにそれが発動した後の世界に人間は置かれている。しかし、目覚めることで起こる奇跡もまたある。

映画の世界に登場する人たちは、どういう人種であれ階層であれ性別であれ、同じ神を信仰している、あるいは反発しているがゆえに同じ超自然的な対象に宙づりにされている。そこに絶望も希望も、断念や救いや奇跡も、そこに連なっている。
そこでは、かろうじて奇跡が起こりうる。
では、信仰を違える人たち、イスラム、ユダヤ、仏教、無信仰(無神論者)、あるいはカルトな人たちが集まる、広範なこの世界はどうなるのか、と。
ほとんど奇跡など起こりようもないということになる。
それでもなお、意味もなく子どもが殺されていくことを止めよう、救おうという意思を持ち続けていられるとしたら、それはどういう状態だろう。一種の妄想・ファンタジー・狂った意識の状態といえるかもしれない。
誰もが普通に思っていることが、普通には絶対に不可能であるという、この世の根源的な矛盾。